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Ⅰ
「あの……、覚えてますか? ぼくのこと」
休日返上でアポをとっていた客にドタキャンされて、ふてくされながら入ったチェーンのカフェ。やけくそでアドショットエキストラホイップなんてややこしい注文したもんだから、一向に飲み物は出てこず、余計にやるせなさを感じていたそのとき。
目の前に現れた小柄な男性は、おずおずと、そう問いかけてきたのだった。
眼鏡の奥の彼の瞳にとらえられて、胸の奥底にとじこめていたなにかが、急激に熱を帯びる。心臓が熱い。熱すぎて、吐き出して捨ててしまいたいほど。
とっさに言葉が出ないわたしに、彼は、ちょっと不安そうな顔をして、もう一度尋ねてきた。
「あの……。西原、翠子さんでは、ないですか」
やめてよ。わたしには、そんな優しい声で名前を呼ばれる資格なんかないのに。
逃げ出してしまいそうになるのを、七センチヒールでぐっと踏ん張って、わたしは無理やり微笑みを作った。
「そうだけど。久しぶりだね、相良」
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