零話 , 意気阻喪

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炭酸の抜けたソーダのような生暖かい風が吹き、見上げれば曇り空が広がっている、溶けそうなくらい暑い八月の黄昏時。 僕は去年か一昨年は毎日のように来ていた場所でたった独りで突っ立っていた。 懐かしむのにはまだ早い気がするのだけれど、出てくる感情を全部懐かしいだった。 懐かしい風景、懐かしい匂い。でもそれは去年か一昨年の記憶だ。 ここに立てば彼との思い出など沢山出てくるような気がしたが、記憶の奥深くを見通さないと溢れ出てくることは無い。 ふと空を見上げる。風がびゅう、と音をたて強く吹き、広がる雲の一部を動かした時、僕はこんな記憶が蘇ってきた。 あの日、僕は汗でへばりつく前髪が鬱陶しく、不機嫌になりながらも暑さでつい止まりそうな足を、懸命に動かしていた。 夏休みの課題を学校に置いてきたしまったとかであの日はなぜか制服を身につけていた。 怖がり屋で臆病者の僕は、下校中でさえ常に周りを警戒しながら歩くのだが、その日はどこか意識が入道雲のようにふわふわとしていた。 「よう、翠」 「わっ、」 肩を少し叩かれただけで、僕の身体は跳ね上がり、瞬時に後ろを警戒するように振り返った。 目を細め、睨みつけるように相手を見ると、小麦色に焼けた肌と犬のように丸く大きな瞳に見覚えがあり、ほっと胸を撫で下ろした。 「なんだ、頻か…」 僕が安堵のため息をつくと、頻は僕よりも大きく少し大袈裟なため息をついた。 「翠が生まれたその瞬間から毎日顔を見合わせている兄に向かって、なんだとか言う?」 「別に、頻だし」 こんなにも暑いのに肩を組んでくる頻から逃げるように、頻の腕を肩から退かし一歩前へでる。 「なんだよ、翠」 「暑い」 「アイスでも食うか?」 その一言に反応しパッと頻の方へ向くと、頻は可笑しそうにクスリと笑った。 その笑顔は太陽のように眩しくて、いちいち暑い奴だななんて思っていた。 その笑顔の後からはあまり良く覚えていない。 アイスを買いに二人でコンビニに行ったのかもしれないし、或いは一度家に帰ってから頻が買ってきてくれたのかもしれない。 どちらにせよ、思い出というのは色褪せていくもので、彼との思い出というと、こんなくだらないものしか出てこない自分が何だか薄情者のように思えた。
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