気になる野菜と先生

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気になる野菜と先生

  ある日の事件現場。    「お疲れ様です。病死?事故です・・・か?」    アパートの一室で倒れている遺体。何をどう見ても台所に来て、倒れたようにしか見えない。  「って思うだろ?それが違うんだ。これを見ろ」  僕の先輩である伊勢(いせ)さんに言われ、自分がいる反対側に回り、指で示した場所を見る。  「これって・・・」    よく見ると、右後頭部分に殴られた痕があった。しかし、物によるものではない感じがする。かと言って、遺体の周辺には凶器になるような物はない。  「伊勢さん。凶器ってここではなく他の場所に?」  「いや、やった奴が持って行ったのか、部屋の何処にもなかったんだよ。それにな、この殴られた痕、何か変じゃないか?鈍器のような物でもない。素手はありえねえしなあ。今まで見てきた物でこんな感じのは思い当たらん。お前はどう思う?」  「えっ~。伊勢さんに思い当たらないものが僕にわかるわけないじゃないですか」  「まあ、そうだな(笑)」  伊勢さんが話している間にも遺体の周りを見る。見にくいが、髪の毛に隠れて何かの葉のようなものがあった。  「伊勢さん、これ何ですかね」  まだ鑑識が終わっていないので触らないようにしながら指で示した。  「ん?野菜か?」  「白菜?ですかねえ」  「料理でもするつもりだったのか?」  遺体の場所と季節的にも、その野菜なら理解できる。  「まあ、そんなに気にすることもねえだろう。倒れた時にたまたま落ちてたもんがくっ付いたんだろうよ」  「はぁ・・・」  確かに普段なら気にしないようなことだった。しかし、この時の僕は、胸に詰まったものがそのまま残っている感じがしたままだった。              ★ ★ ★  「これより解剖を始めます。開始時間2021年1月23日、午後14時33分。始めます」  現場からT大へ遺体が運ばれた。事件性のあるもの、変死などの時は法律の下、法医解剖し、身元の特定や死因などを調べてもらう。僕ら刑事は解剖結果を元に、更に事件を調べ、犯人を見つけるのだ。  僕と伊勢さんの立会いの下、解剖が始まる。しかし、そこそここれを経験していない者にとっては、この立会いは辛い。何せ、人間の体内を直に見るのだから当たり前だ。僕はと言うと、もちろん苦手だ。小さな傷やケガなら問題ないが、ここまでくると最後までいられない。おそらく、今日も途中で気分が悪くなること間違いなしだろう。  ――――解剖が始まり、まずは切開せずに皮膚上のものを見て行く。表面に生えている1本1本の毛も丁寧に見て、爪の中、指の間、唇のシワの中まで、どんな小さなものでも見落とさないように写真を撮りながら見ていった。  「ここが殴られた箇所ですね。ん?これは何だろう」  解剖医の雪吹(いぶき)先生が、殴られた場所付近の髪の中から白に近い緑の葉のようなものをピンセットで摘まんだ。鑑識が保存したと思っていたものが、遺体と一緒にそのままここに来た。  「そ、それは白菜かと・・・」  僕は思わず言葉を挟んだ。法医の先生なのだから見ればわかるはずなのに、ずっと胸の詰まりを持っていただけに、咄嗟(とっさ)に言ってしまった。  「白菜・・・。何故こんな所に?」  摘まんだ物体の正体を、わざわざ僕から聞かされた先生。「何言ってんだ、こいつは」と呆られてしまったのではないかと、それに先輩である伊勢さんに怒られてしまうのではないかと、僕は一歩後ろへ下がった。  「食事の材料で、たまたま落ちていたんでしょう。その上に倒れたんだと思います」  僕の言葉を聞いたからか、伊勢さんがすぐに答えた。  「そうですか。それで、その白菜を使った料理や白菜の残りなどはありましたか?」  伊勢さんの答えを聞いた先生は、何か感じたものがあったようで質問を返してきた。  「あ、ありませんでした。ガス台の上にも冷蔵庫の中にも料理したものはありませんでした。途中からは他の人たちに任せてこちらに来たので、使いかけのものは今の所、把握していません」  先生からの質問に答えると、自分が何を気になっていたのかわかった。白菜の行方だ。おかげで胸の詰まりが少しなくなった。  「しかし先生。それらがあったとして、今回の仏さんの死に何ら問題ないと思いますが」  伊勢さんの中では現場にいた時同様、今も問題視してないようだった。  「まあ、そうですが。とりあえず遺体に付いていたものですから、保存して写真を撮っておきますよ?」  「はい。お願いします」  どんなに関係なさそうなものでも、遺体に付いていたものは何かの証拠になったり、原因になったりする可能性がある。その為、先生は助手に指示を出しながら丁寧に保存をしていた。  そして、遺体の皮膚上を調べ終わり、遂に胸辺りから下へとメスが入る。既に亡くなっているので、勢いよくドバドバと血が出てくるわけではないが、メスで切られた所を左右に開かれ、普段は決して目にすることのないものを見る。  「うっっ・・・」  思わず手で口を押える。目にはグロいものが、鼻には生臭い匂いが入ってきた。  「大丈夫ですか?気分が悪いなら外に出ていた方がいいですよ。君、彼を連れて行ってあげて下さい。あと、冷蔵庫にレモン水がありますから、それを」  幾度となく僕のこの状況を見ている先生は、優しい声で助手になっている先生に言った。  「いえ、大丈夫です」  刑事になってすぐに「新人は解剖時に気分を悪くする奴がほとんどだ。慣れるしかないけどな」と言われた。しかし、僕は新人ではない。これでも一応、巡査部長で28歳。刑事部で今回のような遺体も何度も見てきた。それでも未だにこの調子だ。周りからも「他は問題ないのにな」と揶揄(からか)われている。  「大丈夫ではないでしょ?無理しないで下さい。君、頼みます」  今日こそは最後まで頑張るつもりでいたのに、やはりダメだった。一緒にいた伊勢さんも苦笑いをしながら、僕に解剖室から出るよう言葉を掛けてくれた。  誰もいない医局で1人座っている。  〈今日もダメだった。どうしてこうダメなんだろうか・・・〉  毎回同じことを思い考えるが、今日はいつもよりも更に気分が落ちた。しばらく気落ちしながら考えていると、解剖が終わったらしく、みんなが戻って来た。白板を使って細かく説明をしてもらう。解剖には立ち合っていないが、この時は問題なく理解ができる。  ――――今回の遺体からは、打撲痕しか事件性に関するものはなかったと言う。何より、抵抗した形跡もなく、激しく襲われた感じでもなく、ただ誰かに殴られた痕のみ。その殴られたのも、鈍器とかの類ではないらしい。これから、殴られた痕が何によるものなのかをデータで照合をするのだが、今までの経験からは先生たちも『わからない痕』と口を揃えて言っていた。  説明が終わり、わからないことが多くてモヤモヤした気分のまま、僕と伊勢さんは再度、現場へ足を運んだ。  被害者が住んでいたアパートのドア前は黄色と黒でできた立ち入り禁止のテープが張られている。それが剥がれないように、姿勢を低くして室内へ入る。今は僕と伊勢さんの2人だけで、最初に来た時のような賑やかさはない。家主のいないシーンとした部屋。外からは車の音や人の声が少し聞こえる。昨日まで生きている人がいたように思えない独特な感じがした。遺体があった場所には人型の白い線がある。よく見直してみたが、やはり争った形跡はなかった。  〈そうだ〉  ふと、白菜のことを思い出す。解剖をした先生も気にした調理済みのもの、器具を探してみた。しかし、冷蔵庫にはなかった。  〈もしかして、余りを冷凍保存?〉  そう思い、冷凍庫も見てみた。しかし、入っていたのはタッパーに入ったご飯とカレーかシチュー、市販の冷凍食品とアイスくらいだった。  「ないなあ」  冷蔵庫の前でボソッと言うと、部屋の奥にいる伊勢さんが、  「そんなに気になるのか?白菜」    と、笑いながら言ってきた。  「気になるって言うか。何ですかねえ、何かなんですよ」  「何だそりゃ(笑)。それを気になるって言うんだろ?」  「まあ、そうなんですけど」  お互い違う場所にいながら会話をする。会話をしながら野菜室を開けた。  「あった~。伊勢さん、ありました白菜。野菜室にありましたよ」  「おお、良かったなあ」  見つけたものが調理前の白菜本体だっただけに、異常なテンションで声のトーンが上がってしまった。  テーブルに自分のハンカチを敷き、その上に袋ごと白菜を置く。葉が落ちないようにそっと袋を下まで下ろし、白菜本体を持ち上げて全体を見る。  〈これと言って、特に変な所はないなあ〉  白菜の周りを一周見てみたが、この時は何もなかったように見えた。僕も気になっていても自分の感じている違和感を軽く見ていたのだろう。見つけた白菜をそのまま野菜室に戻した。  「で、気になった白菜の何かはわかったのか?」  「特には。ただの白菜でした。伊勢さんの方は何かありました?」  「俺の方もない。まあ、鑑識がみんな持ってったろうからな」  「まあ、そうですね」  「んじゃ、そろそろ引き上げるか」  「はい」  ドアを閉め、大家にカギを返し、署へ戻る。  ――――さて、遅くなりましたが、僕の名前は『高峰 蒼(たかみね あおい)』28歳。巡査部長でT警察署の刑事部に勤務。  22歳で大学を卒業してから警察庁の試験を受け、K警察学校へ行き、6ヶ月間勉強してから巡査として交番勤務。3年ほど、街のお巡りさんをやってから26歳の時、巡査部長の試験を受けて、巡査部長に昇進。それに対する学科などを勤務しながら10時間くらい受け、T警察署の刑事部に配属。28歳の現在もそこに席を置いている。  実はこの経歴、同じ警察の人なら疑問に思う所がある。T警察署は所轄と言われる所だ。僕はK警察学校を出ているのだが、警察学校にはいくつか種類がある。その中でもK警察学校は特別で、皇宮に関する仕事をする。もし、皇宮の仕事に就かない場合は警察庁に行くのが当たり前で、警察内では超キャリア組と言われている。では何故、僕は所轄にいるのかと言うと、それは自分の育った環境のせいだ。父は高峰グループの当主。僕はその息子の次男。日本でも3本の指に入るくらいの財がある家庭で生まれ育った。幼い頃から警察内部で言う『キャリア』『NOキャリア(通称ノンキャリア)』の派閥のものの中で育ってきた。それが醜く見え、とてもイヤだった。それでも、子どもの間はどうにもできないので仕方ない。でも、大人になってまでそのような中にいたくはなかった。では、何で似た環境の警察官になろうと思ったのか。それは未だに自分でもよくわかっていない。ただ、大学の時に掲示板に貼ってあった『警察官募集』のポスターを見て決めていた。その時は、自分の知らない一般的な人々の中にいたい。そして、とにかく高峰の家から出たい。それが理由だったと思う。  では、今はどうかと言うと、所轄と言うこともあって僕を特別視する人はほとんどいない。大変な時も『キャリアだから』と特別扱いもされなかった。今もそれは変わらずで『解剖を最後まで立ち会えない高峰くん』のまま。28歳は世間ではいい歳であるが、ここではまだ子ども扱い。小学生並みの扱いだ。この先、何か変わるかもしれないが今はこのままがいい。               ★ ★ ★  署に戻った僕は、一日の報告を文章にして上司の机上に置く。時計を見ると、夕方6時を過ぎていた。1人、2人と自分の仕事が終わり、帰宅する人がいる。今回の事件は他殺案件だが、情報があまりに少なくて捜査が先に進まない。そんな時は他殺の事件でも、普段通り帰っても文句を言う人はいない。昔と違い、今はそうした方が個人でゆっくり考えられることが多いと言う考え方に変化したからだ。  〈はぁ。疲れた〉  デスクワークを終えて、僕も帰宅。アパートで一人暮らしをしている。本来なら独身なので、署で指定したアパートに住めば家賃が掛からないのだが、プライベートな空間まで職場の人と一緒になるのはイヤだったので個人でアパートを借りて住んでいる。それでも家賃の半分は署が負担してくれるので有難かった。こんな職業だけれど、2DKの普通のアパートに住んでいる(セキュリー的な意味で)。  コートを脱ぎ、着替える。スウェット姿になり、手を洗ってから冷蔵庫にあるエクレアを出す。他に何かあったかと探してみるがなかった。  〈明日こそ何か買って来ないとヤバいな〉  一人暮らしと言うことは、食事も掃除も自分でやらなくてはいけない。最近、まともな買い物に行っていないので食料の底が尽きた。  食事を終え(と言ってもエクレア)、水を一気に飲んだが、やはりこれでは足りない。  〈お菓子~〉  実は、僕は大のお菓子、スイーツ好き。お菓子やスイーツがあればご飯はいらない。でも、そう言うわけにはいかないので、頑張って少しはご飯を食べるようにしている。  〈ない・・・〉  買い物に行っていないと言うことは、お菓子もない。  〈これはダメだ。さすがにお菓子がないのはダメだ〉  いつもの『めんどくさい』が頭を過るも、『お菓子>めんどくさい』の式が成り立っているので、スウェットの上からダウンコートを着て、アパートを出た。心の中で〈お菓子~、お菓子~〉と歌いながらエコバッグを片手に近くのスーパーまで歩いて行った。  お菓子だけならコンビニの方がスイーツも揃っているので魅力的だが、そこを敢えて最初はスーパーへ行く。そうしないと『食事』に関するものを買わないからだ。それに、スナック菓子や通常のお菓子はスーパーの方が安い。コンビニだと140円くらいするものも、スーパーだと88円や98円で売っている。お菓子がないとダメな僕には50円の違いはかなり大きい。何せ、50円あれば駄菓子コーナーにあるウメカ棒が4本も買えるのだ。なので、そこに努力は惜しまない。  余談だが、高峰の家を出て警察官になり、給料を貰い、それだけで生活を始めた頃、自分がどれだけ経済観念がなかったのかを知った。スーパーは広くて歩き回らなければならない。面倒だからと、最初はコンビニで買い物をしていた。すると、食べたいものだけを買い続けていたので、すぐにお金が底を突いた。交番勤務で一緒だった先輩が見兼ねて、色々教えてくれた。おかげで今ではスーパーは僕の大切な場所である。  ――――そして、スーパーに着き、カートにカゴを2個載せる。1つ目のカゴにスナック菓子やクッキー、チョコなどを入れて行く。お菓子だけでカゴがいっぱいになる。そして次は入口に戻り、野菜コーナーから順に見て行く。野菜コーナーと言っても、そこで野菜は買わない。一緒に並んでいる果物を見て、バナナ2房とミカン、一口大にカットしてパックに入っているパイナップルを入れる。次に練りものコーナーへ行き、チーズ入りのはんぺんと、たらこが入ったはんぺんを入れ、魚コーナーでは明日まで期限のあるネギトロを買うことにした。肉コーナーを通り(ここは素通り)、隣のコーナーのウインナー大袋を1袋、お総菜コーナーではフライものを2種を。パンコーナーでは調理パンを2種と菓子パンを5種、レーズンのバターロール1袋を入れた。パンコーナーの一部には和菓子がある。みたらし団子1パック、かりんとう饅頭2個。洋菓子コーナーでシュークリーム2個をカゴに入れた。飲みものコーナーでは無糖の紅茶とウーロン茶を入れた。ここでは敢えて、甘い飲みものにしない。  〈1人で持って帰れるかなあ〉  あまりに大量に買ったので、持ってきた3つのエコバッグだけでは足りなかった。レジ袋を1枚買って、両手に2個ずつ持ち、スーパーを出た。  飲みものは2リットルのを2本買ったので重い。コンビニも寄ろうかと思っていたが、これ以上は無理なので帰ることにした。  帰ってから、お菓子箱と冷蔵庫に買ってきたものを入れる。いっぱいになったお菓子箱を見て満足した。テレビを付け、買ってきたお菓子たちを食べ始める。  〈これ美味しい〉  辛い味のスナック菓子を食べながらテレビを見る。冬だからか、白菜料理の紹介をしていた。  〈白菜かあ・・・〉  昼間の事件を思い出す。今回のは何故、あんなにわからないことだらけなのだろう。証拠になりそうなもの、犯人がわかりそうなものを見落としていないか考える。それに、被害者の髪にあった白菜の一部。白菜本体は野菜室にはあったが、料理されたものも、料理したであろうゴミもなかった。  〈う~ん。やっぱり気になる〉  一度考えだしたらモヤモヤして落ち着かなくなった。一度脱いだスーツに着替えて部屋を出た。  夜も遅い時間だったので、アパートの大家に頭を下げ、カギを借りた。そして、被害者宅へ入る。伊勢さんと来た時に見つけた白菜を袋から出した。その時、玄関のドアが開く音がした。  こんな時間に来る人はいないと思う。もしかしたら犯人かもしれない。もしもの時の為に装備していた腰にある警棒を持つ。持った手を強く縦に振ると短かった棒が長くなる。そして、テーブルの陰で息を潜めた。  「失礼しま~す。T大の雪吹(いぶき)ですが~」  入って来たのは、T大の法医学の雪吹先生だった。昼間、被害者を解剖した人だ。僕はホッとして息を深く吐いた。  「先生~」  「あっ、高峰くん。電気がついていたから誰かいるなとは思ったけど、俺が言うのも何だけど、どうしてこんな時間に?」  「あっ、えっと、気になっちゃいまして」  「「白菜!!」」  僕が答えようとすると、先生も一緒に言った。  「アハハハ。やっぱり。高峰くん、解剖室で妙に気にしてたでしょ?だからかわかんないけど、俺も気になっちゃって。それで来てみたんだ。高峰くん、今日は帰れないの?」  「いえ。一度帰ったんですけど、テレビで白菜料理を見たら、一度消えた引っ掛かりがまた出ちゃって。こんな時間ですけど、大家さんにお願いしてカギを借りました」  「そうだったんだね。で、それが例の白菜?」  先生はテーブルの上に置いてある白菜を指さした。  「多分、そうだと思います。野菜室にありました。使いかけみたいなんですけど特に変わった所もない感じで。まあ、僕が見ているので本当に変わった所がないのか怪しいんですけど」  「どれどれ。見せてもらってもいい?」  「はい」  白菜の傍にいた僕は一歩下がった。雪吹先生は葉を崩さないようにして白菜を見始めた。  「う~ん。普通の白さ・・・ん?」  そう言いながら先生は白菜の周りを見ている手を止めた。  「ねえ、高峰くん。これ、何に見える?」  「どれですか?」  先生側から見ないとわからないので「ちょっとすみません」と一言告げてから、先生にピッタリくっ付くようにして見た。  「指の跡?」  昼間見た時に気づかなかった凹みがある。自分たちが見ている側の左右に指らしき跡と、その脇から反対側の葉が崩れていた。  「葉の崩れ具合は昼間と同じ感じですけど、凹んでいる部分は気づかなかったです」  「うん。白菜は果物とは違うからね。ある程度強く押しても、すぐには色が変わったりグッタリしない。光の加減によっては、かなり凹んでいてもわかりづらい時もあるし。高峰くん。これ持ってって調べてもいいかな?」  「ちょっと待って下さい」  鑑識がいないし、同僚もいないので勝手には持ち出せない。まずは上司に連絡をして許可をもらい、写真を何パターンか撮ってから移動させることになった。白菜を持ち、雪吹先生と一緒にT大へ向かう。先生は白衣を羽織り、青い光の出る懐中電灯のようなものを持って来た。その他にカメラやシートなど、いくつかの道具を持って来た。  「高峰くん。写真と録音をお願いしていいですか?」  「はい」  証拠になるものを調べる時は、その時の日時、調べる人の氏名、調べるものの名称やその状況などを録音していかなければならない。それが証拠になることもあるからだ。そして、同時に何かを見つけた際は、それも写真に収める。その場にいない誰かが見てもわかるようにだ。  僕は先生に言われた通りにする。青い光を白菜に当てると、ポロポロしている葉の1枚に、ほんの小さい黒い点のようなものがあった。  「先生、これって」  「血痕だね。しかし、何で白菜?そう言えばさ、第一発見者ってどんな人だったの?」  普段、敬語でしか話さない先生なのに、段々と敬語ではなくラフな感じで話してくるようになったのに気づく。少し低めの声で耳に優しい声。ちょっとドキッとした。  「第一発見者は大家さんでした。普段から、お茶飲み友達として、時々出入りしていたみたいです。今日も軽い気持ちで部屋へ行ったら、玄関のドアが少し開いていて、変だと思い、中へ入ったら被害者が台所で倒れていたと話していたそうです」  被害者は44歳、女性、一人暮らし。職業はファミレス店員。第一発見者の大家は69歳、男性。妻は3年前に病死。息子が2人いるが成人していて、それぞれ都内で家庭を持ち、生活している。  「そうですか。しかし、何で白菜に血痕?被害者の髪の毛にも付いていたし。それに、血の付いたものが丁寧に冷蔵庫にあったとかおかしいよねえ。付いているって言っても、ほんの少し。点程度だし」  先生は頭の中で色々考えているようだった。しばらく考えていたが、血痕の付いた部分を取り、その血液が被害者のものと同じかを調べ始めた。テキパキと機械にセットしてから、今度は指の跡が付いた部分を写真に撮り、PCへデータとして保存。その後、データベースにある指紋と照合をしていた。  「高峰くんってさ、ここに出入りして結構経つよね?」  PCを見ながら先生が言う。  「はい。2年くらいです」  「だよね。まだダメ?解剖」  先生の言いたいことはわかる。新人でもないのに解剖を最後まで見られないのを言いたいのだろう。そんな奴に、この仕事が務まるのかと言いたいのだろうと、そう思いながら答えた。  「すみません。どうしても慣れなくて」  「繊細な人なんだね。なのに、どうして刑事を?」  先生に悪気はないのだ。わかっていても、それでもそこを言われると胸が痛い。  「繊細かどうかはわかりませんが、刑事になった理由は自分でもよくわからないんです。色んな人に出会えるからですかね。それと、刑事と言うより警察官になりたかったんです。交番勤務の。だけど何故か刑事に・・・」  「へえ。交番勤務かあ。でも、高峰くんはキャリア組なんでしょ?伊勢さんがキャリアでも、超が付くキャリアだって言ってたけど」  〈伊勢さん・・・〉  「まあ・・・。でも、別にキャリア組になろうと思ってなったわけではなくて、深い意味はないんです。乗馬の授業とかもあって、その授業を受けられるのもいいなと思って。それで、そっちの学校に行きました」  「君、面白いね」  いつもは説明を聞く方に一生懸命で、先生の顔をじっくり見たことがなかった。しかし、今は違う。楽しいものを見つけたかのような表情で僕を見てくる。そんな先生の顔を真っすぐ見てしまう。  「こんなことを聞いていいのかわかんないんだけど、聞いていい?」  PCの指紋照合を確認しながら、先生は何かに迷っている感じで聞いてきた。  「変なことじゃなければどうぞ」  「変なことかあ。場合によっては変なことになるかも」  「そうなんですか?でも、いいですよ。どうぞ」  先生の『なるかも』の一言が少し気になったが、そのまま聞かないのも後々気になってしまうと思い、話してもらうことにした。  「高峰くんはさ、彼女又は彼氏がいるの?」  〈ん???〉  仕事とは関係ないことだった。しかも彼女、彼氏の言葉が飛んできた。  「あっ、えっと・・・。この仕事なのでいないですね。と言うか、彼氏って、僕は男なんです・・・けど?」  彼女がいるかいないかならわかるが、男女どちらかを聞いてくるとは思わなかったので上手く言葉が出なかった。  「ごめんね。今はさ、あんまりそう言うのを気にしない人も多いでしょ?片方だけ聞くのは悪いかなと思って聞いたんだけど、ダメだった?」  先生はPC画面を見ながらも、昼間の仕事の時とは違う、優しい感じで聞いてくる。  「ダメではないですけど、少し驚いてしまって」  「そっか」  そのあとの先生は、何故かその件については何も言ってこなかった。僕はどうしていいのかわからなくて、先生の作業を静かに見ていた。  日も変わり、午前1時を過ぎた頃、指紋の照合が終わった音が室内に響いた。僕はいつの間にかウトウトと眠ってしまった。  「す、すみません。僕、いつの間にか寝てしまったみたいで」  「ううん。俺の方こそ、途中からこっちに集中しちゃって悪かったね。とりあえず指紋照合の結果だけど、該当者はいなかった」  「そうですか」  「うん。でも、今のは管轄内だけのだから、今から警察庁の方ので調べるからね。他のも合わせて全部の結果が出るのは、朝の9時くらいになっちゃうかなあ。だから、高峰くんは一度帰って休むといい」  先生はそう言ってくれたが、先生にお任せでいいのか困った。自分がいても何もできないけど。  「先生は?」  「俺は、このままここで。時々あることだから気にしなくてもいいよ」  「でも・・・」  「大丈夫。―――そうだ。あのさあ、この事件が解決したら一緒に飲みにでも行かない?」  僕が気にしていると、先生は話を変えてきた。  「すみません。僕、お酒あんまり飲めなくて」  「じゃあ、食事。それならいいでしょ?」  「はい」  「決まりね。忘れないでよ?」  最初は、僕に気を遣って話を変えてくれたのかと思ったが、食事の誘いに頷いてから凄く嬉しそうにしていた。  「じゃあ、高峰くんは帰って休んで。そして、早く事件を解決して一緒に食事に行くと言うことで。さあ、帰って帰って」  僕の背中をドアまで押す。先生の勢いでアタフタしながら足を進める。  「すみません。じゃあ、お先に失礼します」  「うん。結果出たら連絡するから。気をつけて帰ってよ。おやすみ」  「はい。おやすみなさい」  先生と食事の約束をして(させられて?)T大を出た。電車は既にないのでタクシーで帰った。車の窓から外を眺め、考える。  〈先生は僕に何がしたいのかな〉  僕のことなんか聞いても、何も楽しいことなんてないのにと思いながら外を眺めていた。  アパートに着き、手を洗い、定位置に座る。横にあるお菓子箱を自分の方へ寄せて、中に入っているチョコを手に取り、1つ口へ入れる。  〈はぁ~、美味しい。この幸せだけがあればいいかなって思っちゃうな〉  その幸せを噛みしめながら1箱食べ、シャワーを浴びてからベッドへ入った。               ★ ★ ★  翌朝、スマホのアラームで目を覚ます。  昨夜は偶然にも現場で雪吹先生と会い、現場の気になる野菜を大学へ持ち帰って調べてもらうことになった。しかし、部屋に帰ってきてベッドに入ってからも、先生の話を思い出すとすぐには眠れなかった。それでもいつの間にか眠っていて、徹夜をしたわけでもないのに目覚めがパッとしないまま起きた。  〈ん~、眠い〉  スマホのアラームを切り、ベッドから起き上がる。いつものように朝の一口を食べ(もちろんお菓子)、冷蔵庫を開ける。昨日買った総菜たちが入っている。今朝は食欲が湧かない。署に行ってすぐに冷蔵庫に入れれば大丈夫そうなものを持ち、身支度も済ませ、アパートを出た。  勤務先であるT警察署は2駅先にある。最初の頃は車通勤だったが、事件が続くと疲労感が強くなって運転は危ないので、今は電車での通勤をしている。  「おはようございます」  署に着き、課のドアを開け、自分の席に向かう。  「おはよう。お前、夕べ、被害者のアパートへ行ったんだってな。しかも遅い時間に。大家の息子が苦情入れてきたぞ」  「えっ?大家さん本人じゃなくて息子さんですか?息子2人は都内に住んでて、ほとんど来ないって」  「そうなんだが、事件があったからだろ。まあ、詳しいことは俺にはわかんねえが、何だか凄い剣幕で今朝早くに苦情の電話を寄越したらしいぞ」  ドアの横にある場所で(お茶コーナーがある)、コーヒーを飲みながら伊勢さんが言ってきた。話をしていると、課長に呼ばれた。  「高峰、ちょっといいか」  話の内容は、もちろん大家の息子からの苦情の件だった。  「まあ、そう言うことだ。お前からすれば気に入らないだろうが仕方ない。向こうは一般市民だからな」  「はい。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」  課長に頭を下げて、自分の席へ行く。  苦情の内容は、  『夜8時以降は大家宅とアパートの訪問を止めること』  『事件がそう大きいことではないのだから、早急に被害者宅を空け渡して欲しい』  『大家自身も被害者に近いのだから、あれこれとしつこく詮索しないで欲しい』  だった。  最初の2つに関してはわかるが、最後のはわからない。そんなことを言えば反って怪しく思ってしまう。  「おっ、戻ったな。何かキツく言われたか?」  人の不幸が面白いのか、課長の所から戻って来た僕に、楽しそうに伊勢さんが言う。  「それはなかったですが―――」  と僕が言うと、とりあえず伊勢さんは『つまんない』と言う表情をした。それを無視して話を続ける。  「夜遅くに訪問をしないで欲しいと言うことと、早く部屋を空け渡して欲しいことと・・・。そこまではいいんですけど、何故か、大家さんのことをあれこれ詮索しないで欲しいだったんです」  課長に言われたことをそのまま説明すると、伊勢さんの眉毛がピクリと上がった。  「何だそりゃ」  「ですよね。最初の2つはわかるんですよ。夜遅くに来られても迷惑でしょうし、部屋を早くクリーニングして次の人を入れなきゃでしょうし。他の部屋よりも安く貸したとしても、家賃は貰えるわけですから。このままだといつまでも1部屋分の収入が減るわけでしょうし。でも、3つ目の父親のことを調べるなって言うのが。大家である以上、他の住民同様、関係ないでは済まない。普通に考えて、調べられて当然じゃないですか。それを止めてくれっておかしな話ですよね」  『何で?』と言う思いが前に出過ぎているのか、僕の話を聞きながら伊勢さんが宥めるように言葉を返してきた。  「確かにな。でもよ、俺らからそう見えても、お前、もし自分の親が同じような立場になったら同じこと言えるか?」  伊勢さんの言葉を聞いて考える。  「まあ、そうですけど・・・」  「だろ?その息子だって、そうなんだって。そんなこと言えば疑われるのだってわかってるだろうよ。もしかしたら他に理由があるのかもしれねえけど、今は良い方に思っとけ。な?」  「はい」  伊勢さんは背中を一発叩いた。それは、気分が下がり過ぎないようにしてくれる為に、気合いを入れてくれた気がした。  「でな。さっき、T大の雪吹先生が、お前に連絡くれって電話寄越したぞ」  「わかりました。ありがとうございます」  伊勢さんとの話を終え、雪吹先生に電話をする。昨夜の調べていたものの結果がでたらしく、T大へ来て欲しいと言う連絡だった。  ――――「失礼します」  ドアをノックしてからそっと入ると、雪吹先生の他に数名の先生たちがPCを見たり、資料を見たりしていた。雪吹先生も自分のデスクにある何かを見ていた。  「先生、お疲れ様です。昨日はありがとうございました。それと、これ差し入れです。良かったら皆さんでどうぞ」  ここに来る途中にあるケーキ屋でシュークリームを、そのケーキ屋の向かいにある煎餅屋で煎餅を買い、それを差し入れに持って来た。  「ありがとう。俺は甘いのはそんなに食べないから、こっちのはみんなに渡しちゃうね。でも、お煎餅は好きだから頂きます」  誰か甘いのが苦手だといけないので煎餅を買った。こんなにたくさんどうかとも思ったが、やはり両方にして良かったと思った。  少し事件とは関係ない話をしてから昨夜の結果を伝えられた。  白菜に付いていた血痕は被害者のものと一致した。指紋については、登録されていないものだった。  「しかしさあ、この白菜、明らかに故意に千切られてるよね。この辺り」  白菜の下の方に指紋があり、上の方は千切られている。最初に見た時は気にならなかったが、先生と見た昨夜は何となく僕も気になっていた。  それにしても何故か、先生が僕との距離が近いような気がする。気のせいかもしれないが、傍に来られると恥ずかしい。昨日は帰っていないはずなのに、いい匂いがするし、僕が先生を見ている時は気にならないけど、違う所を見ていると視線を感じる。  そんなことを考えてしまい、どうしようかと思ったが、今はそれを置いておいて、事件のことだけを考えるように気持ちを切り替えることに集中する。  「う~ん・・・」  「どうしたの?」  「あの、変だと思われるかもしれないんですけど、僕にはその白菜、凶器にしか見えないんです。指紋の位置と言うか、付き方もそうだし、千切られている所もそう。これが、被害者が育てたとか、知り合いの誰かからもらったとかで、葉の部分が傷んでて千切って捨てたのならわかるんですけど、これはそんな感じのではないですよね。どう見てもスーパーで買って来たとか、地元野菜のちゃんとしたものとか、そんな感じだと思うんです。だとしたら、こんな風にならないと思うんですよ。それに、被害者は独身だけど年齢を考えたら食材をこんな風に、雑に扱わないんじゃないかと思うんです」  自分が考えていることを話してみる。先生ならちゃんと聞いてくれる気がしたから。  「確かにね。―――ねえ、白菜ってどう使います?」  先生は、主婦でもある女性の先生に聞く。  「そうですねえ。普通はこうして外側から1枚ずつ剥がして使うと思いますけど。それに、上の方とかは傷んだ所があれば、包丁できれいにカットしますね。又は、本体から剥がしてから手で千切るかなあ。1回に全部使うならわかりませんけど、そうじゃなければ本体から剥がしてからの方がほとんどですね。じゃないと切った場所から傷んでしまうので。あっ、でも、あまりに傷んでいたら別ですけど。でも、これは新鮮の域ですよ」  先生に質問された女性の先生は、普段扱う通りに細かく説明をしてくれた。  「まあ、そうですよね」  僕の話を雪吹先生も女性の先生も真剣に聞いてくれた。何もなければ笑って冗談として済まされたとは思うが、調べた内容に当てはまる部分があったので、聞いてもらえて良かった。  「今までにないことだから他の刑事さんたちに納得してもらうのが難しいかもしれないけど、でも証拠があるんだから仕方ない。高峰くん。こちらとしては今の所、これらの証拠から、凶器はこの白菜とします。一番必要な指紋が欲しいね。白菜からの指紋は保存できてるから、あとはそれに一致する人を探して下さい。ただ、野菜だから早くしないと、凶器自身がなくなってしまうからお願いします」  「はい。わかりました。では、署に戻ります。それと先生、少しでも休んで下さい。あれからずっと調べていたんですよね。帰宅できないとしても仮眠はできると思いますから。少しでも休んで下さい」  「ありがとう。高峰くんも、あんまり休めてないと思うから無理はしないで」  「はい。ありがとうございます。では」  雪吹先生と他の先生たちにも頭を下げて、T大を出て、署に戻った。  車を運転しながら、今更ながら白菜なんかで人を殺せるのだろうかと考えていた。しばらくは事件のことを考えていたが、ふと先生が頭に浮かぶ。僕と喋る時の視線、話し方、表情。何となく、仕事仲間へ向けるものとは違う気がする。それとも、人との距離感が近くなる人なのかと考えていた。
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