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プロローグ 忘れちゃいけない子供時代
夕暮れ時、柏木真奈(かしわぎ まな)は困惑していた。自分がすっかり道に迷ったという事実に気づくのに時間がかなりかかってしまったということに。
彼女の住んでいる町は自然豊かで、特に海は綺麗だと評判だったが、かなり過疎が進んでいた。若者はこの小さく、仕事場も少ないこの町からかなりの人数が都会へと出ていった。人は少なくなりつつあった。
しかしそれは大人の事情。当の真奈にとっては関係ないことだ。その当時、たった8歳くらいの真奈は結構元気なほうで、リーダーシップを取る良き園児であった。少なくとも大人の目線から見れば……
真奈がいた町は、例えば中学校は都会に負けないくらいの、教育(特に勉強について)熱心な教員が大勢いた。なにせ、附属の幼稚園児たちに算数など、普通小学校から教えるようなものを、わずか十人足らずの園児たちに教えていた。しかもそれプラス英語まで教育科目に加えていたのだ。
なぜこんな過疎の町で、なぜこんな教育熱心な学校が運営されたのかというと、大人達の、子供への過度な期待のせいだった。この町はもうだめだ。いずれはこの町の子供たちも都会へと出ていくだろう。だから、せめて教育(というか勉強)だけは、都会並みにさせてあげよう――
真奈の町の学校はそんな大人の、子供にとっては迷惑な『願い』から運営されていた。子供は本来はこの時期は遊ぶものであり、勉強というのは、年齢に合わなければ意味を成さないものだ。はっきり言って、子供たちにとっては迷惑極まりないものだった。しかも、子供たちは、大人にとって『良い子』であった。つまり、大人の言うことを、無条件で聞くことになんの抵抗も示さない子供だったのだ。
真奈には、たった一人、まともな人間の価値観に照らし合わせても、本当の意味での友達は一人しか、いなかった。
それは真奈より少し年上の女の子だった。多分小学校1~2年くらいだったろう。
彼女の両親はその友達に対していい目をしなかっただろう。
その女の子は孤児だった。そして今時珍しい浮浪児でもあった。もっともこれはあとから分かったことだったが……
その子のことを知ったのは、幼稚園で初めての遠足が行われた時だった。このとき真奈たちは近くの公園にある、2階建てのビルの屋上に設置された、高さ十メートルほどの時計塔に出かけた。この時計塔は戦時中に建てられたとかで、結構歴史があるらしく、そのせいか『戦時中に死んだ兵隊の幽霊が出る』などの噂があり、地元の人も滅多に近づかない場所だった。
真奈はこの時計塔が一目見て好きになった。それは人々の記憶から既に忘れられたもののごとき風貌のせいかもしれない。二階建ての単純な形のビルの上に、直径3メートルくらいの大きな時計がついているだけの建物は既に壁はペンキが剥がれボロボロで、蔦がクモの巣のように張り付いている。もし清潔さを求める真奈の両親が見れば目を細めるのは間違いなかった。
しかも、時計塔の近くには竹林がまるでこの建物を覆い隠すように生えているときた。
だから真奈はこの時計塔に入ろう、いや、入ってやろうという気になったのだ。
正直言って、真奈は両親のことがあまり好きではなかった。まだ幼いながら周囲の目を気にしすぎる性格のこの少女は両親の自分に対する愛情が徐々に小さくなっていることに気づいていた。母親が自分をあまり抱きしめるようにならなくなったし、視線が急に痛々しく感じるようになったりと、その兆候が目立つようになった。極めつけは、家から離れたところに、「今日からここで、お勉強するのよ。」と言われて小さな小屋に連れて行かれたことだろう。
最初は自分を厳しく育てているのだと、幼い心でそう思っていたが、どうやらそうではないらしい。
両親は私に『いい子』でいてほしいようだった。
両親の言うように、いい子をずっとやっていかなくてはならない。
あとで聞いた話だと、どうもそれは自分だけではなかった。
幼いながらも理知的な瞳をしていると大人の間で人気のある(そのせいか、周囲の同い年の子供の中では浮いていた)真奈は、周囲の人間に対して敏感だった。幼稚園でくだらないアソビをしていたとき、友達(といっても、仲が良かったわけではない。)も同じような目にあっていた。
だが、そんなことは今はどうでもいい。
――ここは静かみたい。
真奈は静寂を好んでいた。確かにこんなボロボロの建物なら、誰も来ないだろう。幼稚園の園児たちも現に近づいていない。
真奈は、既にドアのない(というより、外されたのだろうが)入口から、まず中をのぞいてみた。
スペースは10畳くらいの中ははっきり言って、『草ぼうぼう』だった。コンクリート製の床の隙間からは雑草が床を持ち上げるように生え、窓(といっても、既にガラスは割れていたが)からも蔦が伸び放題といったところだ。壁のペンキは至るとことが剥げている。
だが一目見て、真奈はここが気にいった。ますます親が嫌いそうな場所だから……
けれど、そこには先客がいた。
気付かなかったのは、そこが暗かったせいだろう。そのコは隅っこに寝そべっており、服をボロボロであちこちが破れている。灰色のTシャツに、黒の短パンというラフな格好ではあったが、そうは見えないのは、顔のせいだろう。恐る恐る真奈は近づいてみると、顔は
やせ細っており、以前テレビで見た、『戦時中の兵隊』の顔そのものだった。要するにガイコツのようなのだ。唯一まともなななりは髪型くらいだ。今でも時代遅れの「オカッパ」だ。テレビの「ちびまるこちゃん」のキャラクターみたいだ。
興味とほんのちょっぴりの恐怖心に駆られながら、真奈はゆっくりとそのコの顔をもっと近くでみようと思い、足を一歩ずつ前に出していく。
そのときだった。そのコは急に目を覚まし、誰かに意図して起こされたかのように起き上がると、真奈のほうを獣のような眼差しで睨んだ。
真奈はビックリして思わず尻をついてしまった。この光景はさながらライオンという捕食者ににらまれ、怯えて体を動かすことを忘れてしまった獲物のごとき光景だ。
にらみ合いは数分続いたが、真奈はそれが永遠の如く感じられた。
――オイ……
最初はなにを言っているのか分からなかった。その声は数回聞いて初めて意味を理解出来るくらい小さい声だったから。
「オイ‼」
真奈はまたまたビックリして、まだ尻をついた状態だったことに気づいた。
「アンタは?」
喉に棒がつっかえているように話したが、そのしゃがれ声から、目の前の子が自分と同じ女の子だということに真奈は気づいた。それにしても酷い声だ。喉から声を絞り出しているという感じだ。
――ア。
なにか言おうとしたが、言いだせない。どうして?そう思い、自分が呆然としていることに気づく。
「あの、あのさ……」
ようやく一声喉から絞り出し、目の前の少女に語りかける。
少女は目の前の幼稚園児が自分に害を為す存在だと思わなくなったのか、緊張と怒りと警戒を解いて、安堵の表情を浮かべた。そして灰色だが、茶色に汚れているTシャツからなにかを取り出してみせた。
光輝く一握りサイズの小さな黄色い玉。そしてヒビが入っている。白い筋が表面を走っている。
「あいつらには言わないで。」
少女はアゴで外を指すかのように顔を動かした。時計塔の外には、他の園児達の引率をしている教師たちがいる。あの人たちのことだろうか。
真奈は窓から外を見た。だが、
「あの、エプロンをしている人たちのことじゃないわ。」
と少女に言われ、顔を戻した。
少女はまた緊張しているようだ。顔をこわばらせているが、声は怖がっているようには真奈の耳には聞こえなかった。
どうしてあげてほしいのかな?
真奈は、目の前の汚れている子供の頭に手を置いた。そして言ってあげた。
「よし、よし。」
一週間くらい前、家で飼っていた金魚が死んだとき、悲しくなって、泣きじゃくったとき、お母さんがやってくれた。お母さんに頭をなでなでしてもらうと、なぜか悲しいこともなくなってしまう。
効果はあったようだ。目の前の少女は再び緊張を解いて、笑ってみせた。
それは自分のお母さんの笑顔によく似ていた。
「それじゃ、あなたは〝ジュン゛って言うの?」
二日前に知り合った女の子と真奈は再び時計塔で出会った。その女の子は名を〝ジュン〟というらしい。
「うん。たぶんね。」
ジュンはまるで年配の男のようにあぐらをかき、真奈が持ってきたみかんに食いついていた。食べるのに夢中で他のことを忘れているかのようだ。
「ふあ、ふあ。」
言葉も忘れてしまったようだ。ジュンがみかんにかぶりつくのをみて真奈はおかしかったが、顔にそれを出すのはやめた。
「まあ、多分。あたしはジュンっていう名だと思うよ。」
ジュンは、大の大人の男が、大きな杯を飲み干したあとに出すゲップのような声を出すと、みかんを放り投げた。
「ところでさ~。」
ジュンは真奈の目をじっと見た。ジュンの目は獲物を狙う狼のようだが、口元はにやついていたので、別に怖くはなかった。
「あんた、あたしなんかと会って、大丈夫?」
「うん。」
真奈の意外な即答にその少女は驚いたようだが、またみかんを持つと、口に放り投げはじめた。
「ああ、そう……」
少し苦笑いの表情に真奈はクスクス。それはジュンのことが好きになって、友達になってきたという証であった。
話を聞いてみると、ジュンはそれはそれは大変な人生を過してきたようだ。
もの心がついたときには、既にコンクリートの冷たい壁が周囲を囲うなか、人付き合いが下手なジュンに友達はなく、いつも一人だったそうだ。大人達の反応も冷たかった。なにも自分が悪いことをしていなくても、腰につけた長さ三十センチくらいの長い棒でジュンの頭や体を叩いたそうだ。
――嫌なこと、聞いちゃったな。
真奈はそう思ったが、顔には出さなかった。この子が同情されるのが嫌だと思うかもしれないから……
だが、目の前のジュンは自分の過去を一通り話し終わったあともペロリとしているので、少し安心した。
「それで、逃げ出してきたってわけよ……」
いつかテレビで見た光景を真奈は思いだした。確かあれは、コント劇場とかいう番組で、酔っ払いの男が自分の奥さんに、真夜中に家に帰ったことを詫びるのに似ていた。
「もう一回聞いて悪いかもしれないけど、あんた、あたしなんかと会って、本当にだいじょうぶなわけ?」
再び尋ねたジュンに、真奈は笑顔を見せた。
「だいじょうぶ。お父さんとお母さんには上手く言っておいたから。」
「それにしても……」
「本当にだいじょうぶよ。」
「こんな、ミカンをたくさん、あ~た~ね~。」
今度は、中年のおばさんのような口調だが、自分を心配しているのだと感じることが出来た。
「だって、なんか楽しいんだもん。」
本心だった。この二日間、親に内緒でこの女の子にミカンを持ってきていることを、テレビドラマでいう『犯罪』というのは、こんな気分に違いないと真奈は単純に思った。
それに、なぜか……
「それにね。あなたといると、ちょっと楽しいのよ。」
本心だった。真奈は親といるのがなんだが最近、面倒に思っていた。というより、親に嫌われていると思っていた。
そろそろ幼稚園を卒業という時期で、親達は子供たちの小学校への行き先を子供たちに話していた。「小学校は楽しいところよ。」だの、「学校に入ったら、勉強だけ頑張ればいいのよ。」だの言う親が大半で、真奈の両親もその一人だった。特に真奈の父はこの過疎の町の町長でもあり、『子供を社会の一員にするために立派に育てます。』というのをモットーにしているかのような男だった。若いころはこの町の小学校で30代にして校長を務めたことでも有名だった。
そのせいか、真奈のこの父親は、幼い娘に対して厳しかった。これから勉強していくのだからと、友達(いなかったが)と遊ぶのを厳しく制限したり、家の門限を作ったりと、なにかとうるさかった。
それは子供の自立心を妨げる教育でもあった。しかし、大人はそんなこと考えない。自分の考え通りやればよく、子供が自分で考えることはNGであったのだ。
大人達がこんななので、当然子供達も影響を受けた。真奈もその『影響』を受けていたが、耐えていた。
なぜ耐えられたのかは分からない。周囲に友達がいないせいもあったのだろう。それが真奈の心の強さとでも言うべきものだった。
だがそれは、独りよがりの人間が持つ、強情さの表れでもあった。
――真奈はふと、視線を急に感じた。
目の前には例のジュンがじっと彼女を見つめている。真剣だ。それは真奈が信用に値するかを再度判断していた。
彼女は今度は笑って見せる。屈託のない笑顔といったところだ。目は大きく輝いている。
「でも、見つかったのが、あんたみたいな子でよかったわ。」
彼女は会話を始めた。するとなにか思いついたようだ。言葉がつまり、喉に物でもつっかえたかのような顔をした。
「そうだ‼ あたいのこと、誰にも言ってないでしょうね⁉
「勿論。誰にも言ってない‼」
またもや即答。ジュンは少し疑いの目を向ける。それに答えるかのような、真奈の真剣な目。
だが、沈黙は長くは続かなかった。
「あんた、やっぱ、変わっているわ‼」
ジュンは太陽のごとき笑顔。真奈もだった。
それからもまた、二人の交流は続いた。真奈はジュンに食べ物を持ってくるだけではなく、親に言われて捨てるように言われた古着を持って来たり、遊ぶためのボールとかを持ってきてあげたりした。
待ち合わせの場所は初めて会った時計塔だ。ここならあまり人は来ない。
ジュンとの遊びはなぜか楽しかった。幼稚園では他の子たちとも遊ぶことはあったが、こんなに心から楽しいと思ったことはなかった。
毎日、毎日、キャーキャーと楽しかった。ボール遊びからはじまり、缶蹴り、かけっこ、かくれんぼ、二人で考えつくものはなんでもやった。
骨の芯から二人は遊びを楽しんだ。周りの、嫌いな大人達は誰も知らない。
そのあとだった。彼が現れたのは――
その日、真奈はいつも通り、ジュンとの待ち合わせ場所であるあの時計塔に色々と彼女に渡すもの(その日は確か、リンゴのお菓子だった)を持って行った。あの日は確か、真夏の日だった。ジュンと知り合って、2~3か月後のことだ。
いつもの、空を覆うような林道を通ればそこは時計塔で、秘密の友達が待っているはずだった。
嫌いな大人が知らない、周囲の同い年の子供はその存在さえ知らない、自分だけの秘密の友達を持ち、ある種の優越感を持っていた彼女の心は踊っていた。
だが、そこにいたのは、ジュンではなかった。
男の子がいた。ジュンと同い年のようだ。髪はショートで、少しやせ細っている。目はぱっちりと開いていて、じっと見ていたら吸い込まれそうだ。服は白いTシャツに青い半ズボンというラフな格好であるが、顔には目を引くものがあった。自分と同い年のように見えるが、顔つきは精悍な大人の男といった顔つきだった。
幼さとハンサムさを同時に感じさせるような子だ。
体つきも自分が知っている年上の男の子とは違う。体は細かったが、半袖のTシャツからは逞しい体が透けて見えたので、よく見ると手や腕は結果が見えて、筋肉質だ。
真奈は時計塔の近くの竹林に隠れた。しばらく様子を見ようと思ったそのときだ。
「―おい、君。」
その声は、大人の男のように大きかったが、乱暴な感じではなかった。
おっと、今はそれどころではない。
真奈は自分はまだ見つかっていないと考えた。なぜなら自分の体はちょうど、竹に隠れており、見つかるはずはないからだ。
「ケケケケ♡。隠れても無駄だよ。」
だが、彼にはすでに筒抜けであったようだ。
――いいや、そんなことはない。彼の目は私を見てなかったはず……
真奈は自分の心に湧き出た疑問をかき消そうとした。近くの茂みから、林の奥へ少しずつ足を進めようとした。
そのとき、目の前にあの子がいた。まさに後ろを振り返ろうとした、その時だった。
――⁉
真奈は言葉を失い、まるで凶悪な捕食動物に狙われ、怯えてしまって身動きが取れなくなった獲物のように、その場に凍り付いてしまった。
彼はにっこりと笑っていたが、彼女の目にはなぜか不気味に見えたのだ。
彼の顔は精悍な顔立ちではあったが、目はまん丸と見えて、顔の形はジャガイモのようにも見えた。だが、彼女が凍り付いたのは、そのせいではない。彼の口は引きつって、無理やり笑顔を作っているようだ。その顔はまあ、幼い子の目には不気味に見えてしまった。
「こんちは‼」
ジャガイモ顔の少年は屈託のない笑顔を見せた。彼女はまだ言葉を失い続ける。
「――?」
少年は今度は真奈の顔の下から、彼女の視界に自分が入っているか確認するかのように彼女の顔を覗き込んだ。
「僕の顔見えてる?」
真奈はどう反応していいか分からない。
「まあ、とりあえず……。」
少年がそう言おうとしたそのとき、時計塔のほうから走ってくる人影が真奈の視界に入ってきた。
自分は気づかないうちに首を上げていたらしい。
真奈は自分の体の反応に驚いていると、その視界に、それが秘密の友達だと気付いた。
「ごめん、真奈ちゃん。急に現れて。」
少年は持ってきたリュックサックからなにかを取り出して、よっこらしょっとと、時計塔の中の、雑草が生え茂ったかつてのフローリングの床に腰を下ろした。
少年と顔を合わせるように真奈は座る。初めはびっくりして声を失ったが、まあ、悪い子でもないようだ。
――なにせ、自分の親友が信用した相手だ。
真奈は知っている。ジュンは簡単に初対面の相手は信用しないのだ。
――待てよ。となると、ジュンちゃんは前からこの子のことを知ってたのかな?
ちょっとジュンのことが気になり始めた。
真奈の顔を見ていたジュンが「ごめんね~。真奈ちゃん。言わなくて……」と突っ込んできた。
「この子は……」
と口を開けようとすると、今度は少年が口を出してきた。
「俺は、アスっていうのだ。」
まるで、殿様のように威張った口調だったが、昔のガキ大将のような姿が彼女には滑稽に見えた。口にはにっこりと綺麗な歯も見えた。
「ところで、ええっっと、真奈ちゃん?」
「なに?」
「俺らのこと、誰かに話した?」
一瞬、なぜが真奈は自分の体の中を、冷たいものが通るような、嫌な感触を感じた。
「うんうん。」
顔を横に振る。嘘ではない。そもそも、彼と会うのは今日が初めてなのだ。
「ふ~ん。」
怪しいね~と言っているのが分かる顔だった。ニヤニヤ口元がちょっと不気味だが、気持ち悪くはなかった。
「まあ、いいや。」
ニヤニヤ、悪いね~といった感じだ。
「ではッ‼」
アスはすっと立ち上がる。
「単刀直入に言います‼」
なにか、重要なことを言うに違いない。そういった雰囲気のアスを真奈は真剣な眼差しで見つめる。だが、「って言ってもねえ~。」きゅうにだらしくなくなったアスをみて、真奈は緊張をほぐしてしまった。
「ケケケケ♡」
またあの変な笑い声。ゲゲゲの鬼太郎みたいだ。
「アス(あす)爺(じい)。」
ジュンがなにか思いつめたようだ。
「私から話すよ。」
ジュンは話そうとしたアスを押し倒すように真奈の前に出ると、今にも泣きそうな顔で言った。
「真奈ちゃん。私ね、ここを出ていこうと思うの。」
「―えっ?」
突然の告知に真奈は戸惑い、声を失う。。
「というのもね。ここの場所も人間の人たちに知られそうなんだって……」
そして、アスが突っ込んでくる。
「近々、町がこの時計塔を解体するという情報が入っている。」
怪しい。まるでTVドラマに出てくるスパイみたいな口調だ。
真奈の顔に気づいたのだろう。アスがすかさず「本当だ‼」と、言い放った。なんか、言い訳のようにも聞こえるが……
「真奈ちゃん。」
ジュンは手をそっと真奈のほうに伸ばし、ギュッと握りしめて言う。
「せっかく、いいお友達になれたと思ったんだけど。私も真奈ちゃんと別れるのは辛いけど、ここに私の居場所はないの……。」
「―どういうこと?」
「詳しく言っても分からないわ。多分。」
急に真奈は胸が苦しくなってきた。なぜかは最初分からなかった。頭をよぎったのは、理想が崩れ去る感じの喪失感であった。と同時に頭をよぎったのは、自分は裏切られたという気持ちだ。
――詳しく言っても分からない?
自分はバカにされているのか? ふと彼女の脳裏をよぎったのは、嫌いな両親、周囲の大人たちのことだ。
彼らも詳しく言わない。ただ、彼女に様々なことを強要してきた。
――アレ、シナサイ。
――シテハダメ。
氷よりも冷たいなにかが彼女の頭を流れた。
気がつくと、目の前の二人はなにを言っていいかわからず、途方にくれているようだ。
この顔は、周囲の大人達と同じだ。
――ダメ。
なにを言っても無駄だと。
そう思うと、腹が立ってきた。自分の秘密の友達、とっておきの友達もあいつらと同じなのだ。
「もういいよ。」
真奈はすっと立ち上がり、二人を目を開き、口をへの字に曲げ、きっと睨む。
「もういいよ‼」
半ば泣きじゃくりながら、その場を立ち去ろうとする。
「ちょっと、待ちなよ‼」
ジュンが彼女の片腕をつかもうとするが、はねのける。
「あなたも、あいつらと一緒‼」
なぜが悔しくてたまらなかったが、もう言うことはない。
その場を走り去る。
心臓がバクバクなるのを感じながら、悔しく思いながら、林の中を駆ける。
林を駆けるスピードが早かったのか。彼女は足を滑らせて、勢いよく転んでしまった。
右足と左腕に擦り傷が出来ている。痛みもある。立ち上がろうとすると、力が抜けたように、足がすくんでしまう。
痛かったが、我慢したかった。自分がなにやら惨めに思った。
「お~い‼」
後ろから声が聞えてきた。振り返ると、あの二人だった。
「真奈ちゃん‼」
ジュンが近寄ろうとしたが、彼女は嫌だった。
だが、足が思うように動かず、痛みが増していった。
ジュンはどこからか出したハンカチで、真奈の足をまいてやった。
そのハンカチは水色の、どこにでもあるハンカチだったが、なぜか赤いシミのようなものがついていた。
「だいじょうぶ?」
ジュンは少し泣いているようだったが、気に食わない。
「もういいってば‼」
足はまだもたついていたが、なんとか動かせたので、彼女はその場を急いで去っっていった。
その姿を、二人はしばらく眺めていた。
息が切れそうになった。
真奈は立ち止まって、自分が来た道を眺めた。
ずっと山の奥まで続く道はあの林の手前でプッツリと切れていた。
――ああ、なんだってこんなことに……
自分が後悔し始めていることに気づく。けど、認めたくなかった。負けを認めることだ。
だから、両親がなにか尋ねてきても、黙っているつもりだった。
けど、帰宅したとき、この両親は真奈が『いい子』を演じてきたせいか、なにも聞かなかった。
悲しかったが、それ以上に後悔の思いのほうが真奈の心臓に重くのしかかる。自分はこんななに嫌なやつだったのか……
そう思うくらいなら、しなければよかったのにという人もいるだろう。しかし、自分というものをあまり出さないこの少女にとって、彼女は心のよりどころとも言える存在だったのだ。その者に裏切られたのだ。
だが、そんなことはないと、この子の利口な頭がそう言い始めた。そうだ。別にジュンがなにか嘘を言ったという証拠はなにもないではないか……
「なんで私って、いい考えが後から湧いてくるんだろう。」
自分に幻滅。でも、もうくよくよしてもしょうがない。
――明日、謝りにいこう。
そう思いつつ、いつのまにか自分の部屋に戻っていた真奈は布団をしくと、その中にもぐりこみ、とにかく、目をつぶった。
精神的な疲れが溜まっていたのだろう。彼女の意識はすぐに深い眠りに落ちていった――
次の日の午後、彼女はあの竹林の中を、足を引きずるようにトボトボと歩いていた。
急に足が止まる。だが、進まなくてはいけない――
とその時である。なにか、大きな音が彼女の鼓膜に突き刺さった。
それは例えるなら、大きな物が落ちてきて、地面に当たった時のものに似ていた。しかも連続的に聞こえてくる。
真奈は先日のあの二人の会話を思い出した。嫌な予感がした。
――怖い。
だが、それ以上に行かなくてはいけないという意思のほうが強かった。
最初は少し早歩きだったが、気がつくと走っていた。
目の前がだんだん開けてきた。少しずつ周囲も明るくなってきた。
そして――
あの物音の正体が分かった。
大きなブルドーザーだ。それに、10メートルくらいのクレーン車もある。
人もいる。長袖の作業着を来た大人が数人。
なにを考えていたのか、分からない。しばらく呆然としていたようだ。
――本当だったんだ――
そう思うと同時にこみあげる、胸を苦しめる思い……
――どうして、信じてあげなかったんだろう……
「どうしたの、おじょうちゃん?」
顔をあげると、作業着を着た数人の大人がこちらを見下ろしていた。
頭がなぜか痛く、息がしにくい。まるで喉にものが詰まって、お腹にそれが落ちていたよ
うだ。
――ひどい……
どうしてそう思うのか――
――わたしが信じなかった――
そして耳をつく轟音が竹林中に響いた。クレーン車の先端に取り付けられたドリルのような太い鉄パイプが時計塔を無情に壊し始めた。
自分を見下ろす男以外の大人達が、解体作業を始めるや心臓がバクバクいうのを感じる。
そして気づく
――もう、どうしようもない。
目の前の大人が自分を困惑した目で見下ろすのを感じる。それは苦だった。
どんどん時間だけが過ぎていく。重機だけが動いているようだ。
もうなにもかも嫌になっていく――
次の瞬間、気がついたら真奈は来た道を駆けて戻っていった。
――いつのまに……
気づいても、彼女の足は勝手に歩いていた。両足は自分の意思とは関係なく動いているみたいだ。
――わたしは……
ゆっくりと足を引きずっている自分がみじめに思えてきた。
――わたしが……
なぜ信じてあげることが出来なかったのだろうかと自問自答する。
いつの間にか、夕暮れ時になっていた。赤い夕焼けが自分の背中を焼いているように思える。何かに責められているようだ。
そういえば、ここはどこ?
周りを見渡すと、畑はなく、ただ木々が生い茂っている。
後ろを振り返ると、道のようなものはない。ただ草原が広がっている。
そして困惑。理解した。
道に迷ってしまった――
今日はなんて日なんだろう。
真奈は自分を呪った。自分をののしった。自分をせめた。
だが、もうどうしようもない。
しょうがないので、とりあえず、来た道を戻ろうとしたときだった。
目の前の木々から、なにやら巨大なものが飛び出した。
――?
以前聞いたことがあった。昔はこの辺にも大きなクマが住んでいて、人を時に襲うことがあったとか、なかったとか……
だが、目の間に現れたソイツは異様なモノだ。
最初、身長2メートルくらいの人間に思えたソイツは影が大きくなるにつれてはっきりしてきた。ソイツは身長が6メートルくらで、体つきはクマみたいだが、四肢に長い鉤爪があったのだ。
――なに‼ これ……
真奈は恐怖のあまりその場から動けなくなった。
大きなシロクマに色を背中に塗ったような生き物は彼女の顔をのぞくと、フンと鼻を目の前で鳴らして見せた。
――わたしを食べるつもり⁉
なんとか金縛りにかかった体を動かそうとしたが、恐怖の余り目の前の獣の視線から逃げることが出来ない。
グワッっと目の前の怪物が口を大きく開けた。
――‼ 食われる‼
かがもうとしたその時だった。なにか耳につんとくるような鋭い音が聞こえたと思ったいなや、その動物は急に倒れたのだ。
その狂暴そうな獣は真奈のほうに倒れたが、目の前が暗くなる前に彼女は横へそれた。近くの木にぶつかりそうになったが、間一髪でよけた。
興奮と恐怖が体中を襲ったが、真奈はゆっくりとその獣に近づいてみた。
そいつは白目をむいていたが、犬のようにフーフーと息をしている。コイツはまだ生きているようだ。
腰をぬかしてしまったらしい。腰をあげようにも起き上がれない。
「ちょっ ちょ‼ だいじょうぶ‼」
ふいに後ろから聞き覚えがある声が聞えてきた。
振り向りかえると、そこにはぽつんと立った女の子がひとり……
忘れもしない、あのオカッパ頭の友達だ。
なにか声をかけようかと思ったが、なぜだろう、胸が苦しくなってしまった。
息がつまる。
なにも言えない。
――ちがう。
そして自分の本心に気づく。
認めるのがこわい――
そのときだった。ジュンの後ろから、誰かがかけてきた。
ショートで、坊主頭の男の子。
「お~い。だいじょうぶか?」
「アス‼ これはどういうことなのさ?」
「いや~申し訳ない。こっちにくるとき、ゲートを閉じるのを誰か忘れたみたいだ。」
以前なんかのテレビで見た、奥さんに酒を飲んで家に帰るのが遅くなった、サラリーマンのように見えた。
一方の真奈はまだ腰がもちあがらない。
――なさけない。
「ああ~ ごめん。気づかなかった。」
尻もちをついている真奈に気づいたジュンがこっちに駆け寄ってきた。
「だいじょうぶ? 立てる?」
「だいじょうぶ。」
まさかビビッて腰が引けてしまったことに気づいてもらいたくない一心でそういうと、なんとかジュンに手を引かれながら、立ち上がってみせた。
「怪我がなくてなによりよ。」
ジュンが子供をあやす親のような声をかけたが、
「まあ、怪我なんてないと思ったよ。」
とアスが一言言ったので、振り向いた。
ゆっくりと、そろ~りと、巨体の獣に近づく。ときどき、鼻を犬のようにひきつかせ、両目はときどき震えている。
眠っているらしい。
「ちょっと、コイツはきつかったかなあ~。」
彼は余裕な表情で握ったものを見つめる。真奈の視界に入ったのは、銀色に輝く、直径5センチほどの円筒のようなもので、手にはピストルの引き金のようなものが見えた。
――ひょっとして、拳銃?
だがそれにしては変な形だ。テレビで見た拳銃の先っぽは円筒なのだが、これは針のようにとがっている。そもそも、拳銃というのは黒っぽいものじゃないっけ?
真奈の視線に気づいたアスは、おおっと言うと、「こいつはちょっと、借り物でね~。」と悪戯が見つかった子供のように舌を出した
「おおっと、こうしちゃおれん。」
アスはふと、小っちゃな半ズボンから小っちゃななにかを取り出した。
――ケイタイ ?
真奈は刑事ドラマでみたものを思いだした。たしか、なんかの事件の際には、年寄のベテラン刑事が『おい。……と――に連絡しろ。』とかなんとか言って、したっぱの若い刑事が出してそれで連絡していた。
でも、思っていたのとはそれは違った。
アスがポケットから出したそれは彼の手のひらで花のつぼみが咲くように広がると薄いカードケースの形になった。
「ああ、もしもし。」
アスが何も変わったことなどないかのように言う。そして、軽い口調で話だしだ。
「ミスター・ノーリッジ君に変わってくれたえ。」
なんだが、以前テレビで見た、偉ぶった社長が、秘書に言うような言葉遣いに少し苦笑した。
不思議な形の携帯電話(?)からなにか声が聞えてきたが、早口言葉なのか、聞き取れない。
「ああ、そう。わかった。そしたら、次元回廊の座標はオレの机の上にたぶんあるから、悪いけど、きみ、設定してくれない?」
なにやら方言というか、癖の強い声で話している姿はまるで田舎のおっちゃんだ。
「よし、これでよし。」
ポンと紙のように謎の携帯電話を丸めてしまった。
ポカーンとしていたのに気付いたのだろう。アスがニヤニヤとこちらを眺めている。
「これかい? こいつはね、とお~い星からの贈り物だよ。」
年寄りのおばあさんが、子供に優しく聞かせるような口調で話したので、思わず噴き出した。
アスが今度はあのシロクマのほうにテクテクと歩いて行き、数歩手前で手を巨大生物のほうにやると、犬のようになではじめた。
「よしよし、いい子だ~。」
巨大なる獣はねむっているが、口元から、よだれを垂らし始めた。
「さて……」
アスは今度はこっちにテクテクと歩いてきた。
「これは誰にも話しちゃ、いけないよ。」
とニヤニヤ誰かをからかうような顔をして、人差し指を口に当てて見せた。
――だまってろということか……
「真奈ちゃん。」
ふと後ろこちらを悲しそうな、それでいてなにか、寂しそうにもみえる視線がこちらを向いていたのに気が付いた。
ジュンだった。
「あの、さあ……。」
なにか、悪いことをしたかのようにふるまうしぐさに、少しイラッとしてしまった。
――わたしがわるいのに……
そう思った彼女の行動は早かった。
「ごめんなさい‼。」
向こうでアスが、あの巨大なクマとなにかしていたが、そんなこと気にしちゃいられない。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
目から涙があふれ、気がつくと涙声になってしまっていた。とにかく、ひたすら謝った。
目の前のジュンは、なにやら間の悪そうな顔をしていたが、「もういいって‼」と真奈にかけより、彼女を抱きしめた。
「ケケケ♡」
ふと横目をすると、いつのまにか、アスが二人を見つめていたのに気付いた。
「ふたりとも、仲良くなったようだなあ~♡」
なぜか、エロい中年オヤジのような顔でこちらを見るのが、少し腹立たしい。
「まあ、よかったじゃないか。」
ポンとジュンの肩をたたいたあと、アスはまた巨大な獣のところに戻っていった。なにもないかのように去っていく姿がなんか、ムカつき、二人は思わずお互いにらみあった。
真奈はジュンのムカッとした顔を見た。まるで風船のように膨らんだ顔に思わず噴き出してしてしまった。ジュンも同様だった。
「私も会えなくなるのは、寂しい~。」
恨めしそうに聞こえるが、その顔はなぜか明るいジュンの顔をみて、真奈は安堵した。
勿論、すぐ納得したわけではない。だから、このときどういう顔をしたらいいか、分からなかった。
あたりはもう暗くなりかけていて暗闇が二人を覆っているようだ。
「でも、しょうがないんだよね……」
と聞き分けの良い真奈はうなずくしかなかった。ジュンの居場所である時計塔はもうすでに取り壊されている。もう彼女に居場所がないことはもう分かっている。
「真奈ちゃん……」
ジュンの両手が彼女の両手を包む。その手は、なぜか、不思議な温かみを感じた。
「お別れは寂しいよ。」
その口調は、周囲の大人のそれに似ていたが、なにかが違った。
「ジュン。」
彼女の後ろから、アスが声をかけてきた。
「そろそろ行かないと……」
彼は二人の間に無理に入ろうとはしなかった。多分二人の間を察しているのだろう。
二人の間に、気まずい空気が流れてた。
「――ごめんね。」
ジュンが重い口を開いた。
「こっちもごめんね。」
そう言ったその時だった。二人の後ろからなにやら怒鳴り声が聞えてきた。
「まずい‼」
アスはジュンをせかした。
「人が来る‼」
せかすアスの後ろをみて、真奈は言葉を失った。それは辛い別れのせいだけではない。
見ると、あの大きな生き物の姿がなかったのだ。真奈があれこれしている間になにかあったろうだろうか? だが、誰かが運んでいった気配などもなかったし……
「いそげ‼ 色々と面倒くさいことになる‼」
アスの口調が激しくなる。
「真奈ちゃん。ごめん‼ もし今度会うときは、ちゃんと友達になろう‼」
別れを惜しむと、ジュンはアスのほうに駆けより、二人は林の中の草むらに逃げ込むように入っていった。
待ってと言おうとした時だ。
「おい君‼」
大人の声に耳を奪われてしまった。振り向くと、懐中電灯で照らした大柄な男性2人がこちらにあと数歩の位置まで来ていた。
急に怖くなった真奈は林のほうに目を向けると、もうそこには二人の姿は見えず、ただ静寂だけがあった。
強く肩をつかまれ、男の顔が視界に飛び込んできた。
「ここでなにをしているんだね‼」
まるで、警察官が犯罪者に尋問するかのようだ。私はなにも悪いことはしていないのに。
その場に来た大人は大柄の男の二人組だった。服装は泥がかかった厚手の作業着なので、多分例の時計塔の工事に携わっている人間だろう。
もう一人の男はあたりを見回し、なにかいないか探っているようだ。だが、誰もいないのを確認すると、こちらも真奈のほうに視線を戻した。
「ええっと……」
なにを言ってよいか分からず、呆然自失の彼女を横目に二人はまたあたりを散策しはじめた。
「君、家は……」
それからは「どこに住んでいるの?」とか「親御さんは?」とかの質問攻めだった。最初はなにを言うべきか迷っていた真奈だが、やがて淡々と答えていった。
もうそうするしかないと思わんばかりに。
そして気が付いた。
ただ、彼女が会えないのは、そうするしかないのだと諦めたこと
友達の言うことも聞かず、だだ、自分の気持ちをぶつけるだけだったこと。
ただ、ともだちを見送ることしかできなかった―
他の周囲の人と何も変わらない。
今の自分はなにもできない。
臆病で、わがままなだけの子供なのだと―
すぐに数日が経った。
真奈はまたあの時計塔にやってきた。幼稚園から送迎バスで家に昼過ぎに戻ってきたのだが、昼飯も食べずに簡単に着替えるとすぐにココに戻ってきていた。
そこにはあったのは、ただの2~3メートルくらいのコンクリートの塊がポツンと一つ、綺麗なさら地の上にあるだけだった。林の中がくりぬかれたようにも見える。
もう時計塔はあとかたもなく、解体されていた。
すぐに後悔と、懐かしさと、悲しさが心臓をめぐった。泣きそうにもなったが、なぜか泣けない。泣いてしまえば、なにか嫌なことを認めてしまう。
もう彼女には会えないだろう。なぜか、そう思う。自分だけの、本当の意味での友達を彼女は失ってしまったわけだ。
けど、このままでは嫌だ。
苦しいが、立ち直ることにした。
けど、なにができるんだろう?
自問自答する。答えなんて出ないと分かっているのに……
なにも出来はしない……
心の中でそう言う自分がいる。
けど、いやでしょう?
心の中で、そう反対する自分がいる。
――だけど、どうすんのさ? なんにも出来ないじゃん?
――出来ないことばっかり、言うな‼
それが何時間続いたのだろうか?気が付けば、もうそろそろ日が暮れるころだ。
彼女は頬を両手でパンと叩くと、くるりとまわれ右をした。
もう答えは出ていた。こんな嫌な自分とは分かれると、そう決意した。
彼女は時計塔をあとにすることにした。振り返ろうとしたが、意地になってやめた。
もう決心はついたのだ。
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