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「ねぇ、覚えてる?」
何を、と思った。
ただ、声にはならなかった。
私が無言でいるのを何ととったのか、目の前の彼女は自分の顔を指さして子供をあやす様にこう言う。
「わ・た・し。本当に覚えてないの?」
動じず、じっと彼女を見つめていただけなのに、否定ととらなかったのか。
私の疑念を読み取ったかのように、彼女はふわりと微笑む。
そして、ふわりふわりと漂う彼女に顔をその柔らかい両手で包み込まれた。
「思い出して?」
手の温かさに比例して声が遠くなる。
まるで眠りに誘われるかのようだ。
「怖くないわ」
ふわふわ心地よい感覚に全てを奪われて、その声はとうとう届かなかった。
しかし、ふわふわとしているにもかかわらず、抱擁の強さは増していく。
現実的な重みに変わっていく。
完全に目を閉じた時、優しかった声は悲痛な叫びへと変わっていた。
泣き叫んでいるようで、言葉は聞き取れない。
目を開けて光に慣らすと、私にしがみついて泣き叫んでいる女性をなだめようとする看護師が見えた。
引き剥がそうとしない疲弊した様子の看護師を見て、この女性が何者か分かってしまった。
そして、彼女が誰なのかも。
「もう大丈夫だよ、お母さん」
そう言って私はふわりと微笑む。
私は私が覚えているから。
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