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旦那様は安心安全で選びます
この世界に転生した俺に付いていたおまけといえば攻略本だ。
誰も攻略するつもりなどなかったので、普段は床に転がっているが、それをまたじっくり見なければいけないことになってしまった。
ベッドに入ってから、いつもならすぐ眠りについていたが、その時間を割いて攻略本を読み込む時間にする。
とにかく島流しになんてことになったら、か弱い俺の体では、確実に怪我から死の道を辿るとしか思えない。
この世界やたらとタフでデカい体のヤツが多いが、そいつらを基準にされたらたまったもんじゃない。
俺は空っぽの頭を何とか働かせてみたが、やはり、ルナソルの意見に従うのが良さそうだと結論に至った。アイツは頭がいいキャラだし間違いないだろう。
最悪、するだけして結婚なんて嫌だったら離婚して逃げてしまえばいい。
婚約者に名乗り出たキャラ達と順番に過ごす事になったが、最初に手を挙げたのはデュークだった。
さすが主人公と言うべきか、堂々と先陣を切ってきた。
過ごすといっても普段は学園なので、生活は大して変わらないだろう。
とりあえず一緒にいて、一番安全でかつ俺の言うことを聞いてくれそうなヤツを選ぼうと思っている。
それに関してはデュークが一番気持ちが楽であるのは確かだ。
俺は攻略本のデュークのページを見た。当たり前だが主人公なので、彼をどう攻略するかなんてことは載っていない。ストーリー上必要な簡単な紹介だけだ。それでも主人公であるからあの中ではまともな人物だろう。
よく攻略本を読むとこのゲームはいわゆる受けではない主人公を無理やり受けにするという、そういうのが好きなニッチな層に向けたものだった。
だから思考がそっちのデュークは、ごく自然に突っ込まれるより、俺に突っ込む方を選んだ。今更そんなところに気がついても仕方がないのだが、そういう前提があったのだ。
今のところ、俺の中ではジェラルド以外はどうにかできそうな気がしている。体はデカい連中だが所詮は年下だ。大人の巧みな誘導によって上手いこと俺の思い通りに大人しく過ごせるだろう思っている……、というか願っている。
俺はもやとやと胸に広がった不安をかき消すように、攻略本を抱えてベッドに転がった。どうか無難に明日からの日々が乗り切れますようにと願いながら目を閉じた。
「アリアス先生!さぁ、入って!入って!」
キラキラと緑の目を輝かせて俺を部屋に向かい入れてくれたのは、主人公デュークだ。
こんなことありかよと思っていたのだが、ジェラルドとルナソルが校長に話を通して、俺の婚約者選びを学園が全力で応援してくれる事になってしまった。
どうプレゼンしたのかサッパリ分からないが、校長の有り難くないご好意によって、俺は選択期間中、各人の寮の部屋に泊まり一緒の時間を過ごす事になった。
おかげで授業終わりの放課後、自宅から届いた荷物を持ってデュークの部屋に運び入れるはめになった。
学生相手に本当にいいのかと信じられなかったが、全員親の承認までもらってきたというから泡を吹いた。
うちの親父に至っては大爆笑で面白いことになってきたと言いやがった。
まったく、なんて親父なんだ。
「先生…あぁ…先生と二人きりで過ごせるなんて俺…」
「ちょっ…!ちょっと待て!」
俺を部屋に招き入れたデュークは早速サカって抱きついて来たので、バッと胸を押して離れた。
「い…いいか!デューク!俺はヤるためにここに来たわけじゃない!性格とか相性とか一緒に暮らす上で大事なものを確かめたいんだ。だから、無理矢理ヤられるのは好きじゃない!その辺分かって欲しい」
頭の中、それしかないお年頃だ。最初にビシッと言っておかなければと俺は強めに言い放った。
俺が真面目な顔をしているからか、デュークはじっと俺を見つめてきた後、ゆっくり目を伏せて分かったと言った。
「……先生に、俺を好きになって欲しい。無理強いはしない」
デュークが寂しげに、ぽつりとこぼした台詞に俺の胸はトクンと鳴った……。
……いやいや、トクンじゃねーし!!
「まぁ…ほら、分かってくれたならいい。よろしくな」
短い期間だが、嫌な空気で過ごしたくないので、笑いかけてみたが、ぷいっと横を向かれてしまった。ティーンエイジャーというのは、どこの世界でも扱いが難しいらしい。
「とりあえず俺は荷物だけ置いたら仕事に戻るから先に寝ていてくれ。夕食はいらないし」
「はぁ!?先生また戻るのか!?夕食を食べないってどういうことだよ!」
「学会に送る書類が終わってないんだよ。食堂から適当にパンでも持って行くから大丈夫だ」
俺は荷物を玄関に放り投げて、じゃあなと言ってさっさとドアを閉めた。
この世界に転生して記憶も知識もなく、その状態で仕事をしないといけなくなり、おかげて人の何倍も時間がかかる。
文字の読み書きなど基本的なことはできるが、専門的なことになると、サッパリ分からなくて苦労している。
といっても、もともとの俺、アリアスも仕事に関しては適当だったらしく、その辺りを不審に思われることはない。
むしろ、最近はとても仕事に熱心ですねなんて言われる方だ。
職場に戻った俺は山積みになった書類を見てため息をついた。これでは婚約する前に職を失ってしまう。
なぜこの世界にはパソコンがないのかと嘆きながら、仕方なくペンを手に取って机に向かったのだった。
「……先生、アリアス先生」
「んっ……」
誰かに肩を揺すられて、俺は重い瞼をゆっくり開いた。辺りはすっかり暗くなっていて、蝋燭の灯りがぼんやりと揺れていた。
「心配になって来てみたら、いつもこんな事してるのかよ」
耳に残る低く響く声で、俺を起こしたのがデュークだと気が付いた。
どうやら、書類を書きながら寝てしまったらしい。
思いきり涎で濡れている書類を見てやってしまったと項垂れた。
「こんな時間まで…しかも、こんなところで寝るなんて……風邪ひくだろ。ほら、もう帰るぞ!嫌だって言っても連れて行くから」
「だっ!!おまっ…!うわぁぁ!!」
さすが筋肉もりもりのデカい体のデュークに、椅子から引っ張り出されて、担ぎ上げられてしまった。
「食事は?どうせ食べてないんだろう」
この世界の人間は、食事とか休息を大事にするらしい。
前世のサラリーマン時代の新人の頃なんて、朝一番に出勤して、残業して深夜にタクシーで帰るみたな時もあった。
一食抜くくらい大した事ないと思うのだが、食事は大事だとピシャリと怒られてしまった。
まさか、年下で生徒でもあるデュークに怒られる日が来るとは思わなかった。
担ぎ上げられたまま校舎を出て、寮のデュークの部屋に戻ると、テーブルの上には美味そうな料理が並べられていた。それをデュークの魔法で温めてくれた。電子レンジみたいだと、ボケッと眺めてしまった。
「俺が作ったから、あまり味は保証しないけど」
「嘘!?デュークが!?魔法じゃなくて?」
口を大きく開けて驚いている俺を見て、デュークはおかしそうに笑った。
デュークによると、魔法はあるものをどうにかするのは簡単らしいのだが、全くないものを一から作り出すのは意外と体力がいるらしい。
料理に関しては、材料から形成してそれをまた組み直してと、複雑な肯定があるらしく、それなら自分で作った方が早いと、食堂の厨房を借りて作ってきたそうだ。
「う……うまい!!うちのコックの百倍は美味い!!」
うまそうな匂いに腹が猛烈に空いて、かぶりつくようにデュークの用意した料理を食べ始めた。
スープも肉も料理の名前も分からなかったが、美味すぎて手が止まらない。ガツガツかっこんで食べていたら、あっという間に全て平らげてしまった。
「お腹が空いてたんじゃん。こんなに食べてくれると作った甲斐があるな」
「デューク、お前、公爵家のお坊っちゃまだろう。まさか、こんなに料理が作れるなんて信じられな……」
そこまで言ってたら俺はハッと気が付いたが、時すでに遅し。デュークの方を見ると、悲しそうな顔をして目を伏せていた。
公爵の父と平民の母親との間に生まれたデューク。一度は母親と共に無情にも市井に捨てられた。
息子が貴族の血を引いているとはいえ、切り捨てられた親子は、周りからひどい扱いを受けることになる。
母の死をキッカケに、貴族だけが持つと言われている魔力を発動した。しかもそれが公爵家でも稀有な力であったために、デュークは公爵家に引き取られる。
しかし、そこでも身分違いだとバカにされていじめられる日々を送ってきた。
一度捨てた息子を利用できるからといって、自分勝手に引き入れるような父親が、愛情など持ち合わせているわけがない。
屋敷の使用人達にもいじめられ、まともな食事を取らせてもらえなかった主人公は、みんなが寝静まったころ、一人で厨房に忍び込んで料理を作っていた、という説明を思い出した。
「誰かに自分が作ったものを食べてもらうのは初めてだ。美味しいって喜んでもらうのは、悪くない」
デュークを見ると、全力で愛情に飢えている幼い子供のようだった。
そんな姿を見せられて、しかも事情も知っているし、俺のちっぽけな良心はグラグラと揺れてしまった。
体を簡単に清めてからベッドに入ると、先に布団をかぶっていたデュークの背中が見えた。
別々に寝たかったが、このためにベッドをわざわざ用意してもらうのが申し訳なかった。
幸い学園のベッドは男が二人寝ても余るくらい大きいので助かった。
「……たまに思うんだ。なんで俺、魔力なんて使えるんだろうって……。この力があるせいで……俺はいつも人を傷つけてしまう」
寝ていると思っていたデュークは起きていた。先程のやり取りで嫌な思い出でもつつかれたのか、沈んだ声で話し始めた。
いつも自信たっぷりに見えて、偉そうな顔をしているくせに、その背中は小さく震えていて、もう勘弁してくれと俺は目元を押さえて深く息を吐いた。
「一番傷ついているのはデューク、お前だよ」
「………」
「大人達にいいように好き勝手されて、利用されて。他の誰でもない、傷つけられてきたのはお前だ」
なんとか慰めてやりたくて、俺は隣に寝転んでデュークを背中から抱きしめた。
デュークの体はビクリと揺れて拒むように硬くなった。
いつも触れるとバカみたいに熱くなる俺の体だが、今は冷たいくらいに冷えていた。どうやら、ある程度はコントロールできるらしい。
「魔力なんてなくても生きていけるけど、あれば便利なんだし、そんなに気負わずに好きに使えばいいだろう。なにも戦いで人を傷つけるためだけに使える力じゃないんだ」
「でも!こんな邪悪な力!他にどういう事に使えば……!」
「……さっき、料理を温めてくれただろう」
「あんなこと……」
「手料理も嬉しかったけど、温かい食事が食べられるって、けっこう幸せな気持ちになるんだぜ。そういう魔法なら俺はどんどん使ってくれて大歓迎」
デュークの強張っていた体の力が抜けていった。それは、デュークが心を開いてくれた合図のように思えた。
「それと、仕事も一区切りついたし、明日は一緒に飯を食おう!」
「……え?」
「俺は美味い飯が好きなんだ。一人で食べるより、美味い美味い言う俺の顔を見て、反応してくれるヤツがいた方が、飯が美味くなる!」
嘘なく自分の気持ちを言ってみたが、しばらくしんと静まり返った後、クスクスと笑う声が聞こえてきた。
くるりと体を回転させてこちらを向いてきたデュークの顔は笑っていた。やはり、厳つい体つきに見合わない、幼い笑顔に見えた。
「なんだよそれ、アホみたい」
「だっ!!アホってなんだ!教師に向かって!」
「あー、俺、アホみたいな先生がやっぱり好きだ」
ガバッとデカい体で覆い被されるように今度はデュークが俺を抱きしめてきた。
「デューク、お前……下が……」
デュークの下半身は熱く硬くなっていた。俺はまた襲われるのかと身構えたが、デュークはそれ以上動くことはなかった。
「しないよ……。約束したから、先生がいいって言うまでしない。嫌われたくない」
もがいて逃げ出そうかと思っていた俺は力を込める必要がなくなり、呆気に取られたようにデュークの顔を見つめた。
主人公らしい試練を経験してきた強い瞳には、バカみたいに口を開けた俺の顔が映っていた。
まさか若くてヤりたい盛りなのに、ヤらないのかと信じられなかったが、その日、デュークは本当に俺に手を出す事なく寝てしまった。
この夜のことがキッカケで、俺の中でデュークに関する気持ちが、違う色になったような気がした。
それが何なのかは、まだよく分からなかった。
「アリアス先生、今日の夜は一緒に飯食える?」
保健室の窓からチョコンと顔を出したつもりだろうが、体が大きすぎて窮屈そうに顔をねじ込んでいるデュークを見て俺はクスリと笑った。
「ああ、今日は残業もないし、デュークの作ったアレが食べたい」
「先生、本当にアレ好きだよね」
デュークの作る料理はなんでも美味いけど、牛の尻尾を煮込んだスープというやつが、俺の口に一番合った。あの野生的なダシがでた感じがたまらなく食欲をくすぐる。
思い出して涎が垂れそうになって、慌てて口元を拭った。
そんな俺を熱っぽい視線でデュークが見ている事に気づいているが、気づかないふりをして書類に目を向けた。
婚約候補と一緒に過ごすのは、だいたい二週間くらいと決めた。その間に判断しろという話なのだが、デュークと一緒に過ごすようになって、ほとんど毎日のように夕食を作ってもらっている。そして一緒に食べて、くだらない話をして笑い合う。
デュークといる時間はだんだん苦にはならなくなった。
というか、居心地が良くなってこのままデュークの料理が食べられなくなったらどうしようかと考えている。
これは、完全に胃袋を掴まれてしまったらしい。
取り決めた二週間は今日で終わろうとしていた。
デュークの熱い視線を感じながら、俺はなかなか決心がつかなくて小さくため息をついた。
結婚するという事は、体の関係は無視できない問題だ。俺はヤらせねーけど、結婚してくれなんてプロポーズするヤツはいない。
既に経験済みだし、結婚につきものなら、ある程度は我慢しなければいけないだろうと無理矢理納得はしていた。
デュークとは一度しているから相性をみる必要もない。まぁそれなりに良い方なのだろう。認めなくないけど。
しかし、このまま終わって次の相手に行きますというのも可哀想な気がしてしまい、デュークの物言いたげな視線に耐えられなくなってきた。
しかし俺のちっぽけなプライドが、俺から誘うというのがどうしても出来なくて、このままズルズルと最終日まできてしまった。
デュークを無視して仕事を続けていたら、いつの間にか窓からデュークの姿が消えていた。
狭そうに身を乗り出している姿が見えなくなって、代わりにのんびりと白い雲が浮かんでいる青い空が見えた。
澄んでいてとても綺麗だったが、やけに寂しく思えて胸がチクリと痛んだ。
今日の分の仕事を終えて、帰る支度をしていたら、コンコンとドアがノックされた。
デュークが待ちきれなくて迎えに来たのかと思って、クスリと笑いながらドアを開けると見慣れない生徒が立っていた。
「先生、ちょっといいですか?」
保健医として生徒の悩み事を聞くのは俺の仕事だ。特に思春期の悩みは尽きない。
既に勤務時間外だったが、どうぞと言って室内に入れた。
話しやすいようにお茶を用意して、その生徒の前に出すと生徒はありがとうございますと言ってそれを受け取った。
勉強の悩みか友人関係の悩みか、俺は話しやすいように笑顔で話しかけた。
その生徒が俺を見上げる目が何故か冷たい気がしたが、その時は緊張しているのだろうとしか思わなかった。
俺はアリアスが生きてきた時間のことをすっかり忘れていた。
誰かれ構わず手を出してきた男が、無罪放免で終われるわけがない。
そのことを甘く見ていたのだ。
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