ヴィラン

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「帰り道、わかる?」  こはるは黙ってうなずいた。青年は安心したような顔をする。 「そう。それじゃあ、はやく帰りなね」  青年は再び帽子をかぶり、こはるの横をすり抜けて遠ざかっていく。呆気(あっけ)に取られていたが、あわてて青年を呼び止めた。青年は少し先で立ち止まった。 「・・・まだ何か?」  青年の声は怪訝(けげん)そうだった。なんでこんなに心臓が高鳴っているのだろう。この人は、”彼”ではないのに。 「あの、あなたの別荘はこの近くなのですか」 「・・・私有地だって、さっき言ったと思うけど」  青年の声が、また警戒した様子に変わる。なぜそんなことを聞くんだ、と言わんばかりに。 「でしたら、あの、とても図々しいとは思うのですけど、少しお水をいただけないでしょうか。歩きすぎて、疲れてしまって」  自分は何を言っているのだろう。  別に我慢できないほど疲れているわけではない。でもこの時はなぜか、この人との関わりをこのまま終えたくはないと思って、とっさに言葉が出た。  青年は、しばし黙った。瞳がわずかに(かげ)る。こはるはなぜか胸騒ぎがした。 「君のとこの別荘は、ここから遠いの」 「たぶん。・・・一時間以上はかかると思います」  青年は再び沈黙する。 「・・・水飲んだら、すぐ帰る?」 「は・・・、ええと、できたら少し、休憩もさせていただけたら」  大きなため息が聞こえた。  「あまり長居(ながい)はしないでね。人を家にあげるって、好きじゃないからさ」  こはるは胸を撫で下ろした。勢いよくうなずいて、青年の後につづく。  そこから5分くらい歩いた先に、大きな西洋風の屋敷が現れた。こはるの別荘よりも遥かに広くて大きかった。  屋敷の前には高級な外車が停まっている。けれど、屋敷の周りは草が生い茂っていて、車が通れるような道は見当たらない。近づいて気づいたが、外車は長い間雨風に(さら)されていたらしく、ひどく汚れていた。  青年は無言で、屋敷の入り口へと歩いていく。こはるも何も言わず、黙ってついていった。  青年が扉を開けると、中は(ほこり)っぽかった。立派な屋敷なのに、あまり掃除をしていないのだろうか。  奥へと続く廊下は、壁一面に細かな装飾がされていた。コツンコツンと、二人分の足音が静かに響く。  突き当たりの扉を開けると、中には大きな長テーブルと、左右に椅子が5つずつ綺麗に並んでいた。 「座って待っていて」  青年は隣の部屋に姿を消すと、すぐにコップとペットボトルに入った水を持って戻ってきた。どうやら隣はキッチンらしい。 「ありがとうございます」  立ちっぱなしだった足はじんじんと痺れていた。ゆっくりと腰掛けると、体の力が抜けていく。  青年は水を注いでくれた。こはるはペコリと頭を下げ、コップの水を飲み干した。空になったコップを手に青年を見つめると、大きなため息をついて再び水を注いでくれた。  こはるは笑顔を作り、また一気に水を飲み干す。 「・・・君さ、いいとこのお嬢様か何かでしょ。ずいぶんと人を使うことに慣れているよね」  そんなこと、初めて言われた。こはるは目を丸くする。 「そんなつもり、なかったのですけど。不愉快でしたかしら。申し訳ありません」 「気にしなくていいよ。金持ちって、みんなそんな感じなんだろ」  白けた声で、青年はつぶやく。こはるは不思議に思った。こんな大きな別荘を持っているこの青年だって、裕福な家柄ではないのか。  室内に沈黙がおり、何か話さなければならない気分になった。 「この別荘には、避暑でいらしてるんですか」 「ああ、そんなとこ」    会話はすぐに途絶える。また沈黙。まるで、居心地を悪くして、はやく追い出そうとしているみたいに思えた。  けれど、そんなことで慌てて帰るほど、けなげな性格はしていない。ゆったりと笑みを作り、青年に壁打ちみたいな会話を続けた。 「いつまで滞在のご予定なんですの?」 「決めてない」 「・・・こちらにいらっしゃる間は、どのように過ごされてるのですか?」 「ダラダラしてる」 「・・・・・・東京とちがって、涼しいですね」 「そうだね」 「・・・」  さすがにイライラして、こはるは口をつぐんだ。気を紛らわすようにふっと息を吐く。 「それだけしゃべる元気があるなら、もう体力も回復してるんじゃない?」  青年は(あで)やかにほほ笑んだ。  
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