スクールカーストの底辺とは

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スクールカーストの底辺とは

人との会話でどのように受け答えをすれば、相手にハマるのか。 それを意識すればするほど私は会話ができなくなった。 折角入れてもらえた女子グループでも、陰口を言ってみては、その子の前では仲良しのふりをしたり、暗黙の上下関係や、無言の圧力にふれることに疲れ果て、自ら一人でいることを好むようになった。 はじめの頃は、以前の感じで話しかけてくれる異性もいたが、周囲の女子の冷たい視線を気にして、奥歯に物が挟まったような受け答えしかできなくなった私には誰も近づいてくることはなくなった。 明らかに私はスクールカーストの底辺であったのだろうが、特にいじめられるということもなく、ただただ空気として扱われる状態になっていた。 強がりでも何でもなく、私自身そのことが苦でもなく、むしろ煩わしい人間関係から解放された楽さを感じていたくらいだ。 小学高学年以降、中学、高校とクラスでの私の扱いは一貫して同じだった。 担任の誰一人、そんな私の人間関係にふれることはなかった。 しかし稀に私に接触してくる女子はいた。 突然、昼食に誘われたり、グループ分けで一緒になろうと誘われるのだ。 私は特段拒絶することもなく一緒にいた。 その女子達は皆、私との会話にも楽しそうに笑ってくれた。 はじめは不可解にも思ったが私自身、彼女と一緒にいることが普通になりはじめるのだ。 だが、それはいつも長く続かない。 唐突に彼女らは私の元から去っていく。 彼女らはグループから外された女子、いじめにあっていた女子だった。 ある日を境に、お昼ご飯を元のグループの女子と食べはじめ関係が終わりを迎えたり、いじめを認識した先生達が全面に彼女を守りはじめ、私との接触も有無を言わせずに遮断するためだったりした。 その後は誰も私の元には戻ってこない。 あの笑顔はただの話を合わせるための作りものだったのだ。 クラスの近況に疎くなっている私がそれに気づくのはその女子達が私の元を去った後だった。 私はただ、良いように使われるだけの存在なのだと痛感した。 彼女らの一難が過ぎれば私は用済みの存在でしかなかった。 気づいてからは誘いを断ったこともあったが、一人が苦手な彼女らは他人(私)と一緒にいることに固執した。 いじめられるのはスクールカーストの底辺というのであれば、私はスクールカーストのどこいるのだろうか。 存在すらしていないのではないか。 私は否応にも自身の存在の軽さをその都度再認識させられ、さらに人間不信になっていった。 そしてそれは、年を追うにつれ、人間嫌悪に姿を変え、自己嫌悪も深くさせた。
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