魔女ー2

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魔女ー2

 復讐だと思った。  朝起きて、魔女は鏡を見る。醜い自分の姿が目に入る。笑いがこみあげてくる。わしを――わたしを、「愛している」などと馬鹿な嘘をついたものだ。  おそらく、青年はだれかの願いの被害者だろう。このところ、客になりすましたそういう輩が増している。  ナイフで魔女の心臓を突き刺したり、銃で頭を打ちぬいたり……。  魔女はどんなことをしても死ななかった。魔女が杖を振ると、復讐者たちの首の骨は折れた。  さて。  今回は、ずいぶんと趣向の変わった復讐者だなあと、魔女は首をひねった。    ふと、背後に人の気配がして、魔女は振り返った。青年が、何も言わずに立っていた。    笑っていた。目を細め、少し顔を赤らめ、唇は弧を描いていた。  魔女は、鼻で笑った。  さ、いつまでその演技がもつかな。  青年は口がきけなかった。魔法で声帯を砕かれたからだ。  もちろん魔女に触れることも一切できないのだった。  魔女はその上で青年の願いを叶えた。屋上。魔女のそばにいることを許した。  青年は献身的に、時に奴隷のように魔女に尽くした。  声を奪われても、魔女に触れられなくても、青年は幸せそうだった。  ビルの屋上には相変わらず客は訪れる。  ある若い女がやってきた。 「姉が、私の恋人をとったんです。彼がまた、私だけを見るようにしてください」 「よろしい、ぬしの願いをかなえよう」  黒い杖を一振りすると、恋人は女だけを見るようになった。  しばらくして、女の姉が訪ねてきた。 「あの人は、金遣いの荒い妹にうんざりしていたのに。あの人の心はもう妹のペット同然よ。妹を事故に見せかけて殺して」 「よろしい。ぬしの願いをかなえよう」  女は死んだ。姉は満足したが、今度は女と姉の母親が屋上へやってきた。 「娘が死んで胸が張り裂けそうだ。娘を生き返らせてほしい」 「よろしい。ぬしの願いをかなえよう」  女は生き返った。姉は悲痛な叫び声をあげていた。  どんな残酷な願いをかなえても、青年は魔女の一歩後ろに立っている。魔女のそばから離れようとはしなかった。  数年が経った。  青年は魔女のそばに居続けた。魔女を殺そうとする気配もない。  人々の願いをかなえつづける中で、魔女は青年を意識するようになっていた。  というよりも、孤独だった魔女にとって、誰かにずっとそばにいられることは落ち着かないのだ。青年のいう「愛」は、初めて会った時と変わっていないように見えた。 (どうしよう)  生まれてから数百年。醜い容姿で、魔法界から忌み子として扱われ、ずっと孤独に生きてきた魔女の目に、世の悪意というものをまるで知らない青年の姿がうつる。  魔女は動揺していた。 (気味が悪い……。ずっとわたしを見ている。どうすればいいの)  魔女は青年に話しかけるようになった。  朝起きたら「おはよう」  夜寝る時は「おやすみ」  何気ないあたりまえの言葉ひとつひとつ声をかけるたび、青年は幸せそうに目を細めた。  ある日――  椅子に座ってゆったりと朝日を眺めながら、とうとう魔女は、青年に聞いた。 「なぜぬしは、そんなにもわしに懸想する」  青年はきらきらした目で老婆を見つめていた。何もしゃべらない。 「ああ、声をなくしているのであったな」  魔女は杖を振った。青年の口が開いた。数年ぶりの青年の気持ち。魔女は何か面白いことが聞けるかもしれないと身をのりだした。 『ずっとお前を殺すために、好きな振りをしてやったのだ!』  そんな言葉が聞けたらどんなにうれしいだろう。そうすれば、魔女は青年の首を折れる。  だが、青年は困ったように肩をすくめて 「さあ」  と言っただけだった。  (さあって)  魔女は椅子からずり落ちた。  魔女は人々の訪問の合間に、青年と会話をするようになった。  「ぬし」というと、客も青年も振り返るので、魔女はうんざりした。青年を「お前」それ以外の客などは「ぬし」というようにした。 「お前、人間の世界で孤独だったろう。趣味の悪いやつだと」 「そんなことはありませんよ。あなたに会う前、私はけっこう人気者でしたよ」 「嘘つきは地獄に行くぞ」 「地獄って本当にあるんですか?」  何気ない会話に、魔女は不思議な感覚を味わうようになっていた。宙に浮くような、かと思えば地に落ちるような気持ちになった。  会話をするようになってから、青年は無駄に動くようになった。  屋上の際から身を乗りだしたりして、 「百階の屋上となると、やっぱり高いですねえ」  笑った。 「そんなに乗り出して、落ちても知らんぞ」 「ここから落ちたら、まず助からないでしょうね」  ビルの下は、うすい雲が邪魔をして、よく見えない。魔女は屋上に住み始めてから、地上に出たことがなかった。 「お前は死ぬ。わしは死なん」  魔女は冷たく答える。魔女の私と人間のお前は違うのだと、言い聞かせる。   「本当にお前は、わしが好きなのか?」  いつのまにか、魔女は毎日のように青年に聞くようになっていた。  今日は、夕食を一緒に食べていた時だった。  魔女は青年と生活をともにするようになっていた。  青年はいつものように、答えた。 「あなたを初めて見た時、あなたをただ好きだと思いました。すべてが愛おしいと思ったのです。この人のためなら自分はどうなってもいい。こんな思いをするなんて、私は夢にも思いませんでした」 「本当に変わった人間だ。わしを好いてどうする。お前はいつか死ぬ。わしは死なん。わしは醜い。お前は……、まあ顔は整っていることは認めてやる。だがお前は人間。わしは魔女。どんなことでもできる魔法使いだ。人に呪われた化け物だ」 「そんなことはありません」  青年は椅子から立ち上がった。 「あなたは化け物ではありません」 「やめろ」  魔女が言っても、青年は止まらない。いつもこんな風に青年は自分の言葉を否定する。何回も何回も何回も。 「醜くなんてありません。あなたは誰より美しい」  魔女の怒りは、頂点に達した。 「もういい。からかうのもいい加減にしろ……!」  魔女は机をたたいた。杖を取り出す。振った。  青年は、はっと目が覚めたような顔になった。男は魔女に向かって、汚物を見るように顔をしかめた。立ち上がると、あっという間に屋上から、ビルから出ていった。  魔女の高笑いは、夜空に響いた。丸い月が、それを受け止めるように浮かんでいた。 「ほーら。わしは魔女。お前の心からわしへの思いを消すなどなんてことはない。残念だったな。人の思いなどこの程度よ」  あくびをした。目の前には空いた椅子と食べかけの料理が残っている。魔女は、杖を振って消した。 「さ、やっと変な人間もいなくなったしこれからは元の生活に戻れるなあ。もっと早くにこうすればよかった」    魔女は、また一人で暮らし始めた。
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