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シュークリームには何が詰まっているかって?
そりゃあ、愛だよ、愛。
【シュークリーム】
全くこの仕事は忍耐の一言に尽きる。痛いのはなんだ、痛いのはどこだ。俺は今生きているか、生きているとすれば何の為に生きているのだろうか。そんな事をよく思う。誰もがにやにやとしている癖に誰もがけして愉快ではない。俺は従順だが、腹の中はどす黒くて、忠義はどこにもありはしないのだ。仁、と言う言葉が好きだった。男が生きるのは仁に尽くす為だ。そう思って生きてはみたが、今の俺を表す言葉は理不尽である。じん、じん、じん、俺はもうその言葉が嫌いになった。
痛いのはなんだ、痛いのはどこだ。
頭の中で誰かが必死で喚いている。
痛かないさ、俺は元気だ。
そう言ってやっても誰かは馬鹿みたいに呻く。
俺の顔は、ただ無表情だ。
上座に座っている蝦蟇は俺の事を気に入っていて上座の横に俺を座らせている。
やめてくれ、解放してくれ、そう言って騒ぎ立てるのは、誰だ。
二十畳程の和室にスーツを着た男達が上座を囲んでコの字に座っていた。どうも暑苦しいのは今が八月という季節がらと男達の熱気だけではない。これから始まるショウを早く終わらせてくれと誰もが願っている。楽しいのは蝦蟇だけだ。座敷には布団が持ち込まれていて、主役を蝦蟇が呼ぶだけで、そいつは始まる。蝦蟇、俺よりも偉くて、俺よりも頭が悪い。極道といわれる職業に入ってから解ったのは仁よりも理不尽が多いということだ。屑でありながら誇りを持つ。誰にも認められないことに誰もが認める美しさを見つける。そういうのを屁理屈ともいうが、要するに人間というやつは自分を屑だ屑だと言われるのが嫌なのだ。逆に俺は屑だ屑だよ、そういうことを言う奴は大概自分を見て欲しいやつなのだ。俺は、誰だ。俺は、何だ。そう思う。解らんね、俺の中身は一体何で出来ているのだろうか。
「小泉、今日も楽しませてくれや」
にやにやとしながら合田が笑う。どうも、彼は部下から好かれていない。それを理解していないのだから誰しもが彼の神経の図太さにはほとほと呆れていた。頭から神経全てがおかしいんだ。嗜虐的で、金に汚く、女にはもっと意地汚い。噂先代の会長は事故で亡くなったが噂では彼が仕組んだと言われている。それがちっともおかしくないと思えるのは彼の人間性を皆が知っているからだ。ある一人の視点を借りる。富永という男だ。富永は下座に座っていた。そこからは上座にいる合田、横にはお気に入りの男がじっ、としていた。汗を掻いているな、と思った。富永自身は汗を掻いていない。ゴリラのような顔の割には物事を冷静にみる性格である。彼は石橋を叩いて歩くのだ。つまり彼が不快だと感じている合田の下にいるのは、そこにデメリットよりも大きなメリットを確信していて、なにかあれば合田の代わりに上座に座る覚悟も出来ている。誰にも言わないが、確信している。
(小泉もよく我慢できる奴だ。俺なら即座に合田のナニを切り落としてやる。ゴマすりの為とは言え毎度毎度)
こんなに面白くないショウによく参加できるものだ。しかし小泉は合田の下品な言葉にも忠誠を誓った犬のように律儀に頭を下げる。年頃は富永より少し老けている。40代後半であろうか、少し縮れ毛なのか綺麗に揃えられたもみあげが、くしゃ、となっている。頭のてっぺんあたりは直毛なので、きっと髪の中が癖毛のタイプなんだろうな、と思った。余計なお世話であると本人は思うのだろうが、気になってしまう。
体は中肉中背だった。恵比寿や小伝馬町あたりで彼を見つけるのは困難だろう。一般的な日本人、遠目から見ればこれと言って特徴のない男だ。しかし向き合って立つと、イメエジが一変してしまう。彼の表情や所作は軍人のようだった。ぐっ、と常に何かを堪えている。堪えに堪えて、また堪える。吐き出す術を誰にも教えてもらわなかった男だ。こういう表情を彼は戦時中の子供の写真で見つけた事がある。空襲で親を亡くし、その親を火葬場で幼い妹を背負いながら直立不動で見送る少年の顔、それがカラーで動いている。最初に彼を見たときは、その少年の孫かなにかだと思ったが、まさかそんなことはあるまい。彼は、まだ新参者の幹部で、小さな事務所を任されただけのしがない男だ。それがどうして合田の傍にいるのかというと、きっと合田も富永と同じ考えに行き着いたのだろう。
(彼はどういう時にもう嫌だ、と喚き散らすのだろうか)
礼儀正しく恐ろしく物静かだ。大阪の出というのに流暢な標準語を喋るのはどういう訳だろう。知りたくて堪らない。この会合に参加するのは4度目になるが小泉とはまだ喋った事がない。彼は事が終わるとすぐに控えの間に引っ込んで体を拭いて、また合田の傍に座る。そして帰る時は誰よりも遅く帰る。彼らにも派閥というものがあるのでその付き合いをする為に富永はしぶしぶいつもの連中とつるんで帰るが、本当は小泉と喋ってみたかった。
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