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怪しい少女がいる。夜中にそのような通報が入り、夜勤の川上は車を走らせることになった。不審者と言っても、少女となると話は別だ。虐待を受けて、居場所もなく彷徨っている可能性もある。彼は少し眠くなってきた脳を無理やり起こして、奈良の町中を駆け抜けた。
通報のあった場所は、何もないただの野原だった。ぼうぼうに伸びきった雑草が、春の風に吹かれて揺れている。遠くから、ジジジと虫の鳴く音が聞こえた。
「少女とやらはどこにいるのか」と思いながら、辺りをきょろきょろと見回してみると、奥に不思議な格好をした人影があった。色のついたゆったりとした服に、鮮明なストライプ柄のスカートをはいている。髪は今風のショートカットだが、歴史書から抜け出したような、実に奇妙な様相だった。
「すみませーん。ちょっといいかな?」
若手の彼が声を掛けると、少女はチラリとこちらを向いた。切れ目の美人、と言った感じだ。
「こんな遅くに、どうしたのかな? 家で何かあったのかい?」
それを聞いた彼女は、ふるふると首を横に振った。懐かしいような香りが、ふわっと宙に舞う。
「うーん、そうか……。まぁとにかく、夜中に一人で出歩いたら危ないよ」
少女は切なそうな顔をしていたが、やがて口を開いた。
「……とあるものを、探しているのです」
「探しもの? ここで落としちゃったのかい?」
「落としたのではなく、ここにあったものです」
――刹那、川上は無表情になった。この少女が言わんとしていることが、一瞬で理解できたのだ。
「ここには、大切なものがあったはずなのです。私の兄に関わる、大切なものが」
少女は静かにつぶやくと、彼の顔を睨みつけた。
「返してください。私の兄を、歴史から消さないでください」
「残念だけど、それは無理な話だ」
冷たく言い放ち、川上は煙草を取り出した。この少女、歴史を捻じ曲げたことで、現在に現れてしまったのだろうか。どちらにせよ、哀れな運命だ。
「聖徳太子は、歴史の流れからはじき出された。だから彼は、この世界には存在しないことになったよ」
「どうしてですか」
「さぁ。上層部が勝手に決めたことだ。俺たち下っ端は、言われたことをやっただけさ」
数か月前、飛鳥時代に飛ばされたことを思い出す。姿を隠しながら、聖徳太子に接触するのは大変だった。彼に妹がいるとは聞いていなかったが、もしかしたら、歴史の歪みから発生した、悲しき代償なのかもしれない。
「というわけで、君の探しものは永遠に見つからない。俺がしてあげられることも、何もないね」
火のついた煙草を咥えながら、無線のスイッチを入れる。少女の処分を決めるのは、上層部の仕事だ。
「どうして……。兄が一体、何をしたと言うのですか……」
少女は悲痛そうな声を上げると、小さく俯いて涙を流した。透明な雫が流れ落ち、緑の草花を濡らす。
「可哀想だけど、俺たちも仕事だからさ。諦めてくれ」
ふーっと息を吐くと、煙草の白い煙が宙に漂う。それはやがて空気に溶けて、闇と同化して消えた。
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