シュークリーム

2/4
前へ
/4ページ
次へ
「さあ、はじめようや」 声までも下卑ている。合田が呟くと誰かがそっ、と囁いた。 ー全く飽きひんお人やな。 ーし、黙らんと、あんたも布団の上やで。 暫くしてから男が連れられてきた。身に着けているのはブリーフ一枚と靴下だけだという男は後ろ手に手錠がかけられている。30代のなかなかにいい男だ。 いやだ、俺が悪かった、やめてください、布団に投げ出された男は事前に内容が伝わっているのか子供のように彼は泣いて合田に許しを乞うのだ。 「あかん、あかん、あんたはうちの女に手を出したんや。それなりの報いは受けてもらわなワシの気がすまへんのや。おまけにあんさん警官でっしゃろ、そやのに不倫はあかんなあ。そう思わんか、小泉」 「はい、私も思います」 「そやろ、そやろ、そやしお仕置きや。目には目を、歯には歯を、やで。やったり小泉」 「はい、失礼します」 そういうと小泉は後ろで控えていた部下にビールを所望して布団にどっかりと胡坐をかく。男は目を見開いて嘘だろ、と唇を痙攣させた。小泉は何も言わない。缶ビールが小泉に手渡された。それを一気に煽るといつもの彼の動きとは思えない速さで男を突き倒した。やめてくれ、やめてくれ、あれは間違いだったんだ、そんな悲鳴の上がる中、ジッパーの音がやけに重たく聞こえた。 じ、じじ。 それから数秒もしない内に男の悲鳴と同時に粘膜を激しく擦り合わせる音が部屋中に広がる。手を叩いて喜んでいるのは合田だけだ。富永は接合部分をじっくりと見る。彼のそれは膨れ上がっているのだろうか。彼は自身を扱いた事がない。ただ、手際よく挿入しては獲物が一番痛がりそうな体位をさせて見せるのだ。蝦蟇に、蝦蟇の為だけに。蝦蟇の股間は大きく膨れ上がっていて好色そうな目で小泉を見つめている。これは単なる合田の趣味だ。きっと合田の目には悲鳴を上げているのは小泉で、挑みかかっているのは合田自身が移っているんだろう。視姦されていることに気がついて欲しい。富永は思う。誰一人、こんなことを望んではいない、誰か一人だけが、喜んでいる。 あの哀れな間男は近々に住処を東京湾に変えることになるだろう。彼は一人の人間であって、それなりの人生を送って来た筈だが、最後がこういうことになるという事が事前に解っていたのならもっと違う生き方をしていただろう。運命を知らないということは時に希望で時に絶望である。 なんのために、なんのために 人間は生きているんだろうか、生かされているんだろうか。 そんな哲学的な事を、よく富永は考える。 富永が小泉を見かけたのは数日後だった。富永のマンションの前の小さな公園だ。部下にはいつもその公園の入り口で車を待たせるように言いつけていた。出かけるのが珍しく昼前になった富永が携帯で喋りながら車に乗り込むと、小さなおかっぱ頭の女の子がベンチで座っていた。車から1メートル程のベンチ、顔は見えない。母親と来たのかと思ったが見かけない子供だし、それらしい人物も見当たらない。発車させようとする部下を手で示して、暫く様子を見ることにした。彼はこう見えても子供が大好きなのである。子供も本気の女もいないが、もしも子供がいたらああしてやろうこうしてやろうという理想が非常に高い。もしも彼女が捨て子であったら拾ってやろうか、さえ数十秒の間で本気で考えた。冷房がかかっているのに窓を開ける。そして、通話を終えてまさに声をかけようとした時に、親らしき人物が来た。中肉中背のダサいポロシャツにジーンズの男である。その男は近所では有名な洋菓子店の箱を持っていて、不器用にほら、と女の子に手渡した。 「元気か」 「元気やなかったら来ォへんわ。おっさんも座りぃや」 「うん、そうやな。…まだ、シュークリーム好きやろ」 「好きや、一等好きや」 「お父ちゃんも好きか」 「それはお父ちゃんのこと、おっさんのこと」 「…もう、お父ちゃんと呼んでくれへんのやな」 「お母ちゃんがな、呼んだらあかんて言いはったから。でも呼んでほしかったら、内緒で呼んであげるで」 「じゃあ、言うてくれるか」 「おとうちゃん」 「うん、ありがとうな」 どうやら離婚した後の親子らしい。微笑ましい光景である。富永はそっ、と身を親子に見えないようにしながら耳をすませた。見覚えがある、あるどころではない。彼は小泉だ。後で知った話だが、彼の娘はこの近くに住んでいて小泉は月に一度前妻に内緒でこの公園で娘に会っていたのだった。 「おとうちゃんはまだやくざやめへんの」 「うん、お父ちゃんまだやめられへんみたいや。頑張ってるんやけどな」 「本気でがんばらへんたらあかんよ。うちはおとうちゃんと住みたいんやから。おかあちゃんもおとうちゃんがやくざやめたら絶対今のお父ちゃんと別れるよ」 「沙織は今のお父ちゃん、嫌いか」 「ううん、そうでもないけど最近帰ってこないんよ。お母ちゃんは女の人ができたみたいって泣いてはる」 「そうか…」 おとうちゃん、おいしいね。シュークリームってなんでこんなにおいしいんやろか。シュークリームってなにがつまっているのかな。生クリームだけでこんなにおいしうなるはずないよね。お父ちゃんは虫歯になるからって全然たべさせてくれないよ。おとうちゃんはいつも買ってくれるから、おとうちゃんの顔見たらシュークリームにみえてしまうねん。ああ、ほんまにおいしいなあ。 「おとうちゃんのもお食べ」 「ありがとうな、おとうちゃん。おとうちゃん、大好きやで。でもかっこいいおとうちゃんはもっと好きや。なあ、今のお父ちゃんみたいにおまわりになってよ、それならうちももう、いじめられへんし、お母ちゃんもおこらへんもん、なあ、そうしようや」 「うん、おとうちゃんな、お前の為にがんばるからな」
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加