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辞めるを選んで花婿探しが決まりました
「仕事を辞めたい、だと?」
デカい手の中にすっぽり収まっていたグラスがガシャリと音を立てて粉々に砕け散ったのを見て俺は震え上がった。
ヤツの皮膚は細かいガラスの破片など刺さることがないらしい。ゆっくり開いた手から割れた破片が、執務室の赤い絨毯の上にポロポロとこぼれ落ちていった。
この世界での俺の親父で、イエロールーン家の当主ことザキアンは、三白眼の瞳で俺をギロリと睨んできた。
「……はい」
心のほとんどは逃げ出していたが、ここで逃げるわけにはいかないと、僅かに残ったものだけでなんとか立っていた。
何しろこの一言を言うために三週間もがかったのだ。
俺はビビっていた。
ビビって何が悪い!
何たって俺の親父は熊のようにデカくて、獰猛な肉食獣の外見そのもの。若い頃の戦争で負った傷が目元に付いていて、それがまた恐ろしさに拍車をかけている。
「遊び呆けていたお前を更生させるために、俺がどれだけ苦労して学園の仕事を掴んできたか分かるか?」
「それは…あの、確かにそうですけど……」
「散々問題を起こして、幼いガキにまで手を出しかけて、あの時は揉み消すためにいくら使ったか分かっているんだろうな?」
あぁ、やっぱりアリアスそういう事していたのねと悲しくなったが、もう過去のものとして丸め込むしかない。
「ちょっと職場の環境が……合ってないかなと……」
「三年も勤めて何を言っているんだ!まさか……今度は、生徒に手を出したんじゃないだろうな!?」
いやいや、親父さん。アンタの息子出しまくりだったから今更ですよ、とはとても言えない。
視線だけで殺されそうな眼力を受けて、チビりそうになった俺は思わず後ろに下がった。
「ご…誤解なんです!むしろ俺が狙われているというか…襲うのはアッチで…あの、食うというより、そっちの危険が……」
必死に考えていた言い訳を伝えようとしたが、支離滅裂な言葉になってしまった。
猛獣を前にして裸の俺が冷静になるなんてとてもできなかった。
そんなテンパった俺の話などまったく聞いていない様子で親父は目を伏せて何やら考えるようにブツブツと口を動かしていた。
やがて、パッと目が開いて再び俺を視線で捕らえた時、そこには得体の知れない決意のようなものが感じられた。
「お前ももう、23になるのだから、仕事の話ではなく、結婚のことを考えろ!兄達は10代で婚約してすぐ結婚している。お前は遅いくらいだぞ」
「え……結婚って、男と……ですよね?」
つい飛び出してしまった台詞に、親父の顔はぐにゃりと歪んだ。
当たり前の話だ。
なぜならこの世界は、既に女性は絶滅して男だけになってしまったのだから。
男同士で結婚して、男が妊娠して男を産む。
実にシンプルな世界だ。そして、俺も当然男の腹から生まれた。
「当たり前だ。何をバカなことを言うんだ。ちゃんと身を固めていないのだから、遊びまわって結局仕事も満足に続かないのだろう。もう、俺は決めたぞ!」
「……なっ、何をですか!?」
「今年以内に婚約して結婚するんだ!爵位を待つ貴族なら相手は誰でもいい。この条件ですむなら俺は寛大だろう」
「は…!?はい????むっ…無理ですよ!!そんなの!!」
俺の悲痛な声にも親父は眉ひとつ動かさない。元から甘えてどうこうできるタイプではないが、その目にはこうと決めたら絶対に曲げない意思が感じられた。
俺は前世の記憶があるいわゆる転生者だ。しかもこの世界は自分の意思で選んだ。
もう思い出すだけで悔しいが、俺を転生させたヤツらのざっくりとした説明で、てっきり女の子と楽しくハーレムできるゲームの世界だと思い込んだのだ。
しかし、実際は女の子は既に絶滅していて、男だけのむさ苦しい世界。しかも、攻略対象者で攻めキャラのはずだった俺は、なぜか総受けの主人公に襲われてバックバージンを失い、しかも他の攻略対象者からも狙われるというフザけた展開になってしまった。
俺の体は受けの体質に目覚めたらしく、ヤツらに触れられるだけで体はヘロヘロ、あそこがギンギンになってしまう。
最悪のゲームに迷い込んでしまった。
俺にとっての悲劇は手を緩めることを知らない。
俺の周りの人間というのが、揃いも揃って強面でデカい図体の男ばかりで、毎日蟻になったような気分だ。
この親父もそうだし、上の兄二人もアスリート一家かよと思うくらいデカい。
誰にも逆らえないし、毎日ビクビクする生活を送っているのだ。
しかも、せっかく学園から逃げようと決心したのに、ここに来て結婚命令とは、俺は頭痛がして頭を抱えた。
「……ひとつだけ、忠告しておく。スペルマだけはやめておけ」
親父が悲しそうに溢したその言葉を聞いて、俺の心臓はドキリと鳴った。
「兄達とは違い、お前は家族が一緒にいる幸せを知らないだろう。家族を持つなら、お前に俺のような気持ちを味わって欲しくないんだ」
さっきまで獰猛な熊にしか見えなかった親父が、やけに小さくなったように感じた。おいおい、ここに来て俺の心臓を揺さぶるのはやめてくれとため息が出そうになった。
「今年はもう半分過ぎているからな。時間はあまりないぞ。もし達成できなければ、お前を島に送る」
「なっ…!!島ってまさか…」
「パラダイス島だ」
「そんなぁぁぁ!!絶対嫌だぁ!!おとーさまーーー!!」
俺の絶叫が屋敷に響き渡った。
結婚か島送りか、俺の最悪な日々はもう底かと思いきや、底を突き抜けていくらしい。
親父との話し合いの何を間違えたのかも、最初から間違えていたのかもよく分からない。
とにかく、全く意図しない方向に進んでしまい、自ら首を絞めてしまうという悲しすぎる結果になった。
アリアス•イエロールーンという、ハーレムゲームの世界で美少年を食い散らかすキャラクターに転生して三ヶ月が経った。
主人公キャラのデューク、同僚のジェラルドに後ろを奪われてから、とにかく尻を死守する日々は続いていた。
相変わらず二人から襲われるし、他の攻略キャラ、ルナソルとライジンも近づいてきて、ちっとも油断できない。
そんな日々に疲れてしまい、俺は仕事を辞めたいと意を決して父親に打ち明けた。
22歳にもなってパパに相談とはと思われるかもしれないが、寿命が現実世界とは異なり長いためこの世界の成人は30歳。それまでは親に決定権があり、何事も親の承諾が必要になる。
ウザったいことこの上ないのだが、仕方なく三週間も悶々としながら機会を待っていた。
それなのに、話し合いの結果、最悪の方向に傾いてしまった。
「まさか、結婚を言い出すなんて。ちくしょう!あのクソ親父!フザけんな!」
自分の部屋に戻った俺は枕をブンブン投げてベッドに叩きつけた。
こうやってストレス解消するしかない。力ではとても敵わないのだから。
本当は仕事を辞めてどこか田舎の農地にでも行って畑を耕して暮らそうかと考えていた。もうラブゲームなんてうんざりしていたからだ。
しかし、パラダイス島送りと言われて従わないわけにいかなくなってしまった。
パラダイス島は攻略本によると、バッドエンドに出てくる場所で、パラダイスとは名ばかりの、体を酷使した労働を目的とした島。鉱山の発掘をメインとして、石運びをひたすらさせられる超ブラックな環境の仕事が待っている。
貴族の間で放蕩すぎる息子を更生させるための施設として使われることがあり、ラブゲームに失敗した主人公はそこへ送られて怪我をして感染症で死ぬエンドを迎える。
まさに今、またもやゲームの主人公と同じ道を辿ろうとしている状況に、もう絶望と言うしかなかった。
結婚と考えて、ふと先程の悲しげな親父の横顔を思い出した。
上の兄二人は結婚して家庭を持ち別に暮らしているが、彼らと俺は母親、母親と言ってもまぁ男なのだがそれが違う。
彼らの母親は若くして死んでしまい、後妻として俺の母親がこの家にやってきた。
その俺の母親が、スペルマだった。
かつて女子の数が減っていきやがて滅亡していく間、男達は新たな進化を遂げた。
それが妊娠できる体になることだったが、その中でもより優れた進化として、女性と同じように男を瞬時に受け入れられるように変化した者達がいた。
それがスペルマだ。
軽い刺激や精神的な興奮で、いわゆる後ろのアソコが準備万端状態になり、交尾に特化した性能を発揮する。妊娠すらも自分で操ることができるという。
しかし、このスペルマというのは、相当そっちに振りきってしまうらしく、本格的に目覚めると一人のオスでは満足できなくなり、男を誘うフェロモンを垂れ流して、たくさんの精を求めてしまうらしい。
俺の親父は知っていたらしいが、それでも俺の母親を好きになった。
本能を甘く見ていた親父は一緒にいてくれると思っていたらしいが、結局俺を産んだ後、母親は本能に負けて家を飛び出して行ってしまったそうだ。
その後、気まぐれに何度か戻ってくることはあったが、やがてそれもなくなった。
今はどこで何をしているかさっぱり分からない。
スペルマは女王蜂と呼ばれて、一人の男に留まることができない。
親父は痛い目をみた自分の経験から俺に選ぶなと言ってくれたらしいが、なんとも言えない気まずい気持ちだった。
前にその話を親父から聞いた時、もしかしたら自分もそうなのかもしれないと思ったからだ。
ヤツらに触れられた時に起こる明らかにおかしい自分の体の変化に疑問を持ち、自分なりに本を読み漁って調べてみた。スペルマの特徴である誰でも反応するというより、今のところゲームの登場人物限定なので断定はできなかった。
医学書には完全にスペルマになったとしても日常生活は普通に送れるから、彼氏を複数持っておいて、適当に発散するのがオススメなんて軽く書かれていて卒倒しそうになった。
本当に何もかも信じられない世界だ。
涙で枕を濡らしながら、俺は眠りについたのだった。
翌日も仕事のやる気は全然でなかったが、給与をもらう以上やることはやらないといけない。
この世界はそもそも魔法が使えるやつが多いので、多少のかすり傷とかなら、わざわざ保健室に来なくてもみんな自分で治してしまう。
俺の仕事といえば、書類の整理だったり、定期的に開かれる学校保健学会の資料作成、症例の研究などがほとんどだ。
ゲームのキャラ達がいなければ、のんびりできる時間もあるので楽な仕事だった。
しかし今日は学園の会議に出て、なかなか話がまとまらずに、気疲れする時間を過ごして、昼食を食べる元気もなく机に突っ伏していた。
もちろん、昨夜の父親との話し合いで、俺の精神はズタボロにされた。もうどうしていいか分からなくて途方に暮れていた。
「はぁ…もうどうしたらいいんだ」
「何?何かあったのかよ」
「んっ…、年内中に親父に結婚しろって迫られてて…、出来なければ島送りなんだよ。もう、最悪」
「なんだ、そんなことか。じゃ、俺としようよ、結婚」
俺は何をベラベラ話してしているんだとハッとしてガバッと顔を上げた。無意識に聞こえてきた声に応えてしまったが、結婚しようと言われて慌てて周りを見渡した。
「おまっ…デューク!入室禁止のはずだぞ!」
「あ?入ってないし。窓から話しかけているだけだ」
以前保健室のベッドで襲われて以来、ゲームの主人公であるデュークとジェラルドは保健室の入室禁止を言い渡してある。
しかし、デュークは窓から半身を乗り出して、入ってないからと主張してきた。
「先生俺、魔力も使えるし剣もそこそこ、良いモノ持ってると思うんだけど、俺じゃだめ?」
「いや、だめとかそういう事ではなく、そもそも俺は結婚なんてするつもりがな……」
「だったら、島に行くつもりか?元軍のトップだったお前の親父さんなら本気でやるだろうな」
ガラガラとドアを開けて入ってきたのは、ジェラルドだった。こいつも入室禁止のはずだが、ズカズカ入ってきて、当然のように椅子に座ってしまった。
「いつから話を聞いていたんですか?ジェラルド先生。入室禁止!完全無視してますよ」
「アリアス先生の様子がおかしいから来てみたんだ。結婚なんて話題は聞き流せないからな。結婚するなら俺にしておけ、心も体も満足させてやる」
「だぁ!年寄りが何言ってんだよ!割り込んでくんじゃねー!」
新犬猿の仲の二人が、バチバチと火花を散らしてまたいつもの争いに発展しそうになった時、ガラガラとドアが開けられて、また誰かが入ってきた。
「今前を通りかかって、結婚と聞こえたのですが、どういうことですか?」
「保健医結婚すんのか?俺のメスになるんじゃなかったのか!!」
ゲームの攻略対象者である、ルナソルとライジンが飛び込んできて、これで登場人物が揃ってしまった。
予期せぬ二人の登場にデュークとジェラルドも振り上げていた拳を下ろして顔を見合わせた。
なんでこんな事になってしまったのだろう。
誰かに問いたくても誰も応えてはくれない。
清々しいくらいの総受けの構図がこの部屋に出来ている気がしてもう帰りたくてたまらなかった。
しかし、どこへ帰っても心の休まる場所など存在しない。
この状況だけでも何とかしないといけないので、俺は仕方なく立ち上がり重い口を開いたのだった。
「つまり、お父様の過剰な心配に火がついてしまい、結婚の期限を決められてしまった、と言う事ですね」
さすがインテリ担当のルナソルだ。俺の拙い説明を綺麗にまとめてくれた。とりあえずみんな納得して帰っていくだろうと思ったが、どっかりと腰を下ろしたまま誰も席を立たなかった。
「だから、俺にしろよ先生。俺が先生の面倒見るって…」
「剣の腕なら誰にも負けない。保健医のことを守れるのは俺だけだ」
「はいはい、君達。お子様は結婚とか早すぎるから。ここは年齢的にも俺であればお父様を安心させることができる」
デューク、ライジン、ジェラルドが順に口を開いて、好き勝手なことを言い始めたので、またぐちゃぐちゃになってしまった。
もう止める気力もなくて項垂れる俺を助けてくれるように、またルナソルがパチパチと手を叩いて声を上げた。
「皆さん、譲る気がないのであれば、やはり、アリアス先生に選んでいただくのがよろしいでしょう」
「ルナソル、俺は選ぶとか……」
「アリアス先生、まだ養育の権利をお持ちのお父様に逆らう事は得策とは思えません。結婚相手をこれから探すのは時間もかかります。今名乗り出ている私達から選んだ方が効率的にも良いのでは?」
「で……でも、俺、急に結婚とか……」
「今すぐに選べとは言いません。それぞれと一定期間過ごしていただき、結婚相手として相応しいかどうかを判断してみてはいかがですか?」
ルナソルの意見に逃げることしか頭になかった俺だったが、ぐらりと揺れるものがあった。
親父の命令を無視して逃げ続ける事はできない。男と結婚するなんて嫌すぎるけど、中でも少しでもマシな相手であればずっと逃げ続けるより良いかもしれないと思ってしまった。
「お父様にパラダイス島へ送られるより、賢明な判断だと思いますよ」
最後の一言が背中を押して、俺はそうだなと頷いてしまった。
頷いてから、ん?と思ったけど、すでに男共はやってやるーと騒ぎ始めてしまいやっぱりやめたと言える雰囲気でなくなってしまった。
これが正解なのか、最悪のエンドへの一歩なのか俺には全然分からない。
ただただ不安が滝のように上から落ちてきて、受け止めきれずにガクンと項垂れた。
注がれる視線を全身で感じながら、俺は無言でしばらく床を見続けることしかできなかった。
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