ティル・ナ・ノーグの幻影

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 藤倉未希は、月で行われる会社のセミナーに参加するはずだった。  けれど、彼女の乗った船は月を目前に、彼女と幾人かを乗せたまま、宇宙で行方知れずになった。地球と月の定期航路ができてまだひと月だった。  おそらく、デブリか小天体の衝突だろう。  それから20年、西島は、恋人の乗った船が見つかるのを待っている。  船の表面を覆う材料は、酸化チタン、アルミニウム合金、ステンレス。  ――もう諦めてもいいんじゃないか。  数年前、倉持は同じように縁台に座って、直接のその言葉の代わりに、気を遣って「どうしてそこまでして待つのさ」と西島に聞いた。  少し西に傾いた半月が、空に懸かっている晩だった。  西島は笑った。 「知ってるだろ。めっちゃ強気な女だぞ。あいつがもし生きて帰ってきたときに、おれが他の女といい仲になってたら、おれはあいつに殺される」  ――生きてるはずは、ないだろう。  その言葉の代わりに、「だってもう、だいぶ年月も過ぎたし」と言った。 「まあ、正直生きてることは期待してない。でも、見つけてやりたいんだよ。冷たい宇宙に放り出されっぱなしは、可哀想だ」 「未希ちゃんの家族は、お前のこと知ってるのか」 「いや。おれのことは知らないはずだ。月から戻ったら、お互いの家に、と思っていたところだったから」 「月を見ると、嫌な気持ちになったりしないのか」 「全然。逆に、未希は絶対見つかるから、って言われてる気がするよ」  そうして西島は、その時空に浮かんでいた上弦の月を、愛おしそうに見上げた。  宇宙のどこかで旅を続けている恋人を、思い続ける男。  それ以来、倉持は西島にこの話をするのは止めた。  20年前、3歳だった年の差は、23までひらいた。  それでも西島は、今日もパソコンが涼やかに酸化チタン……と歌い始めるのを待っている。
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