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「金に目がくらんだのだろう」と問われれば、素直に「その通りでございます」と答えるしかありません。借金持ちとは悲しい(ごう)を背負った者なのです。 「この部屋でお待ちです」  パリッとしたモーニングコートを着た長身でイケメンの執事さんは低音のイケボイスでそう言って、重厚な扉を開きました。  その途端、執事さんを上回る特上のイケメンが一瞬で目に飛び込んで来ました。 執事さんがスマートなイケメンだとすれば、正面のイケメンは耽美系の美形です。黒檀のように美しく黒い髪が流れ、美しい白い顔を半分隠しています。妖艶に開かれた黒真珠のように輝く瞳が私を観察しています。  私はイケメンが大好きです!面食いです!しかし男性が数多(あまた)いる王都でも、私の欲求を満たす顔の持ち主に出会うことはありませんでした。  でも、今、目の前に、私の好みそのままの、気だるげな表情が良く似合う、妖艶な雰囲気をまとった美形がいるのです。  こんなにも私の好みにぴったり当てはまる人がこの世に存在するなんて、しかも巡り合えるなんて信じていませんでした。ありがとう神様!メイドとしてはあるまじきことですけど、お手付きにされている状況まで一瞬で想像してしまいました。 『あれー、ダメですご主人様』  違う!    安直な妄想を粉砕します。この美形を前に私が望むことは何?問いかけると、自分の中に今まで感じたことがないほどのどす黒い感情が沸き上がって来るのを感じました。  むしろこの美しい顔を思う存分歪ませたい!  嗚咽を上げながら喘ぐ姿が見たい!  純真無垢な(メイド)にそう思わせるほどに、目の前の男は妖しく美しかったのです。 「魔王様、メイドを連れてまいりました」  心の中で溢れ出るよだれを抑えるのに必死だったため、その言葉に気が付くのに一瞬遅れてしまいました。  えっ、魔王?魔王様って言いました。 「メイド?」  疑問を訊ねるより先に、イケメンが胡乱に口を開きました。 「メイドさんはどこにいるんだ」  イケメンも艶がある素敵なイケボイスです。でも話し方がなんだか軽いですね。いや、若いんでしょうか。外見からは年齢を想像するのが難しいですが、容姿と話し方が一致していません。せっかくの満点美貌なのにもったいない。  まずはそこから教育ですね、とまた湧き出してくる脳内よだれを抑えます。 「こちらにいる者です」  執事さんが当惑しながら右手で私を示しました。 「違うだろ!」  イケメンは椅子の肘掛を叩いて勢いよく立ち上がりました。 「メイドさんっていうのはメイド服を着ているもんだろ。メイド服を知らないのか?白いブラウスに黒のワンピース、その上からエプロンドレスを付けて、頭にはホワイトブリムを付けるんだよ。……もしかして、この世界にはメイド服がないのか?」  身振り手振りを合わせて熱弁を振るっていましたが、急に冷静になると恐る恐る訊ねました。 「ございます……」  執事さんは私の格好を一瞥した後、慇懃に答えます。 「この者は王都からこちらに来たところですので、まだ旅装のままなのです」 「なんだって?」  イケメンは愕然と口を開いています。うーん、この人は駄目イケメンですね。 「メイドさんって、常にメイド服を着ているもんじゃないのか」 「メイド服を着るのは仕事をする時だけのはずです。休みの時には自分の服を着るでしょうし、出かける時は外出着を着るものです」  そう言って執事さんはまたちらりと私に服を見ます。  分かります。分かりますよ。  新しいお屋敷に来るにしてはみすぼらしい恰好で来たと思っているんでしょう。うん、でもですね。これは私の唯一の外出着なんです。一着しか持っていないぐらい貧乏なんです。だからですね、ついつい王都を離れてこんなところまで来てしまったんです。 「そうか、……そうだよな」  イケメンは呟きながら力なく椅子に座りました。 「出かける時は外出着。エマもそうだった、思い出した」  項垂(うなだ)れると私たちの方を見ないまま、右手を差しだし、しっしと追い払うような仕草をします。 「やり直しだ。メイド服に着替えてから来てくれ」 「やり直しですか」 「やり直しだ」 「かしこまりました」  こうして私は執事さんに促されて部屋を出ました。  結局あの部屋に入ってから一言もしゃべりませんでした。もっとも最初はイケメンの美貌に打ちのめされ、その後はよだれを堪えるのに必死で、しゃべるような余裕はなかっんですけど。 「お手数を取らせて申し訳ありません」  執事さんは丁寧に謝ってくれます。 「いえいえ」  メイド服に着替えるぐらい大したことではありません。新しいご主人様はクセが強いようですけど、メイド仲間の口コミによれば、どこのご主人様も多かれ少なかれ多種多様なクセを持っているものらしいです。  クセにはこれから慣れていけば良いでしょう。  それよりも先に確認しておかなくてはいけないことがあります。  とはいえ、馬鹿正直に聞いてしまって良いものだろうかと悩んでいる間に執事さんはある部屋に入って行きました。狭く薄暗い部屋ですが、慣れ親しんだ感じの部屋でもあります。メイド用の部屋はどこの屋敷でも似たようなものです。この部屋は前のお屋敷の部屋よりは大分広いですけど、調度類はガタが来ているように見えます。  玄関で預けた私のトランクはすでに運び込まれていました。 「こちらで着換えてください。メイド服は持ってきていますか?」 「はい。ご主人様に納得していただけるかは分かりませんけど」  メイド服に並々ならぬ執着があるみたいだったから、私の古くてボロいメイド服では、またやり直しを命じられるかもしれません。 「その時は新しく仕立てれば良いでしょう」  ほんとに?やったーと心の中で快哉を上げながら、部屋から出て行こうとしていた執事さんを慌てて呼び止めました。  もう素直に訊くしかありません。 「あの……、こちらのご主人様は……、ま、魔王なのですか?」  執事さんは首を傾げます。 「求人票にそう書いてあったと思いますが」 「そうですよね。そうです、書いてありました。了解でーす。着換えまーす」  執事さんが部屋から出ていったのを確認すると、肩から掛けていたポシェットから慌てて紙を引っ張り出しました。一縷の望みをかけながらその紙、求人票を見ます。  望みはあっさりと破られました。  まぁそうだろうとは薄々気付いていましたけどね。  私が見落としていたんですよね。  求人票には「急募 魔王の館のメイドさん」とはっきり書かれていました。
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