社会人

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生きるにはお金がかかる。 息をしているだけでお金がかかる。 税金にしろ、生活にしろお金がかかる。 お金がかかるから働かねばならない。 働かねば生きていけない。 ならば死を選べば良いかといえば、世間はそれを良しとはしない。 困ったものである。 とはいうものの、死を思うと私の気持ちは軽やかになった。 死を考えれば考えるほど、死はすべての憂鬱から解放され無に帰すことのできる唯一の完全無欠の方法のように思えてしかたなかった。 死についてリスクがあるとすれば、 ・死ぬ瞬間の苦しさを乗り越えねばならないこと ・天国や地獄といった死後の世界があるかもしれないこと ・霊がいるという人がいること この3点であった。 下2点がありうるのであれば、人間関係や自我が残るということであり、私にとって死への魅力の喪失を意味することであった。 とはいえ、人間だけがそのような自我を残すなど辻褄の合わないだろうと、そこまで気に留めることでもなかったのだが。 それほど死による自我の解放は魅力的であった。 少しのやりがい、少しの達成感、少しの楽しみ、そんなことは生きて働いていれば少しくらいあって当然のこととしか思えず、それ以上に、金銭にまつわる事象が私を憂鬱にさせていた。 就職氷河期であったが、生きるために働かねばならないことは理解していたため、何とか正社員として採用されていた。 採用された後で手帳を確認すると100社以上から不採用通知を受け取っていたことがわかったが、学生時代の自身の扱われ方を思うに凹むというより納得に至り、めげることもなく就職活動を続けられたのだと思う。 職場での人間関係は良くも悪くもなくいつもどおりだった。 就業時間中の会話といえば、そのほとんどが仕事の話だったため、会話につまることもなかったが、仕事の話しかしないため、しばしば真面目だと揶揄された。 勤務時間外に独りで気になるお店で食事をしたり、カラオケに行ってリフレッシュするのがささやかな楽しみだった。 仕事自体は好きでも嫌いでもなかった。 生きていくためのお金を稼ぐにはちょうど良いと思っていた。 上司からはあまり好かれてはいなかったと思う。 上司のミスを空気を読まずに指摘して以来、目の敵にされていたようにも思う。 その後も発案した企画を、指示したとして上司だけが評価されていたが、命令系統を考えるとそんなもんだろうと思うものの、もやもやしたものが心に残り、自分が無に帰せばこんな感情で気分が悪くなることもないのにと生きる=自我があることにうんざりした。 同僚からはよく金銭要因として使われていたように思う。 バレンタインデー、同僚がゴマをすりたい上司達の誕生日プレゼント、送別のプレゼント。 提示された金額を渡すだけで、プレゼントを笑顔で相手に渡している同僚ばかりが感謝されていた。 それもこれまでと変わらない。 変わらないが心に暗い影を落とし、それでもやもやとしている自分が面倒でしかたなかった。 勤続年数が積みあがると共に、生きるために働くという行為に疲れ果てていった。 だが、働くのをやめると生きていけなくなる。 どうしたら働き続けられるのか。 生きるためのお金が足りなければ嫌でも働かざるをえなくなるのではないか。 そして私は、働き続けるために浪費するようになっていった。 欲しくもない物が部屋に山積みになっていった。 封を開けもせず、商品が積み上げられていき、一体どの箱に何が入っているのかすら判別できなかった。 給料の9割を浪費して、今月働かないと生きていけないという状況を作り続けた。 だが、それも一時的な効果でしかなく、生きるために働くという行為にさらなる疑問をなげかける結果になってしまった。 これが一人で生きるということの限界なのだろう。 庇護する相手がいれば、それが生きる理由に加わるのかもしれないが、人を嫌悪する私には、あえてそういう相手を作ろうとは思えなかった。 世界は私を見ることはない。 空気なのだから。 見えていないならそれでよいのだが、特に与えられず、お金ばかりはしっかりと徴収されるこの世界に心底うんざりしていた。 いまだ30代。 平均寿命と考えてもまだ50年近くこの悶々とした毎日を繰り返すのか。 死は解放、その甘い誘惑に私はもう勝てる気がしない。
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