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―侍従セリスの特別な一日Ⅰ 序―
ケイマストラ王国王都の名は、フランシアと言う。
国花として国民に広く愛される花の名でもあり、この大輪の白い花は、王都中心部にある王城の裏手に残る森の、中心に湧く池の脇に群生している。
現在は、これを王宮の庭の一部として扱い、余人の立ち入りはできない。
王都フランシアの造りは、言ってしまえば、変わったところのないものだ。
高い外壁の中にある街と、中央に高く積み上げられた王城。
城下は中央に向けて高くなっており、その大きな傾斜には建物が林立して、緑地帯が少ない。
世界にひとつしかない大陸の、特に東側諸国では、同様の造りをした街が多い。
違うのは、そこに住む人々の階級だろうか。
だが、地位の高い者は王城近くに居を構えがちなので、やはりこれも、それほどには違いはないのだろう。
セリスは、第1王女付き侍従として、王家の者が住まう区画の近くに部屋を与えられているので、出勤は、同じ王城内からだ。
まだ夜も明けぬ朝の5時からを勤務と考え、それ以外は、ほとんどが待機時間だ。
そのため、王女の前に出る予定はなくとも、制服着用を己に課している。
支度を整えて部屋を出たセリスは、まず真っ先に第1王女カタリナの部屋に向かった。
その部屋の前には、交替で夜間警護を行う兵士が2人と、知己である第1王女付き護衛騎士隊副隊長クゥリム・アルカディオ・カーンが居たので、挨拶を交わし、異常が無いことを確かめた。
ここから、クゥリム、通称クゥと共に、騎士以上、貴族以下の城内の役目の者が集まる、まあほとんど騎士用と言うべき食堂に向かって、朝食を摂り、外の鍛練場に移動して1時間といくらか、早朝鍛練に勤しむ。
ただし、セリスはここで汗を流したりしない。
それは既に、前日の勤務後から勤務前の間に済ませてあるし、制服を着ている以上、王女殿下の前に出られない姿になるわけにはいかない。
そのため、ここで行うのは、主に異能の訓練。
それと、クゥに協力してもらって、害意の察知、危険対処の反応訓練、といったところだ。
ちなみに、このクゥは、副隊長だけれど、貴族でないから、この隊の隊長職に就けないだけで、カタリナの警護の実際は、隊長から一任されている。
権力者の横暴が手に負えなくなったら呼べ、という指示だ。
隊長自身は、普段は何をしているのか、探している時は見付からないのに、不意に背後から声を掛けたりして、日常的に緊張感を与えてくれる御仁だ。
彼、現在の第1王女付き護衛騎士隊隊長は、誉れ高い最高位の騎士の1人で、序列は上から3番目。
ここまでは、数字に條を付けて、将軍と呼ばれる。
序列の4番目から10番目は、位階の差を排して、全員を七剣将軍とし、知将、勇将、制将、義将、信将、望将、慈将の中から、本人に相応しい呼称が与えられる。
一條将軍や二條将軍が去ると、三條将軍までが繰り上がり、空いた席を、七剣将軍の誰かが埋め、空いた七剣将軍の席は、その呼称に見合う騎士が現れるまで、空席となる。
七剣将軍に選ばれるのは、各軍の大将を務められる手腕のある者で、戦のない近代では、年に数度行われる武術大会で一定の成績を残した過去があり、軍の運営、運用の円滑化などに貢献し、部下を指導でき、後進を育てられるなど、多方面で認められた者が多い。
ただ、部下を持つことが許されるのは、騎士として5年以上の経験を積んだ者か、王立学院付属士官学校の課程を修了した者なので、この時点で、20歳前後となっており、そこからようやく軍に貢献して、貴族の称号を得られる高位騎士に昇格となると、さらに5年か、多くの者が10年以上は掛かると思われる。
男の方は、そのくらいで初婚でも構わないが、女、特に貴族以上の、殊更王女ともなれば、そんなに待っては、いられない。
それでも、待っていてもらうことを、選べないでもなかったけれど。
王女に見合う地位は、それから更に数十年を掛けた不断の努力の末でなければ、手に入らない。
貴族なら誰でも手にできる高位騎士程度では、だめだ。
最高位の騎士、すなわち、いずれかの将軍として認めてもらえるほどの実力が無ければ、ただの侍者の家系のセリスでは、カタリナの手を取ることは許されない…。
悔しく思うし、このまま連れ去りたいとも思うけれど。
自分に力が無い、そのための苦労や苦痛を、取り分け、大切にしたい人に負わせるのは、あまりにも情けないし、それを良しとするような男に、他者の生を負う資格など、あるはずがない。
第一、自分の思いだけで決めて良いことではないし。
なんの手立てもなく、この思いだけをぶつけて、何をするにしろ、しないにしろ、許しを請おうなど身勝手が過ぎる。
「時間は13時でいいんだよな」
考えながら、雑談に適当に相槌を打っていたところ、仕事の話に切り換わり、セリスは素早く、意識を周囲に向けた。
「ああ、頼む。いつものように」
そう、自分たちの王女は、いつも、貴族のお忍び然とした形で街を歩く。
それだって、かなり危ないことだし、目立つために、もしかして、身元を感付かれているかもしれない。
けれど、セリスは、彼女のこの試みを、拒めなかった。
ただの好奇心だけでなく、王女として、城下の者たちの暮らしの実際を知る。
それは彼女にとって、いくらか浮付いた気持ちはあっても、遊興などではなく、避けてはいけない学びだった。
何が得られると、証明できなくても。
そうしなければならないと、強い瞳で自分を見た彼女を、思い出す。
近年では、あんな、意思を示す瞳を、自分に向けることもなくなったと、感じる。
だからこそ、胸に刻まれてしまったのかもしれない。
それは痛みを伴って。
セリスは、瞼を閉じそうになる。
「そんじゃ、あとでな」
「ああ」
話を終えて、カタリナの部屋の前でクゥと別れると、部屋の扉を叩いた。
お待ちくださいと、応える声は、カタリナの侍女の1人で、名をメリエ・セレリスと言う。
カタリナにとって、姉と言うには年長で、母と言うには若過ぎる彼女は、自身の母から、第1王女付き主幹侍女の役目を継いだ者だ。
一応、立場としては、男である一般侍従が、主幹侍女よりも高位だけれど、セリスには恐ろしくて、彼女に高圧的な態度など取れはしない。
たまに、王女の気を引こうとする貴族の令息令嬢が、彼女に対して、便宜を図ることを強要したり、王女に向けられない苛立ちをぶつけたりもするけれど、そのように不快な連中には、彼女はきっちり、礼をすることを心掛けているのだ。
二度と王女の前に顔を出せないように。
そのような事態を恐れる気持ちは。極力、心の隅に追い遣って、セリスは、今日の王女の予定を確認する。
今年16歳になる王女は現在、公務として、朝の時間を割り当てており、昼以降は、自主学習の時間というのが、大まかな振り分けだ。
今日は半(はん)の日なので、10時から1時間を目安に、第1王女単独での、謁見の時間だ。
予定としては、カタリナの名で毎月、決まった額だけ寄付をしている孤児保護協会の支部長から、先週の報告以降の事柄について、定例報告を受けることが、主な目的だ。
あとは、王女に近付きたい目的の貴族や高位官吏と、王や王妃への取り次ぎなどを願う、それなりに名の知れた、王国の経済に影響を与えられる商人が、情報含む贈り物を持参で現れたり、身を飾るための宝石や被服を売り込みに来る、過去に取引があった商人の再訪があったり、貴族や高位官吏からの紹介のある商人の初訪問がある。
多くの商人の場合は、品物の買い取りという目的があるので、一度でも来たことがあれば、登録され、以降は紹介の必要はないが、初見で不要と判断された場合、次回以降の謁見は、初めての謁見を行う者よりも、順番を下げられるので、時間が経つにつれ、申し込んでも、時間切れで、目的を果たせず城から出されることが多くなる。
前日までに、大体5人までは、支部長含む謁見者の顔触れを決めるので、その確認と、既に申し入れはあったけれど、会うかどうかはカタリナの一存となっている、そのほかの貴族や商人の名を確認し、セリスは、どの辺りで切り上げるかと思案する。
再訪の貴族や商人の中には、カタリナが厭う者もいるので、後回しにして、昼食の時間切れを狙う。
数回続ければ、王女の不興を買ったか、不要と判断されたかと諦めてくれる。
はっきり、会いたくないと王女自ら言う場合も、過去にはあったが、2年も続ければ、担当の官吏たちも学んで、貴族すら後回しにして、初見の商人を通したりする。
元々、貴族と商人には身分の違いがあるので、顔を合わせないよう、王女の謁見希望者の待合室は複数用意されており、そこを更に棚で間仕切るなど、工夫をして、後回しにしたことを気付かせないようにしている。
廊下では、擦れ違うことは避けられないので、身分の低い方を待たせるなどして、やり過ごすのだ。
セリスは、再訪の申し入れの中に、カタリナが厭う者、優先したい者がいるかと、大まかな順序を決めて、ここまでは、必ず通すようにと、担当者に伝えておく。
数が少な過ぎれば、後回しにすべき人物を指定し、多過ぎれば、次回の再訪を相手に相談するようにと、指示してある。
どうしても急ぐ場合は、昼以降に特別に時間を設けることもある。
カタリナには、結婚相手として捻じ込めないかと、息子を連れてくる貴族もいるのだが、これは、侍従であるセリスからの非公式な取り決めとして、会わせないことになっている。
セリスの心情が多少、影響してもいるが、事前に、国王と王后に、会わせてはならない、という命令を受けているのだ。
場合によっては、そこまで明らかにするが、今のところは、謁見よりも、茶会で自然に会う方が、王女には心揺れることだろう、とかなんとか言い包めて、自主的な謁見断念を促している。
なかには、事前には、息子の同伴を明らかにしない者もいるが、その貴族の性質なども含め、身上調査はしてあるので、受付時には、同伴者の有無と、その意味を考え合わせて、必要があれば指示を仰ぐよう、担当者には指導している。
今日も、そのような親子が、ひと組、いや、これは、ふた組来るなと、視線が揺らぐ。
面倒そうな貴族でうんざりする。
「…本日は、ボルファルカルトル国から第2王子殿下がいらっしゃるということで、小さめの夜会を行うそうです」
「は?今日ですか?」
思わず声が尖る。
通常、国賓や…まあそれはあまり無いが、公賓の訪問は事前の知らせがあって然るべきで、当日の、しかも今の時間に判るならば、昨日のうちに知らせてくれてもいいはずだ。
思わず責めるような調子になってしまったので、セリスは、急いで、申し訳ないと謝った。
「メリエも今朝、聞いたのですね」
「そうです。と、言いますか、陛下への伝達が、そもそも、早朝であったということです」
「は?」
「声、声」
「は、申し訳ない。いやしかしそれは…」
いくらなんでも、早朝に飛ばす知らせではあるまい。
夜会をする余裕があるなら、緊迫した用件での訪問ではないはずだし、そうであるなら、異国の王家の者が、当日の訪問を知らせるなど、こちらの都合を全く考えていない、すなわち、配慮をする価値を、こちらに対して見出だしていない、存在を軽く見ているのだと、そう言っているも同然だ。
「いつ到着するかは未定だったようですが、こちらに来られることは、お知らせがあったようです。カタリナ様に知られぬようにということで、このような対応に」
「………」
「ちなみに、内密にとの配慮は、お后様からのものです。誤解のないように。そういうわけで、昼から、衣装合わせをしなければなりません」
「その」
「承知しています。本日は、街の様子をご覧になるということですね。カタリナ様には、王后殿下が15時の茶の席にお誘いだと話してありますので、それまでにお戻りください」
戻ったら、着替えなければならないので、移動の時間も考えれば、実質、1時間の外出だ。
不満をぶつけただろうに、納得させたということだろう。
「ありがとうございます」
「いいえ。そろそろ、カタリナ様も、あなたに甘えることから、離れなければならないでしょう。身の振り方についても考え合わせて、あなたも、対応を変えなければならないはず。こちらの対応にも関わりますから、お手伝いできることは、なんなりと言い付けてください」
「はい…」
そのとき、扉が開く気配を感じて、セリスとメリエは、立ち位置を決めて横に並ぶと、上体を傾けた。
元気に、言い換えれば乱暴に寝室の扉を開けて、カタリナが姿を現した。
「おはよう、セリス!」
「おはようございます」
「ふーん。時間が短くなったって、聞いたんだ」
そうでもなければ、扉の開け方について、嫌みたらしい小言を返しているはずだ。
「そこまで、ご承知ならば、今後も、ご指摘申し上げることは控えましょう。ほかの目が無いからと、差し出がましいことを申してきましたが、既に、ご公務も立派に果たしておられます。今後は、ほかの目が無いからこそ、寛いでいただきたいと存じます」
沈黙が落ちて、カタリナが息を吐いた。
「そう」
短く返して、セリスの視線の先にあった下衣の裾を捌く。
そのまま離れるので、セリスとメリエは上体を戻して、主を見た。
視線の先で、寛いで座りやすい低めの長椅子の中央に、カタリナが、勢いよく座る。
「今日の予定は?」
メリエも承知しているが、段取りはセリスに一任されている。
先ほど知らされた第2王子の訪問など、特別なことは、前日のうちにセリスが知らされ、メリエに伝えて、情報を共有しているのだが、今回は、王后であるカタリナの母から直接、メリエに話を落として、セリスには知らせなかったのだ。
「はい。10時からフランシア・リーの支部長マケス様より定例報告、以降、本日は再訪の商人の挨拶と、あとは、クラール国から歴史学者が挨拶に来ています。11時に、ベレヌゼフ公のご令嬢がいらっしゃいますので、今回は小花の四阿に茶の支度を言い付けていますが、ほかの場所にしましょうか」
公家(こうけ)の当主の1人であるルーク・ベレヌゼフは、現王サファイヤス・バージェス・アサルコオウト・ケイマスの従兄なので、娘のテリーゼ・ベレヌゼフは、カタリナの再従姉妹だ。
本人たちは、血の繋がりは、あまり感じていないようだが、セリスから見ると、仲の良い姉妹そのものだ。
テリーゼは、カタリナの、ふたつ上なので、婚約者候補の1人も居ないために、行き遅れるはずと囁く口は多くなる一方だが、本人は、至ってのんびりと構えているようで、ベレヌゼフ公も、良いんだか悪いんだか、はっきりしない顔で呻くばかりだ。
「小花の庭!今は黄色の花が盛りだったわね!それがいいわ!」
「では、そのように」
テリーゼの訪問は、ベレヌゼフ含む王家の血筋である公家と、国政の主要な貴族である大名の銘家(めいけ)と、豪商である大名の茗家(みょうけ)で行われる公式な茶会について、開催の主催者、時期、金額としての規模、参加者の相談をするためのものだ。
カタリナの公務の一環なので、外せないが、月に数度のことなので、謁見に含んで、時間を取っている。
このため、通常の謁見時間が減ったので、セリスとしては都合が良い。
下心のある貴族たちを目的も果たさせずに追い払うには、良い口実だ。
彼らも、公家の中でも特に力のあるベレヌゼフ公家令嬢が相手では、引き下がるほかあるまい。
自分の力ではないけれど、この場合は、力尽くと言うよりは、相手が身分の高い、令嬢だということと、公務であるという点が重要だ。
「ええ。で、商人の挨拶。誰?」
「はい。レキシント茗家のご当主サブリ様が、ご令姪をお連れです。近々、サールーン国土産のお話しができればと、帰国のご挨拶と、ご令姪の紹介をなさりたいようです」
「あら」
カタリナが、瞳を閃かせる。
この輝きがまた、セリスには堪らない気持ちにさせるのだ。
もちろん、そんなこと、表情や言動には出さないけれど。
さておき、茗家の者が、王女に向けて、血縁の近い娘を会わせるのだから、そこには当然、思惑がある。
折しも、茶会の話し合いが行われる今日、となれば、レキシント茗家に連なる者が情報を流したか。
そこは今後、セリスの方で調べるとして、カタリナは、サブリ・レキシントの思惑に、いくつかの理由を当て嵌めて、どれが正解に近いだろうと、心躍らせている。
サブリは、けして現王家に害意を向ける者ではないが、茗家の者として、家格の維持には積極的に取り組んでいるので、カタリナの立場を利用することもある。
カタリナは、他者が、自分を利用して、何を為すのか、また、成すのか、楽しんで見るところがあるので、そういう観点から、サブリはわりと、気に入られている方だ。
まあ、気が合う、というのが、一番の理由なのだろうけれど。
「サールーン土産ね!ということは、お茶か。王太子の話も聞きたかったけど、きっと無理ね」
ケイマストラ王国では名のある貴族のうちだが、他国に行けば、高が商家、に過ぎない。
大陸の反対の端の1国を拠点とする商人が、王家と言葉を交わすことは難しいだろう。
銘家は官吏なので、相手国に理解してもらいやすい役職名があるけれど、そこに並ぶと言い立てれば、最悪、身の程知らずにも高官を騙る不届き者、と、なりかねない。
それでも、茗家である自分の家格に誇りを持っているのが、サブリという者だ。
カタリナにとって、最も好感を持つのは、その誇りのために、彼が、姻戚関係を結ぼうと、カタリナと息子を引き合わせる、ということを、しないことだ。
ただそれだけ、と言うこともできるけれど、それこそが、サブリという者の性質を、示してもいた。
「近く、席を設けたいわね!明日の朝は、無理だけれど、そうだわ!明日の昼のあと、茶席を設けましょう!ボルファルカルトル国の第2王子も招けばいいわ!いやなやつだったら、ちょっと考えるけど」
「カタリナ様、せめて、気が合わない、程度に」
メリエが、そっと、しかし強い口調で言い立てて、カタリナは、はあいと返事した。
「どちらを使いましょうか」
セリスの、茶会の会場を尋ねる言葉に、カタリナは、ちょっと考えた。
「ん。そうだわ!サブリのところにしましょう。人数とかはサブリの姪と話して、決めるわ。第2王子と気が合わなくても、商家の茶会には呼べなかったと言えばいいもの」
「名案ですね」
澄まして言うセリスを、ちらりとメリエが見たけれど、当人も、カタリナも、気付かなかった。
「商人はそれだけ?」
「同じ船で戻ったようで、葉家(ようけ)のハシバ・クールド様と花家(かけ)のハサマ・フィリス様も、ご挨拶にと、いらっしゃっていますが、2人同時でよいとのお話でしたので、そのように。準の菓家(かけ)の者と、異国の者を含み、商家の者を3名、紹介したいとのことでした」
「異国の者」
「はい。アルシュファイド国の者ということでした。その方のご兄弟もお連れですが、鉱物を扱う職人ということです。商人の兄が挨拶をする王女殿下に、一言も無しでは、礼を失するだろうと、もし煩わしいようなら、ご挨拶の贈り物のみ、預けるということでした」
「何歳なの?」
「弟君ですか。24歳ですね」
謁見希望者には、そこまで申し出させるので、資料を見ながら、セリスは答えた。
年齢として、王女との結婚が考えられないでもないが、職人ならば、身分が不相応だ。
「それで気を引くには、職人というのは…待って、その兄は、本当に、ただの商人?」
「はい。アルシュファイド国には、貴族のような階級制度は無いそうで、お2人とも、官位も持たないそうです。ただ、彼らの、ボルドウィン家というのは、かなり影響力の大きな家柄のようで、貴族より下の扱いは好ましくないだろうという、サブリ様からの、お言葉でした」
カタリナは、大きく目を開いて、セリスを見上げた。
「控えめに過ぎるんじゃないの!?サブリにそこまで言わせるのに…」
「はい。ご紹介は、ご本人に乞われて、葉家と花家に託されましたが、レキシント家でお預かりするお客人だそうです。はっきりと示せる位階が無いので、初見の商人と同じ扱いであれば、その辺りが妥当だろうとお話しされたということです」
葉家と花家は、茗家に次ぐ商家の貴族で、葉家は茗家の血族が多く、花家は茗家の姻戚が多い。
準の菓家と言うのは、準というのが、準貴族という、貴族ではないが、それに次ぐ家格であることを示しており、特に名乗りで付け加えるのは、その名を耳にした時に、高位貴族である花家との、混同を避けている。
準貴族は、そうと認められるだけの、財力や、公職にあることの支配力などで、そこそこの権威を持ち、貴族の特権に倣って、いくらかの特権を与えられている。
なかでも菓家は、葉家と花家の親戚が多い。
そのため、茗家、葉家、花家が運営する商会の管理の一部を任されることが多いが、自分の商会を持つ者は少なく、持っていたとしても、かなり小規模なものになる。
本来、侍者のセリスは、この準貴族より上、貴族より下、という地位だが、縁戚の威光を示されれば、引き下がるしかない。
アルシュファイド王国の商人が、この菓家と並んで頭を下げるのなら、確かに、大きいと表現する影響力の規模が恐ろしくなってくる。
「ん、んー…、まあ、本人が、そう言うならねえ…」
確かに、異国でも通じる明確な格付けは、重要だ。
サブリの言葉が無ければ、葉家と花家が付いているとは言え、こちらにも、保たなければならない警戒がある。
ならばそのまま、初見の一介の商人同様にせよ、という意図と見て、いいのだろうか…。
「もしかして、こちらに、万全の態勢をさせるため…?」
カタリナの呟きに、セリスは、受け取った使者からの書状内容を思い出す。
サブリの自筆で、セリスに宛てた、命令ではなく、忠告と言うより、もっと柔らかな、親しみを感じる手紙。
サブリとは、それほど会話をした記憶はないけれど、幼い頃から、セリスの成長を目にする機会があったので、知人の子供程度には、思ってくれているように感じられた。
「そうですね。サブリ様のお言葉から、そのように受け取ることは、それほど無理がないように存じます。そういうことで、副隊長にも伝えています」
「分かったわ」
その辺りで、朝食の時間になったので、急いで、クラール共和国の歴史学者までを、今日のうちに謁見することが決まった。
そのあとの者たちは、貴族より下の身分ならば、既に来ている者もいるが、後日の謁見などの機会を見るようにということで、基本的には断り、城内で待機中の者は帰らせる。
それでも、どうしても今日中にと言うならば、既に決まった謁見の時間を短めに切り上げていき、11時の約束前に捻じ込むか、昼食前に、擦れ違いにも近い短い時間を与える。
今日は、昼からの予定が詰まっているので、そこまでしか、してやれない。
次回の謁見は、何もなければ来週の半の日の朝の10時からだが、謁見希望者の事前申し込みが多ければ、週の始めの暁の日から、朔、繊、朏の日までのどこかで、朝の公務の時間に謁見時間を組み込む場合もある。
ちなみに、明日の藁の日は、多く茶会などの、貴女たちの公式な会合が開かれる日で、場合によっては、泊まり掛けにもなる。
円の日は、決まった公務は定められていないので、実質、休息の一日、つまり休日、という考えで構わない。
明日は、会合の予定はなかったのだが、カタリナに確認したところ、セリスが来る前に、メリエから、朝はボルファルカルトル国の第2王子の市場見物に同行するようにと、王后パルトリエ・デュオニステ・ケイマスからの命令が伝えられたということだった。
警護は、パルトリエの発した指示により、国王の親衛隊隊長が選抜した、親衛隊の騎士たち10人未満と、カタリナの護衛を2人程度とするそうだ。
クゥが何も言っていなかったと、セリスが、いくらか表情を歪めて思えば、彼にも、事前に知らせないように図られていたのだと、カタリナが言った。
主に表情を読まれるなんて、侍者として、感心できない所業だ。
父が知れば、峻烈な特訓を施されること間違いなしだ。
身を引き締めて、国王家族の食事室までカタリナを送ると、急いで謁見区画に向かう。
国王家族の居住区画から、謁見区画までは、かなり離れているのだ。
カタリナの朝食は、自分と違って長いけれど、家族との会話の中で、何かあれば、中断して席を立つこともある。
現国王家は、仲がいい方だと思うが、カタリナは、すぐ上の兄と口喧嘩をすることが、いくらかある。
以前にもそれで、食事を中座したことがあるのだ。
そのため、急いで、謁見の段取りが整っていることを確かめると、追加の指示など出して、また急いで、食事室まで戻った。
今朝は、無事に間に合ったらしく、髪も乱さず汗も見せず、所定の位置で澄まし顔を作った。
これは、ほかの王子王女の侍者たちも同様だ。
いや、まだ、対外的な公務に就いていない13歳の男女の双子、第4王子シリル・ステイ・グーンベリング・ケイマスと、第2王女ハシア・ミレイ・マナイアフォーラ・ケイマスの侍者たちは、セリスたちの動きに、毎回、感心して目を見張り、身を引き締め直す。
それぞれが姿勢を正すと、それほど間を置かず、食事室の扉が開いて、王子王女が話しながら出てきた。
国王と王后は、こことは部屋の中で対面にある扉から出入りするのだ。
カタリナは、すぐ上の兄、第3王子セイブ・レオンコルト・クリストアーリヤ・ケイマスと口喧嘩をしているようで、その後ろから、2人の弟妹が、表情は違うものの、どちらも興味深そうに聞き入りながら出てきた。
セイブは、今日来る、ボルファルカルトル国の第2王子など、取るに足りない存在だ、という主旨の発言をしており、カタリナは、異国の王家の者を軽んずるべきではない、と返している。
「部屋を出てまで慎めないものを、公の場で隠し果せるとは思えないわ!いいこと!ナリシアが後で聞いて恥ずかしい思いをさせられるようなことがあれば、容赦はしないから!」
「他人の妻を自分のもの扱いしてんじゃねえよ。お前こそ、異国の王家の者ってさ、ナリシアの弟とは思ってないってことなんだな!」
カタリナが、うぐっと息を呑み込んで、セイブは、軽く息を吐いた。
「ま、相手するのはお前なんだ。逆に自分が軽んじられないようにな!」
勢いよく言葉を投げ付けて、セイブは大股で歩き去った。
去り際に、セリスを一睨することを忘れないのは、なんだろうか。
自分は何か、気に障ることをしただろうかと、いつも思い、そして、彼が何も言わず、それ以上のことはしないので、すぐに記憶の隅に置いてしまう。
「姉上、お元気なくなってしまいました?」
ハシアが心配そうに言えば、カタリナは、ぱっと大きな笑顔を見せた。
「大丈夫よ、ありがとう、ハシア。ただ…セイブ兄上の言うことも、尤もだと思っていただけ」
「そうなの?」
シリルが、ちょっと体を斜めにして、下からカタリナの顔を見上げる。
カタリナは、くすりと笑い声を漏らして、弟の頭を撫でた。
「そうなの。セイブは、意地悪だけど、言ってることには、正しいと思えることもある。それにしても、私の言うことが解らないはずがないのに、頑なね」
いくらか考える顔をして、カタリナは弟妹に、すっきりとした笑顔を向けた。
「さて!2人とも、今日は何をするの?」
「算学!」
声の勢いは違うけれど、ぴたりと音が重なる。
王子も王女も、教わることは、それほど変わらず、ただ、王子には剣術を中心に体を動かす技を仕込み、王女には、話術を中心に多方面の知識を詰め込む。
王子は、王女が得る知識の基礎は教わるので、興味があれば、また、必要が生じれば、より深い知識を自主的に求める。
王女は、戦闘訓練は勧められないが、警護の者たちの都合は教わるし、いくらか、護身の技を身に付けることもある。
カタリナは、10歳になる頃から、剣を持つようになったものの、自力では、通常の重みのある剣を、片腕で振ることはできない。
ひととき、扱っているように見せることはできるけれど、それだけだ。
今でも、訓練を欠かさないのは、向上よりも、身に付けた技の保持に努めているからだ。
カタリナは、物覚えが良かったのか、13歳の頃には、王女としての一般教養を身に付けていたので、第1王女だったこともあり、14歳になる年から公務を始めていたが、通常は、15歳になる年から求められる。
それもあって、同じ年に生まれたセイブは、カタリナに対して、面白くない感情があるらしく、顔を合わせると憎まれ口を叩く。
ケイマストラ王国では、男よりも女の地位が低い。
ただそれは、王国維持の基盤のようなもので、夫が妻を虐げていれば、伉儷互助の原則を掲げる法規に則って裁かれ、刑罰を科せられる。
夫妻や、兄弟姉妹はもちろん、貴族の階級に於いても、官位や、各軍、各隊に於いても、男女の地位の高低は、どちらかを冷遇するためのものではなく、区別に条件を加えて、明確さを強めようとする意図で作られた。
かつて、ケイマストラ王国の前にこの地にあった、男尊女卑を謳っていた王国を、悪弊を敷いていたとして排斥し、新たに踏み出した王国では、何が違うのか、示したものだ。
それが、相互扶助の原則。
社会的地位を同じくする者は、互いに助け合わなければならない。
男は、同位の女に命令してもよいが、その内容は、相手の持つものの存続を脅かすものであってはならない。
相手…人が持つもの。
金品のように目に見えるものはもちろん、身体に対して、また、精神に対して、傷を負わせてはならないし、奪ってもいけない。
セイブは、王家の一員として、この原則を決して蔑ろにしない。
そういう人物だと、カタリナは知っているから、自分に対して、きつく当たるのは、上下関係による蔑視ではなく、本人にもどうしようもない、荒れた感情なのだろうと考えている。
そこで、配慮するために理解を突き詰めようと思わない辺り、自分は、かなり冷たい妹だなと思う。
自覚しながら、カタリナは、弟妹に手を引かれ、王子用の鍛練場に向かった。
そちらには、待機中の、シリルとハシアの警護の者たちが、活動場外で、実際に動きながら、警護の都合について話し合いを重ねているようだった。
カタリナたちを見ると、さっと並んで、簡単に黙礼を示す。
シリルは、剣を取って、先に活動場内に入り、ハシアは、腰布を、さっと取り払うと、侍女に預けて、自分も剣を取った。
初めて、腰布を一瞬で取り去ったのを見た時は、驚き慌てたものだが、ハシアの腰布は、通常、着用するものと違い、着脱が簡単にできるように特別に作らせたもので、その下に着ている筒服も、女たちが常用する、あまり見せるものでない意匠と違って、男たちが着用するような、きちんとした活動着なのだった。
ハシアは、なぜか、自力で剣も持てないようなカタリナの護身の術に感銘を受けて、双子の兄と共に剣術を学び始めた。
もう5年にもなるか、今では、騎士だって、ひやりとさせられるような腕前だ。
カタリナの目には、シリルよりもハシアの方が熟練しているように見えるけれど、最後はいつも、シリル優位で終わる。
ハシアが、本気で悔しそうにするので、どうやら、彼女の方が技量で負けているらしいと思うのだが、カタリナには、見分けるだけの眼力が無いようだ。
今回も、ハシアは、最後まで決定打というものは作れずに終わり、むうと膨れるが、シリルの笑顔を差し出されて、仕方ないなと笑い、またいつもの、おっとりとした笑顔に戻って、カタリナを見る。
自分に向けては、年齢に見合わない甘えを見せているように感じるけれど、ああいうところは、きちんと成長しているのだと、覚らせるので、ちょっぴり寂しく、そして、誇らしい。
双子に返すカタリナの笑顔は、姉、と呼ぶべきもので、セリスは、この顔が、とても好きだと何度でも思う。
カタリナに見せるための手合わせを終えた双子は、鍛練の観覧用の四阿で、飲み物をいただきながら、姉の今日の予定を聞き、共に城下に出たいと強請った。
「そうね。構わないけれど、こんなに急では、警護の段取りに支障があるわ。隊長たちが、良いと言ってくれたら、一緒に行きましょう」
「はい!姉上!」
今度は、勢いも、ぴったり合って、シリルとハシアが、顔を見合わせて笑い、早速、自分たちの護衛隊長の許へと駆けていった。
そろそろ、謁見の時間でもあるので、カタリナも、一旦、自室へと戻る。
着替えはしないが、耳と首元と髪に宝石を飾り、頬紅と口紅を差して、身支度を整える。
美少女、と言うなら、今はまだ13歳の、ハシアの方が似合っているけれど、この姿を見て、美しい以外の形容は難しい。
美少女、といった、きらきらしい輝きでもなく、美女、という艶やかな婉麗でもなく。
王女として整った、誇りを見る感動、だろうか。
思わず姿勢を正してしまう。
ケイマストラ王国の第1王女は、そういう人物だ。
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