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春らしい爽やかな風が吹いた。それは丘の上に座る大樹を撫でると、そのまま麓の花畑へ滑っていく。
暖色の花が咲く中で、空よりも薄い青髪が揺れた。
「――あなたは、覚えてますか?」
揺れる髪を抑えながら、青髪の少女は一人話し始める。
「ここは、冒険者なら誰もが訪れたことのある、初心者向けの薬草採取区域です。大気中の魔力濃度の影響か、町の外にも関わらず、この場所には滅多に魔物が近寄りません。そのことからこの区域は、比較的安全な採取場所とされています」
少女は棍棒を片手に、ぐるりと周囲を見渡した。見えた景色は小さな丘と大樹。どこまでも広がる花畑と、うっすら遠くに見える森。人の姿はどこにもない。
「それでどうですか? この場所は覚えてますか?」
少女はおもむろに棍棒へ目をやった。背丈より少し長い漆黒の棍棒。その両端には、青い石がはめられている。
「あのクロウさん、聞いてますか?」
優しく声を掛けるものの、クロウと呼ばれた棍棒は何も発さない。当然だ。相手は殴打用の武器として扱われる「木製の棒」。話さないのが普通である。しかし少女は返事を待つように、じっと棍棒を見つめた。だがやはり、返事はない。
一分と経たないうちに、少女からふっと渇いた息が漏れた。どうやらしびれを切らしたらしい。少女がクロウをぶんぶんと軽く振り始めると、それは叫んだ。
「うわあぁぁ! ア、アーフェやめろ! それは……よ、酔うって――!」
少女ことアーフェが手を止めると、クロウは「うえ……」と声を漏らす。
「大丈夫ですか?」
「吐きそう……」
「棒は吐きません。出来てもしないでください」
クロウは「あー……」と、苦しそうに返事をする。その様子にアーフェは小さくため息をこぼすと、優しくクロウを花畑へ横たわらせた。
「これで、少しは落ち着きますか?」
ぽかぽかと暖かい気温。優しい風。ほんのり甘い花の香り。寝転がりたくなるような柔らかい草花。それはまるで、この場所が「休んでください」と言っているかのようだった。
「あぁ……落ち着き過ぎてこのまま寝そう」
「その前に答えてください。クロウさんあなたは、この場所を覚えてますか?」
ザァァっと、少し強めの風が吹く。いくつか花びらが散り舞っていく中で、クロウは答えた。
「覚えてない。この景色も、匂いも、漂う魔力も――俺の記憶に無い」
クロウの言葉に、アーフェは口元へ指を当てる。
「そうですか……。記憶を喪失する前のあなたが冒険者であれば、この場所には必ず訪れているはず。ですが、記憶に無いということは冒険者ではなかったか。あるいは――」
ぶつぶつと話すアーフェに「待て待て!」とクロウが声を上げた。
「何度も言ってるが、俺は棒になる前はすんごい冒険者だったんだよ! 「冒険者じゃなかった」ってのはありえない!」
「すんごい冒険者、ですか」
アーフェはじっと疑うような目を向ける。
「な、なんだよその目は」
「いえ別に。ただ、すんごい冒険者であったあなたが、若かりし頃何度も訪れたでしょうこの場所を覚えていないのは、本当に不思議だなぁと思っているだけです」
「喧嘩売ってるのか!?」
酔いは完全に覚めたようで、クロウはギャンギャンと文句を言う。そんなクロウを尻目に、アーフェはふと花畑へ目を向けた。
「おや、あんなところに可愛いお花が」
「露骨に話をそらそうとするな!」
「いえ見てください。この場所では珍しい色ですよ」
クロウを手に、アーフェはその花へ近付く。
「この場所で青い花なんて、私初めて見るかもしれません」
暖色の中にぽつんと、守られるように。しかしその存在をはっきりと主張している青い小さな花がそこに咲いていた。
「あ、もしかして新種の花だったりしますかね? 花弁の一枚でもギルドに持ち帰って調べてもらいましょうか」
膝を付き、アーフェがそっと花弁に手を伸ばす。
「――触るな!!」
遅かった。クロウの警告よりも早く、アーフェは花弁に触れていた。瞬く間に花に触れた指を、手を――深緑の蔓が絡み飲み込んでいく。
「気をつけろ! 引っ張られるぞ!」
瞬間、アーフェの体がぐんっと強く引かれた。花畑を滑るように、どこかへ向かって雑に引きずられていく。腰に下げている短剣が、アーフェへ存在を知らせるようにカタカタを音を立てるものの、右手にクロウを持ち、左手が使えない今、その音は雑音でしかない。
やがて花畑を抜け、森に入った時だった。突然、蔓がアーフェの腕を解放した。
「あ――」
勢いよく引かれていた為に、その体は森の奥へ向かって転がる。だが偶然か、アーフェの目の前に障害物はなく、草の上を少し強めに滑った程度で済んだ。
「アーフェ大丈夫か!? なぁ!!」
「っ……問題ないです。それより――」
「動くな!」
体を動かそうとしたアーフェをクロウが制止する。今度は間に合ったらしく、アーフェは動かない。
「擬態する蔓を使って獲物を釣り、本体の側へ引っ張ってきてから養分を吸い取る植物型の魔物。魔力を失った獲物は放置され、肉食の魔物に食べられる。動くものの養分を吸い取る為、動かないことが第一」
説明文を読むように、クロウはスラスラと蔓の正体について話す。
「なるほど。それで、私にどうしろと? 黙って喰われるのを覚悟しろって話ですか?」
「待て違うって! 対策は今思い出す――」
話を遮るように、アーフェとクロウの間に蔓が現れた。しなやかな蔓は、いつの間にかクロウに絡みついている。獲物(動くもの)と判断されたのは、クロウだ。
「た、助け――」
待っているのは締め付けか、真っ二つか。だがクロウの悲鳴は、魔物の断末魔によってかき消された。
「惜しかったですねクロウさん」
落ち着いた様子で声をかけるアーフェ。クロウに「動くな」と言われてからずっとうつ伏せのままだが、その手には電気を帯びた短剣が握られている。これでクロウの拘束を解いたらしい。
「時間切れです」
スッと体を起こすと、アーフェは弱々しく地を這う蔓に短剣を突き刺した。恨めしく動いていた蔓は一瞬大きく跳ねた後、静かに枯れる。
「――ラフラシア。あなたが解説してくださった魔物の名です。その対処方法は」
草木をかき分け、四方から現れた蔓がアーフェに襲いかかろうとする。だがそれをわかっていたかのように、アーフェは向かって来る蔓を軽々と避けていく。
「一つ。動きは速くないので腕に自信があれば逃げることも可能」
何としてでもアーフェの動きを止めたいのか。蔓の動きは変わらないが、避け続けている為その数はどんどん増えていく。
「“――紫電” “――白疾風”」
魔力の込められた言霊――詠唱により、弱りかけていた短剣とアーフェの足元に電気が帯びる。短剣を握り直すと、アーフェは目にも留まらぬ速さで蔓を切り刻んでいった。
「二つ。蔓は硬く鋭いが魔法に弱く、魔法が当たった場所は肉質が柔らかくなる為斬りやすい」
断末魔と共に、大量の蔓がボタボタと地へ落ちていく。蔓から出た青色の体液も垂れては地面で跳ね、アーフェの服に飛び散っている。
「や……やっつけたのか?」
「いいえ、人間で言う髪の毛を斬っただけです」
トンッと軽く足で地面を叩くと、アーフェの足元に帯びていた電気が消えた。
「本体を叩くのはこれからですよ」
瞬間、アーフェとクロウは巨大な影におおわれる。
「な、な……」と声を震わせるクロウを、アーフェは背中の専用ホルダーに優しく納めた。それから「あっ」と思い出したように、クロウに声をかける。
「そう言えばクロウさん、この魔物の別名は覚えてますか?」
アーフェとクロウの頭上に現れたのは、巨大な花だった。赤い花弁に青色の斑点模様。花芯は口のようになっており、数え切れない程の鋭利な棘が歯のように並んでいる。そしてその大きさは、木々に隠され測れない。
「ひ、人喰い花……」
「正解です」
クロウの叫びと、ラフラシア(人喰い花)の奇声が重なる。
「うわああぁぁぁ!! く、喰われる!! アーフェなんとかしろ! 俺はまだ死ぬわけにはいかねぇんだよ!!」
耳元で喚くクロウに、アーフェはフッと鬱陶しそうにため息をこぼす。
「棒は棒らしく黙っててください。
“――白疾風”」
再び足元に電気をまとわせると、アーフェはラフラシアに向かって真っ直ぐ跳んだ。
「ラフラシアの対処方法三つ目。五つある花弁の肉質は非常に柔らかく、そのどこかに心臓がある。ただし、個体によって心臓の位置は異なる」
どこからともなく伸びてくる蔓を避け、斬り、あるいは踏みつけながら。アーフェはその花弁目掛けて突き進む。だが一向に、その距離は縮まらない。
「おいおいおい、アーフェ。どんどん離されてるぞ」
「わかってます。ですが……」
考える隙も与えないとばかりに、無数の蔓が延々とアーフェへ襲いかかる。
「くっ……本体の一部を確認しただけでは、この個体がどれほどの養分を吸収しているのか予想が……再生も速過ぎます」
「だったら、相手よりも速く動けるように魔法をかければいいだろ!」
「支援魔法は、魔力を注ぐほど強力になったり長時間の使用を可能とします。ただし、魔法を体に直接付与した場合にそれを行えば体に障害が――」
ピタッと、一瞬アーフェの動きが止まった。蔓もそれに反応して、一斉にアーフェへ向かって来る。
「アーフェ!!」
クロウの声に、アーフェはハッとして蔓の一斉攻撃を避け、まとめて一閃した。そのまま後退しつつ、迫りくる蔓を切り落としていく。
「離れてどうするんだよ! お前は近接型なんだから近付かないと――」
「そうですね。私は、近接型です」
そう言いながら、アーフェはクロウを手に取りホルダーから外した。
「“――火神の剛腕”」
クロウを手にしたアーフェの右腕に炎が渦巻く。赤々と燃えているが、アーフェの表情に熱さはない。
「クロウさん、ありがとうございます。お陰で良い案が浮かびました」
「は? 何する気だ?」
「ラフラシアを倒します。私と、クロウさんの二人で」
フフッと笑みを浮かべるアーフェ。
その姿は、蔓の猛攻に翻弄されていた先程とは違う。襲いかかってくる蔓を無闇に斬らず、しかし体への負担に配慮し、少ない動きで戦い続ける。
戦場で、アーフェは踊っていた。
「……嫌な予感しかしないんだが」
「クロウさんにお任せするのは、ラフラシアに頭突きするだけの簡単な仕事です」
「んなもん出来るか! 棍棒の俺に無理な仕事押し付けるな!」
「いいえ、クロウさんなら出来ます」
四方からの猛攻が緩んだ隙に、アーフェは周囲の蔓を一掃する。そのまま流れるような動きで、クロウを水平に持ち肩の高さまで上げた。その先端は、僅かに空へ向いている。
「なぜならあなたは、すんごい冒険者だったからです!!」
標的はラフラシア。今は、花弁の一部しか姿が見えていないが、アーフェの目に迷いは見られない。燃え盛る右腕でクロウを投げ放ちながら、アーフェは詠唱をする。
「“――紫電”」
クロウがまとったのは、アーフェの短剣に付与された「切れ味が良くなる電気」という可愛いものではなかった。眩い光に包まれ、不穏な音を鳴らし、帯びる電気は斬り裂くだけに留まらず、迫りくる蔓を焼き焦がす。
大量の魔力を注がれた支援魔法は、クロウを雷そのものにした。
「ふざ――」
クロウの叫びが一瞬にして遠退いた直後、巨木へ雷が落ちる。空は一面青の晴れ。落雷は、クロウがその巨木へ激突した影響のようだ。
アーフェは周囲の蔓が枯れていく姿を確認すると、付与していた魔法を全て解除し走った。
「クロウさんっ、生きてま……すか」
ほどなくして、落雷があった場所へ辿り着いたアーフェ。その目に映ったのは巨木でもクロウでもなく、花をむしり取られた茎の姿だった。変わり果てたラフラシアには、口はもちろん心臓がある花弁もない。あるのは、いくつもの太い蔓が重なって出来た体だった部分だけ。
「どうりで、苦労したわけです」
アーフェはフッと口元を緩める。だがその瞳は、ラフラシアを捉えたまま動く気配がない。
本体は塵と化してしまった為、正確な大きさは不明だ。しかし、体の部分だけで言えば、その大きさは巨木に劣らない立派なもの。
「これは私が魔力を節約しなかったお陰か。それとも――」
言いかけて、言葉を止めた。アーフェは視線を上に向けると、何かを探すようにじっと見つめる。
最初に落ちできたのは、声だった。
「ぅぅぁぁぁ!!」
徐々に大きくなる声。同時に、声の主が姿を見せる。
「ぅぁぁあああ!!」
回転するクロウが叫びながら落ちてくるのを目視すると、アーフェは静かにその場から少し下がった。直後、アーフェが立っていた場所にクロウが勢いよく突き刺さる。
「う……おま……ふ、ふざけ………うぇ……」
回転しながら落ちてきたせいだろうか。クロウの声に、少し多めの嘔気が混ざっている。
「お疲れ様でしたクロウさん。こんなに大きなラフラシアを討伐するなんて素晴らしいです。さすが、元すんごい冒険者ですね」
「っ……ゆる、さな…………うぐっ」
褒め称えるアーフェに、クロウは嘔気に加えて多めの憎しみを混ぜて答えると、そのまま静かになった。話すのも辛いのか、それとも気絶したのか。棍棒であるクロウの表情は、誰にもわからない。
「これにてラフラシアの緊急討伐依頼完了です。本当にお疲れ様でした。クロウさん」
ただの棍棒のように黙るクロウを、アーフェは割れ物を扱うようにそっと撫でる。その口元は、優しく笑んでいた。
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