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カンチョー・ワールドカップの覇者としての栄光をかなぐり捨て、暗殺者となるべく社会の裏側へと身を投じた服部貫臓
彼は、戦国の世にて忍者達が活躍の場としていた伊賀地方の山奥深くにて暗殺者としての鍛錬に励んだと言われている。
織田信長による『天正伊賀の乱』によって伊賀地方に在った忍者の里は壊滅されられたものの、徳川の治世下にて忍者達を育成するための隠れ里が再興されていた。
令和の世となっても幾つかの里は細々とながら存続しており、忍者としての修行を志す者達を密やかに受け入れていたのだ。
隠れ里とも言えるそんな場所にて、服部貫臓は己を暗殺者として鍛え直した。
肌も凍るような瀧の流れにその身を打たせることで集中力を極限まで研ぎ澄ませ、険しき山の頂で雷にその身を曝すことで、元々備わっていた帯電体質をより強化させた。
急流の中を影の如く泳ぎ廻る鮎を一撃で仕留めることで動体視力と敏捷さを鍛え上げ、山を自在に駆ける猪を一発で悶絶させることでカンチョーの衝撃力を向上させた。
闇に包まれた急峻を音も無く、息も切らさず駆け巡ることで、隠密に行動する術を磨き上げた。
そして、『天正伊賀の乱』で斃れた先達達の手記を只管に目にすることで、弱肉強食・弱者必衰という世の理を心へと刻み込み、その性格をより苛烈なものとしていった。
足掛け三年も及ぶ伊賀の隠れ里での鍛錬は、服部貫臓を真の忍者へと生まれ変わらせた。
そのカンチョーの一撃は、肛門のみならず大腸をも貫くものとなり、発する電流は相手の生体電流を狂わせるだけでなく、その血液を沸騰させてしまうまでに強烈なものとなった。
幾件かの暗殺を「お試し」として請け負い、そのいずれも完璧に成し遂げた服部貫臓は、唯一無二となった一撃完殺の妙技をこう言い表した。
「貫腸」と。
それは、スポーツとしての「カンチョー」から完全に脱却するとの意思表示であった。
相手の腸や臓物を貫き通し、その命を確実に絶つとの苛烈なまでの意思表示でもあったのだ。
暗殺者としての服部貫臓の名は、裏社会の中で一挙に高まった。
「貫腸」という完殺の妙技と共に。
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