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「ねぇ。私のこと、憶えている?」
彼女は、うちに初めて来る客にはいつも同じ質問をする。
彼女、松原恵子は、わたし松原有三の妻だ。
妻恵子が客に、なぜそのような質問をするのかについてはあとで話すとして、わたしと彼女は、ほどよく愛し合っている。全面的に何の不満も無く愛し合っているとは言いがたいのは、世の中の多くの夫婦について言えることだと思う。だから、ほどよく愛し合っていると言ったら、それは実際の所、かなりうまく行っているということが言えると思う。
わたしの仕事は画家。洋画家というのが分り易いだろうか。けれどさほど売れていない。業界的には知り合いもほどほどにいるが、世間一般にはほぼ無名というのが本当のところだ。
それでもわたしは画家としてやっていけている。それはなんと言ってもパトロンがいるから。つまりわたしを手厚く援助してくれる後援者がいるということだ。それが妻である。
妻はまずわたしと知り合い、二人は愛し合い、結婚を約束した。そのときから彼女はわたしのパトロンになった。彼女は資産家なのだ。厳密には、彼女の父親が一代で大きな資産を造り、しかしながら若くして世を去り、その資産を一人娘である彼女が受け継いだということだ。彼女は父親の血を受け継いだのだろう、若いが鋭い経営手腕を持っていて、普段は会社の運営や投資先を実務上の経営陣に任せていても、いざというときに彼女が口を出すようだ。わたしは会社の経営には全く関係が無いので内情はそれくらいしか知らないが、会社と彼女の関係はうまくいっているし、会社も悪くない業績を続けているのだから、問題は無いと言い切って良さそうである。そんな彼女だから、わたしという売れない絵描きを一人、支援することなど雑作も無いことだった。ただ、支援するだけなら酔狂な趣味の一つと思われたが、結婚まですると話は少し変わって来て、彼女の周囲には反対する者も少なからずいたようだ。そういう時反対する人間は、わたしが彼女を食い物にして無駄な私財を使わせたり、わたしが彼女への影響力を持って会社の経営にくちばしを挟むようになったりすることを恐れているのだと思う。けれどわたしは、彼女の仕事にはまるで興味が無い。だから当然、彼女の仕事について何の口も出さなかった。わたしはそういう意味で彼女に影響が無いということを周囲の人間に理解されるまで、少なくとも1年以上を要しただろう。わたしは周囲の納得を勝ち取るまでいわれの無い中傷にさらされたり、釘を刺されたり、脅しを掛けられたりした。
わたしについて周囲から「警戒される季節」が過ぎて、わたしはまたやっと絵の制作に没頭できるようになった。わたしは彼女と恋愛をし結婚にこぎ着け、実際に結婚生活に入り、その間の幸福な時間について、本当なら多くの画家がそうしているように自分の幸せな気分や愛した女性の姿を絵にして残すことを望んだが、それらを破壊する周囲の干渉で、そのような煌めく幸福の季節を形に出来ないうちに逃してしまったのだった。愛する女性との結婚という得がたい経験の絶頂を絵に出来なかったのは、わたしの製作活動の中で傑作を生む可能性を闇に葬ってしまったような気がして無念さが湧いた。
実際に結婚して長く一緒に暮らし始めると、互いに相手の見えないものが見え、感じなかったことを感じる。
わたしは絵を描くことに熱中できていればそれでよかったし、彼女は、わたしがそうしていればそれでよかったのだろう。つまりわたしたちは、一緒に暮らし始めて一つ屋根の下にいても、わたし自身、家庭内のことに関心を向けることが少なかったし、そういうわたしを理解していた彼女にも取り立てて不満は無かったのだ。時折わたしが製作の手を休め、彼女が芸術とは対極的な金銭の話を中断して時間を作ったとき、簡単でも食事をして、並んで窓から花咲く庭を眺め、遠い山の端に夕日が沈むのを見れば幸せが感じられたのである。
そういう生活はわたしにとって不満は少なかった。生活に不安の無い芸術は、売れたいという必死さが画面に投影されないので、いい絵は描けないという向きもいるだろうが、「何も不安が無いからこそ描ける世界」というのもあると、わたしは思っていた。とにかくどんな状況であろうと、この先に突き抜ける力というのが必要なのだと。
わたしは妻恵子が主催するパーティーなどにも頻繁に同席したが、そこでは、そんな風にわたしの芸術感を披露していた。わたしの話を聞く多くの相手は、わたしが妻のカネで生きている取るに足らない画家と考えていて、そんな男の戯言と思いながらも分かったような顔をして聞き入ってくれるのである。
そんなわけでわたしはよく、格差婚などとも言われたが、夫の方が収入が上で妻が家庭に収まっていた場合は、そうは言わないだろう。なぜだろうか。夫婦のどちらかが生活の収入を稼ぎ出し、一方が相手の生活のサポートに回るというだけで、性質上何の違いも無いはずである。もっとも、うちの場合は家庭内のことは家政婦を頼んでいたから、わたしが全面的に家事をやることは無かったが。
妻は今日も、パーティーで集まった人たちに聞いている。
「あなたは、わたしのことを憶えている?」
「ああ。すみません。招待をいただいたので出席しましたが、お目にかかるのは初めてだと思います」
「いえ、いいんです。おかしなことを聞いてゴメンナサイ。わたしもいろんな人に会うから、いつも先に、お会いしたことがあるか確かめているんです。散々お話ししてから、実は初対面だったとかっていうことありません?話を適当に合わせていたけど、とか」
彼女はケラケラと笑った。相手の男性も同調して笑っていた。
彼女が『わたしのことを憶えている?』と聞く相手は対象の条件が決まっている。それは、彼女が知らない男性であること、だ。そして、質問された男性が彼女のことを『知っている』と答えると、さらにいろいろなことを彼女は相手の男性に質問していく。『彼女自身は相手の男性を知らないのに、相手の男性は彼女を知っている』。それが重要なのだ。
わたしは彼女がそういう行動をしている理由がよく分かっていた。けれどそれが少し的外れで、恐らく実を結ばない行為であることも分かっている。だがわたしはそれについて彼女に口を挟んだりはしない。彼女が思うように好きなようにしていて構わないと思っている。そうして思っていながら、彼女のその行動を横で眺めているのである。
妻恵子は美しい。素地のいい彼女の姿に、メイクも髪型も服も装飾品も一級品を当てているのだから、さながら映画スターのようである。わたしはその彼女の肖像画を数回描いている。これからも描くつもりでいる。その絵の中には彼女の裸像もある。彼女は絵のモデルとしても素晴らしいと思う。そんな女性から、「わたしを憶えている?」と聞かれた男は、大概ドギマギする。その男性が妻同伴だったりすると、一悶着起きてもおかしくない。そういう時彼女は、丁寧に相手男性の奥さんに謝罪する。「人の顔を覚えていなくて、よく失敗するの」と決まった説明を加える。わたしも謝罪に加勢して一緒に謝ることがある。そうすることで、少し怒りに傾いた相手男性の奥さんは一応落ち着いてくれるのだ。
妻恵子がこういうことをするようになった理由をいよいよ話したいと思う。
彼女が以前にあるパーティーに一人で出席し、いつもならそういうことはあまりないのだが、かなり酔って帰宅したことがある。
人間、たまには羽目を外すこともあるとわたしも思っているが、わたしは飲酒の習慣がない。どんな酒席に出ても、最初に配られる乾杯用のコップとかをせいぜい一口。あとはコップを持っているだけで口は付けない。許されるならソフトドリンクを最初からチョイスする。だから、酒を飲んで羽目を外すという思考や状況は、わたしには厳密には分からない。外から観察した限りの理解である。
そのときの妻は本当に酔っていて、わたしも少し驚いた。何が彼女にそうさせたかは分からなかった。
彼女はわたしの介抱に身を委ねた。夜は遅かったがわたしはまだ絵を描いていた。彼女を支える様なことになるとは思っていなかったので絵の具に汚れた仕事着を着たまま彼女を迎えて、そして足元の怪しい彼女を抱きかかえて、そのときの彼女の服は恐らく絵の具のシミが移っただろう。
私は彼女をリビングのソファに座らせてコップで水を与えた。コップがまともに持てなかったので、わたしが手を添えて水を飲ませた。彼女は咽せそうになったがなんとか事なきを得て落ち着いた。
ソファで彼女はなにか意味の通らないことを少し話して自分で笑っていた。わたしは、酒に酔うというのは楽しそうにも見えたが滑稽にも見えた。わたしは酔っ払いを見ると嫌悪感を憶える。自分が酒を飲まないから、生涯同調できない状況が拒絶反応を起こさせているようだった。こういう妻を見るのは好きでは無いと思った。
彼女は何か話していたが急に話題がわたしのことになった。
わたしも彼女の対面の椅子に座り彼女の話に耳を傾けていた。彼女の顔つきが今までに見たことが無いような、夢見るような顔だったのでスケッチに描き取ろうかと思ったほどだった。
彼女の話の内容は、どうも誰かに、わたしという夫について何かしらなじられたりからかわれたりしたことを示唆していた。飛び飛びの不明瞭な彼女のことばの中にヒモだとか寄生虫だとか、そんな単語が聞き取れた。それは彼女がわたしについて言ったことでは無く、誰かにそう言われたということなのは理解できた。それでもわたしが快く感じられないのは当然だったが。
彼女は何かを切っ掛けに自分の夫が嘲られてテンションが上がり、度を超して酒を飲んでしまったのだろうとわたしは予測した。夫婦が互いに納得しているのに、波風は外からも吹いてくるのだ。
わたしは彼女の話に相づちを打ち、「そうでしょう?」などという唐突なわけの分からない同調の要求に丁寧に応じた。
そして彼女は、ここだけはハッキリと正しい口調でわたしに言った。
「……だからね、彼は利益は生まないわ。投資という意味でなら今のところ、長期間結果が出てないから失敗ね。でも、そういうことじゃないのよ……」
そう言って彼女はソファで眠りに落ちてしまった。
「そういうことじゃないとは、どういうことか」
恐らく彼女はわたしの立場を庇ってくれたのだろうことは推察できた。それでもやはり、「投資としては失敗」という表現がわたしには辛かったし、それは出来れば聞きたくない話だった。投資としては失敗だが、そういうことじゃないというのは、それはもう、画家としてのわたしの存在意義は無く、ただ彼女に養われて、撫でられたときに気持ちよさげにする愛玩動物に過ぎないのだと思い知らされた。
わたしはそれ以来、絵筆が進まなくなった。
自分では意識していなかった、画家のプライドが恵子を怒りの対象にしてしまった。無残で惨めな気持ちだった。
「フン。ダメな創作がいよいよダメになった」
自分で嘆いていた。こういう時に酒を飲めればよいのかも知れないとも思った。
彼女は、あの夜自分が何を言ったかまるで憶えていなかったし、わたしは表面的には平静を保っていたから、恐らく彼女はわたしの変化に気づかなかった。
わたしは彼女を愛していたからこそ憎さが増した。
「酒が入っているからこその本音」
わたしにはそのことだけが頭にこびりついた。
わたしは自分の人生の惨めさに気づかされたことに腹を立てた。
そしてわたしは自分の心の中に起きた怪異について考えなければならなくなった。愛する者をそう見えなくなったことに恐怖を覚えなければならなくなった。ずっと哀れであった自分を認めなければならなくなった。わたしの内面を今彼女に見られたら驚愕するだろうと思った。
わたしは家の最上階の天窓のあるアトリエとしての部屋に閉じこもった。わたしは暗く閉じられた世界で考えた。彼女が時折わたしに話しかけて来たが、「製作に集中したいから」と言ってドアを開けなかった。こういうことは初めてだった。もしかすると彼女は、わたしのこの変化について、「ついに画家として光を浴びるときが来たのかも」と思ったかも知れなかった。だがわたしが考えていることは違っていた。わたしは自分の中で悪どい考えが増殖するのを感じ、それを抑えることが出来なくなっていた。
それを抑えることがなぜそれほど困難だったのか。
わたしはついに思いあまって彼女をこの世界から消してしまうことを実行に移した。
「家に地下室がある。そこで外部から入った強盗の手で偶発的に殺されたように見せて欲しい。この日なら彼女は家にいる。わたしは理由を付けて外出するから……」
わたしはプロの殺し屋を雇った。客が望む形で対象を殺害してくれるという。
わたしは自分の手で妻を手に掛ける勇気が無かった。とんだ意気地無しだ。
そしてわたしの依頼は実行された。
わたしはいもしない友人との約束を話して外出し夜を待った。
妻だけの家に殺し屋は侵入し、彼女を脅し、地下室へ連れ込み、地下の金庫を開けさせ、中の金をバッグに詰め、そして彼女を絞殺した。金庫の中に用意された金が殺し屋への報酬だった。
わたしはすべてのことが終わった時刻に帰宅し、妻が居ないことに疑問を持ち、家中を探したのち、地下室で妻の変わり果てた姿を発見し、警察に通報する。
そうするはずだった。
だが、わたしが帰宅するとリビングに妻が居た。彼女はわたしの顔を見て、
「お帰りなさい。楽しかった?」とにこやかに笑って聞いてきた。
わたしはこれがどういう事態なのか分からなかった。依頼の殺し屋は目的は達成したと連絡をしてきていた。「死んだはずの彼女は生きていたのか?」。そうとしか考えられなかった。
わたしは確かめようと地下室に降りた。金庫とテーブルと椅子。パソコン。部屋の中央に、恵子が倒れていた。わたしは恵子の傍に膝をついて息を確かめた。
「死んでいる……」
わたしは体中の力が抜けて血が冷たくなった気がした。
「誰だか分からないの。黒い覆面をしていたの。声とか体の大きさとか力とかは、男の人だった」
わたしの後ろで恵子がそう言った。
わたしは振り向いた。地下室への階段を降りたところに彼女が立っていた。
「男は強盗だったのかも知れないけれど、だけど変なの、私に『恵子さんだね』って言ったの。だから向こうは私のことを知っていたのね。でも、私はその男は声も聞いたことが無いし、体つきとかしぐさとか、見覚えが無かったの……」
恵子はまるで、昨日のことでも思い出して話すように言うのだった。
わたしは喉に何かが詰まってしまったような痛みを感じ、いくら何かを言おうとしても声にならなかった。
「私、あの男を捜すわ」
彼女のそのことばにわたしは震えるように頷いた。
恵子はそれ以来、確かに実体のまま、今までどおりにわたしとの暮らしを続けた。
それはほかの誰の目にも実体として存在した。そして、地下室の恵子の体も確かにそこにあった。
彼女はわたしがしたことに何も気づいていなかった。私になんの咎め立てもなかった。そして彼女はそれ以来、何かの折に見知らぬ男性に会うと、
「私のこと、憶えてますか?」と尋ねるようになったのだ。
わたしはずっと、狂いそうな精神状態だったが、恵子が当たり前のように実体として振る舞っているのを見ているうち、感覚が麻痺してしまった。わたしは何食わぬ顔で恵子に接っする様に出来た。
彼女はたぶん、少なくとも、自分を殺した男を見つけるまでこの状態を保つのだろうと思った。だが、彼女が探す相手はプロの殺し屋だ。わざわざもう一度、恵子の前に姿を現すことは無かった。
わたしはそのころから、何枚も何枚も、取り憑かれたように恵子の肖像を描いた。肖像だけではない、さまざまなシチュエーションで彼女を画面に入れた絵を描いた。わたしは恵子に対する愛情が、彼女が死んでから深まったように感じていた。そして、今も生きているかのように傍にいてくれることに感謝した。いや、生きているとしか思えなくなっていた。
それは、わたしの晩年まで続いた。
わたしは結局、生きている間に画家として名をなすことは無かった。それでも、恵子の絵を描くことはわたしに大きな生き甲斐を与えてくれ、充実していた。
地下室の恵子の体はわたしが棺に入れて大切にしまっておいた。
わたしは毎日、棺の彼女に会い、祈りを捧げた。
わたしに微笑んでくれる彼女と棺の中の彼女とに、わたしは心の中で許しを請い、神に許しを請うた。
やがてわたしは年老いて世を去り、同時に恵子もこの世から消えた。結局、彼女を殺した強盗犯人は見つかることは無かった。
わたしたちが住んでいた家は古く使い道が無いと考えられ、家の中のものが財産としてめぼしいものが無いかと親戚一同に提示された。その中に、わたしが描き続けた、無数の恵子の絵があった。そして、地下室で棺に納められた、若い恵子の肉体も発見された。それは全く世の中の道理に反していた。恵子は70才を当に過ぎていたが、わたしの死と同時に所在が分からなくなり、代わりに今、30才くらいの彼女の肉体が棺から発見された。これらのことは説明が出来ないまま、事件としては迷宮入となったあと、不穏な伝説として語られるようになった。それに関連して、わたしが描き続けた恵子の絵に注目が集まり、生前ほとんど相手にされなかった絵画の評論家から好評を得、ほかにも心霊研究家や、話題を追うメディアにも取り上げられ、わたしの絵は高値を付けて売れたのだった。
わたしのその絵は、飾った家の男性に、
「ねぇ。わたしを憶えている?」と尋ねるそうだ。
わたしは、美しい愛しい彼女を多くの絵に描き残せたことを心からよかったと思っている。
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