第1001飛行女子戦隊

5/6
前へ
/24ページ
次へ
 食堂は円形テーブルが幾つも並び、赤い内装でまとめられている。 軍の殺風景な食堂というより典型的な台湾料理の店のようだった。隊員たちが食後のお喋りに興じている。朝食の時間ももう終わりかけていた。食事時間は決められていたが、めいめいが勝手なものを注文している。きちんと計算された空中勤務者の給養は、なし崩しになっていた。信じられないほど贅沢になったと言うべきだろう。今時、栄養失調はないが偏りが生じることは否めず、栄養士による検査まで行われる始末だった。 「おはようございます、機長」 「おはよう」  テーブルは機ごとにわかれている。碧の10番機……第2中隊長機の空中勤務者たちは食事を終えていた。いちいち直立不動で敬礼したりはしない。碧は大尉だったが、階級はあって無いようなものだった。同じ部隊の仲間なら、例え階級が上のものでも、せいぜい敬語を使うくらいだった。滅多やたらに階級を連発すると女の子の軍隊ゴッコのようで感心できないと碧も思っていた。  黒龍の乗員は8名だった。機長兼副操縦士の碧、正操縦士の雪、航法士の茜、爆撃手兼第2航法士の杏、機上機関士の山吹、尾部射手の若葉、上方射手の浅黄、下方射手の藍。指揮を執る機長は、操縦のみに集中しているわけにはいかないので、別に正操縦士をおいて機長を副操縦士とする。 「機長は何を?」  やや面長で色の白い娘が碧に声をかけた。女子飛行隊の平均的な髪型ともいえるショートボブカットにしている。 「そうねえ。炒米粉(焼ビーフン)にでもするわ。あと煮卵と椰汁西米露(タピオカ入りココナッツミルク)」  正操縦士の雪は、碧と同じく内地出身だった。それなりに長い付き合いだった。  冷静沈着、腕のいい操縦士で、華のある艶やかな美しい娘だった。十分な腕があるが素行不良のせいか、機長には昇進していなかった。名家の娘だったのだが、男遊びの挙げ句、政界を巻き込んだ醜聞を起こして勘当されたという。碧は相棒たる雪に全幅の信頼を置いていた。任せられる副操縦士を持つことは、機長の上、第2中隊長も兼ねる碧にとって大助かりだった。 「注文してきます!」 航法士の茜が立ち上がった。茜も随分長い間、碧と一緒に飛んでいた。沖縄出身の茜は、地黒で目がぱっちりとしている、小柄で元気、利発な娘だった。 「どうぞ」  爆撃手兼第2航法士の杏が内地から取り寄せた焙じ茶を置く。これが軍にいる娘かというおっとりとした印象を与える。  お茶の温度は碧の好みだった。温めなのは気を回してくれたのだろう。なんとなく得をしたような気持ちになる。 「ありがとう」  少し目を伏せて頬を赤らめる杏。おとなしい娘だった。  新人はお茶当番を義務付けられている。杏は碧の機に乗り込んでから、まだ三ヶ月程度の新人、初年兵だった。まずまず馴染んできているようだ、と碧は判断している。新人を育てるのも機長の役目だった。  碧の機に、新しく人員が補充されるのは理由があった。黒龍が1機撃墜されるとそれだけで8名の空中勤務者が失われる。補充の機体と8名の新人がおくられてくるが、新人は補充機に搭乗させない。それなりの経験者が、各機から抽出され補充機の乗員にされる。新人は各機から抜けた人員の穴埋めに回されて、そこで経験を積むことになっていた。  補充された杏は、みなから、アーメンさん、と仇名されている熱心なキリスト教徒で、大陸北部の朝鮮族の出身だった。    現在、大日本帝国軍の半分は、同盟国出身者となっていた。北はシベリアから南はインドネシア、東は太平洋上の島々から西は東トルキスタンまでの広大な勢力範囲の支配は、志願した女子を含めても到底日本人だけではまかなえない。  しかも、富裕になった日本人にとって、もはや兵士という職業は魅力的ではなかった。最低限の徴兵をつとめるだけで、さっさと社会へと戻りたがる。大学を出て勤め人になる方が将来を約束されていた。農民も労働者も自分たちの子供だけは新たな都市中産階級にしたいと考えていた。富裕層の徴兵逃れも続出していた。  では、大東亜共栄圏の理想どおり、同盟国軍に全て任せるのかというと、日本は、「独立させてやった」同盟国もあまり信頼しておらず、常に手綱をつけているような有様だった。  結局、大日本帝国軍にアジア人を入れていくという折衷案をとっていた。アジア各国の貧困層は、最底辺の境遇から抜け出すために、自国よりよい待遇を与えてくれる大日本帝国軍に志願する。女子部隊は、一段とその傾向が激しい。軍に入隊すると適当な日本人名を与えられた。源氏名と自虐的に呼んでいる。 「おはよう」 「おはようございます。機長」 席をつめる。機上機関士の山吹は、碧より年上で、古手の空中勤務者、いわゆる「魔女」と言われるベテラン下士官だった。いつも、狭い機内で長身を折りたたむようにして、エンジンや機体の面倒を見ている。  無口な山吹は、大陸の南方で子供の頃に人身売買にあったが、トラックから逃げ出してきたという。  機上機関整備についての取説冊子を熱心に読んでいる。最近、この手の取説は、日本語がまだ完璧でない隊員のために、漫画で描かれていたが、山吹は日本人むけの複雑な取説を読みこなしていた。  紅茶を飲みながら、お喋りに熱中している機体後部の尾部、上方、下方の射手、若葉、浅黄、藍の三人は日本系の東南アジア系外地人だった。日本人の勤め人が出張した際、現地妻との間に作った置き土産だった。若葉が古株で、藍が中堅、浅黄が新人だったが、いつも一緒に行動する仲良し三人組だった。  碧の目の前には、湯気を立てた大盛りの炒米粉が運ばれてくる。野菜と海老がたっぷりと入っていて、独特の食欲をそそる香りが鼻を突く。酢橘をかける。 煮卵は、烏龍茶と香辛料で煮込んだ台湾独特の黒い茶葉卵だった。甘い椰汁西米露はデザート。  朝は良く食べておかなければならない、というのは碧の信条だった。士官学校でしごかれた時は、まともに朝食をとる暇すら与えられなかった。朝の点検で徹底的に絞られるので、朝食の時間は五分残っていればいい方で、午前の課業はいつも空きっ腹を抱えていた。その反動で朝は胃を満たすものを食べることにしていた。  ひどく早食いになってしまったので、最近は意識してゆっくり食べるようにしている。  食べ終わって、焙じ茶を啜っていると紫苑の姿が目に入った。 「ちょっと失礼」 「またウチのお姫様のお守りですか」  からかい気味の表情の雪。 「ええ」  碧は立ち上がって、紫苑のいるテーブルに向かう。  紫苑は、くつろいでいる自機の空中勤務者に囲まれ、気だるそうな顔をして、竜果やライチ、マンゴーなどの果物を摘んでいた。半分ほど減った椰汁西米露の入ったコップが置かれている。 「朝御飯くらい、きちんと食べてください」  寝起きの紫苑は御機嫌麗しくないため、恐れをなして誰も声をかけない。紫苑に、あれこれ言えるのは第2中隊長であり、紫苑の補佐をつとめる碧の特権だった。 「うるさいわねえ。小姑みたい」 白い指でライチの薄皮を丁寧に剥き、果肉を口に運ぶ。滴る果汁を舐め取る。 「朝なんか、果物くらいしか食べたくないわ」  溜息をつく紫苑。 「それでは健康を害しますよ」 「あなたみたいに、朝から馬鹿食いしないの。本当に良く入るわね。あなたの胃は冥府にでも繋がっているんでしょ」 「もう食事時間が終わります」 いくら御落胤とはいえ、この我侭ぶりで、どうやって空軍女子士官学校を卒業したのだろう。毎度ながら呆れてしまう。 機を見るに敏で、的確かつ積極果敢な空中指揮を執る、と評される紫苑は、地上では自堕落で退廃的な貴族そのものだった。確かに紫苑は本物の貴族でもあった。やんごとなき公家一族の父と、満州貴族の母との道ならぬ恋の末に生まれた紫苑の詳しい素性は知らないが、碧から見れば雲上人であることに間違いない。 「甘いものなら、食べられるんですか」 「まあね」 「では」  碧は料理人を呼んで、広東語で指図をする。数分後、蜂蜜を塗ったフレンチトーストが運ばれてきた。 「これならば、食べられますか」 「ええ、おいしそうね」  紫苑がフレンチトーストを頬張る。 「うん、美味、美味」  本当に美味しそうな顔をして食べるなあ、と碧は、ひどく楽しい気分になる。紫苑はそういう意味で食べるのが上手だと思う。 「休暇はどうするの?」  「私は文書の作成がありますから」 「そうだったわね」  第2中隊長の碧は連絡通報、作戦命令起案、戦果記録、戦闘詳報などを取りまとめる作戦主務も兼任していたので、地上でも仕事は山ほどあった。副戦隊長兼第1中隊長の紫苑は、事務仕事に一切といっていいくらい興味が無い。その分、碧がやらなければならなかった。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加