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黒服仲間の西沢さんは登山が趣味だったのだが、ある山から帰る途中、気味の悪い体験をしたという。
一泊二日の登山日程は恙なく進み、午後の早い時間には仲間と一緒に下山の途についていた西沢さんは、もう少しで登山口が見えてくるというところで、誰かに左肩を叩かれた。
なに?と振り返ったが、そこには誰もいない。
それもそのはずで、パーティの中で一番登山経験が豊富な西沢さんは、隊列の最後尾を歩いていた。
おかしいなと思ったものの、自分のパーティのメンバーは全員遅れずに前を歩いているし、周囲に他の登山者の姿はない。西沢さんは気のせいだろうと思い、そのまま何事もなく下山した。
車で来たメンバー達と別れ、ひとり帰路につく。行きは新幹線で来た西沢さんだったが、予定より早く下山できたことだし、節約して帰ろうと考えた。
幸い明日も予備日として取っておいた休みがあったため、時間はたっぷりある。新幹線の切符もまだ買っていなかったので、在来線でゆっくり帰ることに決めた。
車窓から見える長閑な景色を満喫しながら電車に揺られていた西沢さんだったが、途中で奇妙なことに気が付いた。どういうわけか、自分の左隣の席だけ誰も座らないのだ。
最初は車内がガラガラだったため特に気にならなかったが、乗り換えても、地元に近付き乗客が増えてからも、左隣の席だけ一向に埋まらない。
それとなくシートに視線を向けるが、特に汚れているとか、何かが置いてあるわけではなさそうだ。
もしかして近寄りたくないほど汗臭かっただろうか、と一瞬不安になったが、右隣には入れ替わり立ち替わり誰かしら座っていたのを思い出し、再び首を捻る。
帰宅ラッシュの時間に差し掛かり、車内が殆ど満員になっても空いている左隣に、西沢さんはだんだん落ち着かない気分になってきた。いっそ席を立とうかとも思ったのだが、車内はすでにすし詰め状態で、かえって迷惑になるだろう。
どうしたものかと困っていたとき、ちょうど大きな駅に停車し、一気に乗客が入れ替わった。
西沢さんの前にも新しく乗ってきた老婦人がいたため、彼はこれ幸いと、彼女に席を譲った。
「あらまぁ、ありがとう。お連れの方まで申し訳ないわ」
「え?」
老婦人にニッコリと微笑まれた西沢さんは、ぎょっとして座席を振り返った。自分の座っていた席とその左隣は空いているが、他に立ち上がった客はいない。
老婦人も「あら?」と口元を押さえると、戸惑ったように周囲を見回して言った。
「さっきまで若いお嬢さんがお隣に座ってらしたから、てっきりガールフレンドさんかと勘違いしてしまったわ。ごめんなさいね」
西沢さんは曖昧な返事をしてその場を離れると、ドアの近くに立って、座席の方を見ていた。老婦人の隣には、すぐに別の乗客が腰を下ろした。
それ以来、西沢さんは常に、左隣に誰かが居る気がしてならないという。
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