0人が本棚に入れています
本棚に追加
「ねえ。あーちゃん」
甘ったるい声が耳をかすめる。
あたしは、怪訝そうに眉を寄せて「なに?」と振り返った。
「あーちゃんの初恋の人ってどんな人だったの?」
「……聞きたいの?」
「そりゃあまあ……。あーちゃんとは幼稚園から一緒なのに、わたし全然気づかなかった」
「そりゃあそうだろうね」
「でも、幼稚園のときってことは……わたしも知ってる人だよね。きっと」
「まあ、そうなるかな」
素直に頷く。
天沢は眉間に皺を寄せて、首を傾げる。きっと、幼稚園の頃の顔ぶれを思い出しているのだろう。
「えー? わかんない。ねえ、あーちゃん。誰だったの?」
甘えるようにそう言って、あたしの袖を引っ張る天沢は妙に困った顔をしている。そんなに知りたいのかと苦笑する。
「あたしの初恋の人はね……」
「うんうん」
「天沢みなみだよ」
「……へっ?」
先程まで楽しそうな笑顔だった天沢の顔が、突如として血相を変えるからあたしは思わず吹き出してしまった。
なんだ、その阿保面は。
腹を抱えて大笑いをするあたしを見て、みるみるうちにきょとん顔だった表情が怒りを帯びていく。どうやら、冗談だと思ったらしい。実際には聞こえないはずの、ぷんぷんという効果音が聞こえてくるようだ。
「もうっ! あーちゃん! びっくりしたぁ! もうっ、意地悪なんだからっ」
想像通りのお叱りの言葉にあたしは、また苦笑いする。
意地悪とかそんなこと言って、冗談だと知って少しほっとしだだろう。そんな安心したような顔されてしまっては、本当のことなんて永遠に言えないじゃないか。
意地悪なのは、あんただよ。みなみ。
そんな言葉を喉の奥に飲み込む。
言いたくても言えない。忘れるわけないじゃないか。でも、これは覚えていいない方がいい記憶だということは重々承知だ。
だから、忘れるんだ。
いや。忘れたフリをするんだ。忘れることは出来そうにないから。
今日のことも。初めて恋をした日も。全部。
冗談だったと、笑い飛ばしてくれよ。幼馴染。
だから、あたしも。あんたに素敵な彼氏が出来るまで、この記憶は忘れたフリをしようと思う。
了
最初のコメントを投稿しよう!