89人が本棚に入れています
本棚に追加
わたしは思い浮かべる。
あのひとのマンションのゴミの集積場所。
火曜日と金曜日の朝8時まで。
いつもぎりぎりに出していた。
8時半頃には、収集車がやって来る。
収集車は、噛み砕いて飲み下す。夢の残骸。
清掃員の寡黙なたくましさ。
特に金曜の朝が、良くない。
金曜というおめでたそうな響きが、良くないのだろうか。
幸せそうな記憶と結びついているのだろうか。
木曜の夜に、相手を探す。
翌朝の8時半をやり過ごす相手を。
男のひとの筋肉は、わたしを怯ませる。
それなのに、そういう相手を選ぶようにした。相手に興味を持ちたくないから。
心の中で、体育会系の見せかけの爽やかさを小馬鹿にしながら、わたしは自分をすり減らす。
その男の子はわたしの背中に触れた。
「大丈夫?寒いの?」
触らないでと叫びたいのを、堪える。
自分の話なんて、するんじゃなかった。
この子の触り方はいやじゃない。
だから、いやだ。
触って。触らないで。
雨音が存在感を増す。
触って。触って。触らないで。
触って。触らないで。触らないで。
何故、こんなに降り続けることができるのだろう。
「何か話をして。」
わたしは頼んだ。
映画とか音楽とか、そういう話がいい。
この男の子自身のことを知りたいんじゃない。
興味を持たない方が良い。
わたしだって、ピンクのゴム手袋を、付けたいわけではないのだ。
蒸れて湿気る指先。
「ジョナサン・リヴィングストンを知ってる?」
彼の声は柔らかい。
わたしは仰向けになる。
わたしは、わたしの汚れた手を男の子の手に重ねた。
雨がわたしたちを包む。
濡れた毛布で、わたしを窒息させてほしい。
とても優しく。
「ジョナサンはカモメの名前なんだ。」
最初のコメントを投稿しよう!