俺とインテリ君の平和な日々。だったはずなのにーー!

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俺とインテリ君の平和な日々。だったはずなのにーー!

 ルナソル・ブルーム。  過去のトラウマで心に傷を持つ男。  幼い頃、近所に住む男にイタズラされそうになり、それ以来他人に対して距離を置くようになる。  主人公とは同じクラスになり、テストで赤点を取った主人公が勉強を教えてほしいと話しかけて仲良くなる。  放課後のお勉強タイムで距離を詰めつつ、文化祭イベントで急接近、好感度マックスで告白成功、そしてグッドエンド。  ルナソルの攻略ポイントは、学校イベントの誰と過ごす選択で必ずルナソルを選ぶこと。特にルナソルルートに入って、別のキャラを選ぶとその場で即死のバッドエンドだ。  他の対象者は別離とか退学エンドなのに対して、誰も攻略できなかった時のパラダイス島送りと同じく酷いエンドだと思う。 「それにしても、近所の男がイタズラって…全くひどいヤツがいたんだな……どっかの誰かみたいじゃないか」  頭の端っこで、ん?と思ったが、まさかねと浮かんできた何かを打ち消した。  俺は攻略本を読みながらごろりと寝返りを打った。  迎えに来てくれたルナソルに部屋に案内された。用事があるとかでルナソルとはそこで別れて、俺はルナソルに提案された通り、今日はベッドの上でダラダラ過ごすことにした。  というか、休日とは本来こうあるべきなのだ。  これまたルナソルが用意してくれていた軽食のサンドウィッチと赤ワインでお腹を満たして、至れり尽くせりで満足してベッドに寝っ転がった。  ついでにルナソルの情報を確認しようといつもの攻略本を取り出したのだ。 「攻略云々はどうでもいいけど、どういうヤツかは知っておかないとなぁ…。それにしても、なかなか他のキャラに負けず劣らず過酷な人生だ……」  ルナソルはブルーム侯爵家長男。当主は代々国の宰相を務めていて、国の頭脳と呼ばれる家系。  すでに8歳の時には学園で学ぶ学問は全て習得したが、国の法に従って18歳で学園に入学することになる。貴族内部の目もあるので表向き学生として大人しくしているが、すでに国王から政の相談役として任を受けて、度々王宮を訪れてその役目を果たしている。  というのが現在。  やっぱり只者ではなかった。  住む世界が違う。  ルナソルの生い立ちは、厳し過ぎる父親との確執というのが目についた。思い通りに育てようと虐待のような行為もあり、性格が歪んでしまったと書かれていた。 「……?歪む?……なにかの間違いじゃないか?どう見たって理性的で真面目に見えるけど」  両親はルナソルが15歳の時に事故で死別。すでに優秀で文句の付けようがなかったので、まだ若い当主になることを親戚で反対する者はいなかった。 「……と言っても。中坊で両親亡くして後を継ぐって、いくら優秀でも大変だっただろう……」  ライジンの時と同様、なぜ候補者に手を挙げたのかさっぱり分からない。  確かに忙しいはずのルナソルとは、なぜか校内でよく会った。と言ってもほとんど話すことはなく、軽く挨拶したり会釈程度。  やはり、何度考えても気に入られるようなポイントがなかった。  俺はルナソルのイラストのページを見た。確か俺のキャッチフレーズが君を食べたいだったが、ルナソルは君を壊したいとなっている。その下にもっと説明書きが載っているが、残念ながら前に俺がコーヒーをこぼした時に攻略本にかかってしまい、慌てて拾い上げたらその部分がもろに染みてしまった。  読み取れるのはカタカナのヤという文字のみ。まあ、大したことは書いていないだろう。  ルナソルは確かに安心できる男だが、俺の結婚相手になってもらうのはなんだか申し訳なかった。デュークとライジンはどうだって話になるが、アイツらとはまた違って、何というか真面目だし…、俺の適当なバカさ加減に合わせてもらうのも悪い気がするのだ。  王様の相談役を俺の相談役するなんて恐れ多いことは出来ないし、とりあえずルナソルの気がすむように一緒に過ごすくらいでいいだろうと思っていた。  大して疲れていなかったが寝転んでいたら、眠くなってきて、ウトウトしてしまった。そこにガチャリと音がしてルナソルが帰ってきた。 「あっ…すみせん。起こしてしまいましたか?」 「んっ……いいよ。本読んでいたし」  目を擦りながら、もぞもぞと起き上がると、真っ直ぐこちらに来たのかルナソルは、すでにベッドの横に立っていた。 「何か私にお聞きになりたいことがあるとか……」  先ほど出かけようとしていたルナソルに、帰ったら話したいことがあると伝えていたのだ。 「ああ、大したことじゃないんだ。ルナソルの意見を聞かせて欲しくて」  ルナソルはテキパキと動いてくれて、気を使ってお茶の用意までしてくれた。  こんなところも優秀なんて…感動…! 「実は俺の母親はスペルマなんだ」 「そうですか。それは驚きですね」  スペルマはあまり数がいないと聞いていた。ルナソルは驚きだと言いながらも表情が変わらず驚いている様子がないので、俺はあれ?と空振りしたみたいな気持ちになった。 「あ…ルナソル…くらいになると、あれなのかな。珍しいものでもないのかな」 「珍しいですよ。私も今まで一人しかお会いしたことがありません」  水色の長めの前髪がはらりと顔に落ちてきたが、ルナソルは気にせず俺の方を見ていた。というか銀縁眼鏡のレンズが光っていて、目線の先はよく分からなかった。  もしかしたら、その唯一の相手を思い出しているのかもしれない。 「母親がそうだからといって、子供もそうなるわけじゃないよな」 「ええ、近親者にスペルマがいなくとも、成人後に突然変異すると言われています。ただ、あまり研究も進んでいないですから、可能性がないわけではありません。親がスペルマですと、子供の頃に覚醒すると聞いたことがあります。普通スペルマに目覚めるとしたら、体が完成する成人以降ですから」  成人は30歳だから、もし俺に可能性があってもまだのはずだ。  だとしたらやはりこの変な状態になる体は俺が転生者だからその特典みたいなものか?……いらん特典つけやがって……。 「……何かあるんですか?先生がスペルマのことを気にされる何か?」  誤魔化そうと思って適当な台詞を言いかけたが、ルナソルの口調と雰囲気がいつもより少し冷えている気がして、息を吸い込んだまま言葉がつかえてしまった。 「……少し甘い香りがしますね」  香りと聞いて心臓がドキッと鳴った。デュークもライジンも匂いについてやたらと指摘してきた。初めは体臭かと思ったが、胸毛男達も口にしていたので、無視できなくなってしまった。  無差別に撒き散らすというのが、いかにもスペルマの特徴であると思ってしまい、気になっていた。分かったからと言ってどうなるものでもないのだが。 「……もしかして先生は自分もそうだと考えていらっしゃるのですか?」 「あ…いや…その、まぁ…そうだな。今みたいに匂いのことを指摘されたし……、誰にでもってわけじゃないと思うけど……」 「匂いだけでは判断できませんね。他に体に特徴は現れましたか?」 「え!?え……ええと……あると言えばあるような……ないと言えばないような……」  背中を冷や汗がつたっていく。後ろの変化について、自分で説明する勇気が湧いてこなかった。  笑われることはないだろうが、完璧で優秀な男の前で恥を晒す年上教師というのが、ちっぽけなプライドが邪魔をしてできなかった。 「先生、実は子供の頃にスペルマに目覚めてしまった子は、そのままだと多数に襲われる危険があるので、それを抑えることが出来るらしいですよ」 「なんだって!?それは……子供じゃなくても効くのか?」  さすがルナソルだ。医学書なんかに載っていない情報をスッと出してくる。  俺はもし自分の症状がスペルマの目醒めに近いものであるなら、少しでも抑えたいと思った。 「私もそこまで詳しくは……。調べてみますか?」 「ああ、頼む」  お尻の事情がゲームの登場人物に限られるならいいが、もしこの先誰にでも発情してしまうようになったら、俺はもうこんな生活は続けられない。  人里離れた山にでも登って仙人になるしかない。  そうでもしなければ、俺の母親のようになってしまう……。  その時、薄茶色の髪をふわりと風になびかせて、去って行く人の後ろ姿がぼんやりと頭に浮かんできた。  小さな手がその背中を追うように伸ばされたが、空気を掴むように動いてゆっくりと視界の下に消えていった。  胸にチクリと痛みがはしって、無性に寂しくなった。これは、アリアスの記憶だろうか……。 「先生……、どうして、そんなに悲しそうな顔をしているんですか?」 「え!?俺が…?あ…疲れた…ちょっと疲れたみたいで……、横になってもいいか?」 「ええ。もちろん」  ルナソルは笑顔で先に休んでくださいと言ってテーブルの上を片付け始めてしまった。手伝わなければいけないのだろうが、俺は大あくびをしながらベッドに潜り込んだ。  疲れが溜まっていたのだろうか。眠くてたまらなくて、座っていられなかった。  すぐに瞼は重くなって眠りの世界に引き込まれていった。 「…アリアス……。どうして……完璧だったはずなのに……まさか全員が………」  誰かに頭を撫でられているようなふわふわとした感触がして、薄れゆく意識の中でルナソルの声が聞こえた気がした。 「最近眠そうですね、アリアス先生」  大きく口を開けてあくびしながら廊下を歩いていたら、前から来たリカルド先生に見られてしまった。 「そうなんです。すごい寝ているはずなんですけど、全然眠気が取れなくて、むしろずっと眠くて……」 「顔色も少し優れないですね……」  近づいてきたリカルド先生が自然に俺のおでこに手を当てた。熱があるような感覚はなかったが、リカルド先生の手が冷たくて気持ちよく感じた。 「今はルナソルと一緒に過ごしていらしゃるんでしたよね。……もしかして毎晩無理をされているのでは……」 「……へ!?無理って……!?ないない!!アイツ俺に指一本だって触れてこないし」  変な想像をしないでくれと俺は慌てて否定した。ルナソルの部屋で暮らして5日経っているが、今のところとても平和だ。平和すぎるくらい平和で、毎日仕事に行って夜は一緒に夕食を食べて普通に話して、遅くまで勉強するルナソルより先に俺はベッドに入って寝ている。婚約者候補というより、ただの同居、居候の感覚しかない。  ただ、何もしていないくせに、いつも怠くてやけに眠いというのだけが気になってはいた。 「……魔法の痕跡があります。私はそこまで魔力が強くないので微かにしか見えませんが、ジェラルド先生に聞けばどんなものか分かると思います」 「魔法?何だろう……別に何も……」 「アリアス先生」  背中にかけられた声に俺は心臓が冷えたようになってビクリと肩を揺らした。 「先日ご相談を受けた件について少しお話が…。今大丈夫ですか?」  振り返るとルナソルがいつものように微笑んで立っていた。  何のことはない。普通に話しかけられただけなのに、何故か背中にゾクゾクと寒気がしてやはり風邪なのかと思い始めた。 「ああそうか、分かった。じゃ保健室で話そう」  リカルド先生に会釈をして俺はルナソルの隣に並んで歩き出そうとした。  すると今度は残されたリカルド先生が声をかけてきた。 「ルナソル君、君もそんな怖い顔をするんですね」 「リカルド先生こそ。顔に出ないだけでは?大人の余裕というやつですか?」  どちらかと言うと似た雰囲気の穏やかな二人の間に、突然急にピリついた空気が漂ったので俺は何事かと驚いた。 「余裕なんて…、私はむしろ大人気ない方です」  いきなり始まった舌戦はリカルドの方が上手だった。ルナソルは貼り付けていた笑顔を崩して真顔になり、俺の手を掴んで歩き出した。  チラッと振り返るとリカルドがおかしそうに笑っている姿が見えた。  なんだこいつら……全く訳が分からない。 「アリアス先生はリカルド先生と仲が良いのですか?」 「いーちゃいいけど、職場で話すくらいかな。休日に遊ぶような仲でもないし」 「……そうですか。あまり信用しない方がいいです。腹の黒い男ですから。彼は従兄弟なので、昔から嫌でも顔を合わせていたものですから、よく知っているんです」  なるほど!と納得してしまった。  そういえば二人は外見も雰囲気もよく似ていると今更気がついた。  よほど仲が悪くて気に入らないのか、ルナソルは珍しく感情を荒立てているように、俺の手を掴んでぐいぐい引っ張っていた。少し痛いと感じるほどだった。  保健室に戻って、貰い物のハーブティーを入れて目の前に置く頃には、ルナソルはいつもの落ち着きを取り戻しているように見えた。 「それで?部屋に帰ってからでもよかったのに、わざわざこの時間に声をかけてくるなんて、急ぎの報告でもあるのか?」  この世界の人間はやたら茶を飲みまくるので、俺もすっかり入れ方をマスターしてしまった。  自分で入れたお茶が美味すぎて一口飲んで感動していたらルナソルがクスリと笑った。 「……すみません。先生があまりにも可愛らしいので」  まさか真面目なルナソルも冗談を言うのかと俺は飲んでいた茶を噴き出しそうになった。 「ごっ…がっ…、お前…、年上の教師に変なこと言うな。そういうタイプじゃないだろう」  むしろ柔らかく笑うルナソルの方が可愛らしいくらいだったのに、俺の言葉でルナソルからスッと笑顔が消えて、やけに冷たい目になった。 「先生は私のことをどれくらい知っていますか?」  棘のある質問は俺の心臓をズキンと刺してきた。確かに攻略本を見ているのでルナソルの人生を覗いたつもりでいた。しかし、あんなものは多くのことを省いて簡潔に文字にまとめたものに過ぎない。  そういう意味では、俺はまだルナソルのことを分かった風に軽々しく言うべきではなかった。 「すまない。決めつけるべきじゃなかったな。俺はルナソルのことはまだ全然知らないし……」 「知らない、ですか……。先生は私のことを本当に忘れてしまったのですね」 「……え!?」  俺はカップの中を覗きながら小さくなっていたが、意味ありげな視線に気がついて顔を上げた。  ルナソルは真っ直ぐ俺を見つめていたが、その目はどこか遠くを見ているようだった。 「あの夏の日、庭園で貴方が私に触れて惑わしたこと……、私はずっと忘れなかった」  手に持っていたカップを落としそうになって慌ててソーサーの上に乗せた。  動揺で頭が上手く動かなくて、心臓だけがバクバクと胸を揺らしながらうるさく動いていた。 「も……も……もしかして、おおおお前……」  俺の頭の中にぐるぐるとあの攻略本の一部が回り出した。  過去のトラウマで心に傷を持つ男。  幼い頃、()()()()()()にイタズラされそうになり、それ以来他人に対して距離を置くように…… 「私が子供の頃は、近所に住んでいましたよね?アリアス、お兄ちゃん……」  手足から心臓まで冷えてしまった。こんなに寒いのに汗がだらだらと流れて、頬をつたって落ちていった。ここにもまた、アリアスの被害者がいたということか。  しかも、何かと親父の説教にも出てくる子供に手を出しそうになったというアレと合致している。  という事は、ルナソルの心に傷を作った張本人がここにいるということだ。  今までの噂とか、唾をつけたどころの話ではない。  無垢な心にトラウマを作ってしまった。  まさか……、それが……アリアス?  今は俺ってことになるじゃないか……!?  ルナソルが俺を見る目から怒りの感情が読み取れない。むしろ何一つ感情が見えなくて、その闇の深さが恐ろしくなってきた。  ぶるりと震えて俺が唾を飲み込んだ音が、静寂に包まれた保健室によく響いた。  □□□
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