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その時、階上で物音が聞こえた。
こはるは天井を仰ぐ。青年は微笑んだまま、顔から感情だけがすっと引いていった。青年は席を立ち、ここで動かずに待っていてとこはるに告げた。
「上にいらっしゃるの、ご家族ですか?」
青年は一瞬だけ動きを止め、自嘲気味に笑った。
「家族、ね。うん、そうだよ。・・・・・・血の繋がった俺の弟」
パタンと扉が閉まると、こはるはひとり取り残される。ポケットからスマホを取り出すと、母親からメッセージが届いていた。
『こはる、まだ散歩中かしら。心配になるから、早めに帰ってきてね』
こはるはため息をついた。なんとか指を動かして、メッセージを返す。
『ごめんなさい、お母さま。少し遠くまで来すぎちゃったの。帰るの、ちょっと遅くなるかも』
母親からはすぐに返信が返ってきた。
『あら、そうなの?お昼までには帰って来れそう?旭が戻ってきたら、車で迎えにいかせようかしら』
『大丈夫よ。歩いて帰れるわ。お昼、過ぎちゃったらみんなで先に食べていて』
『んもう。いくらまだ明るいからって、変な人はいるんですからね。ひとりでフラフラしてたらさらわれちゃうかもしれないのよ』
うっとうしい。メッセージが届くたびにそう思ってしまう。けれど、決して苛立ったところを見せてはいけない。
『心配かけてごめんね、お母さま。別荘に戻ったら、なんでもお手伝いするから許して』
あくまで、いい子に。でないと、これまでの努力が水の泡だ。
高校を卒業したら、こはるは家を出て一人暮らしをしようと決めていた。けれど、心配性の母親が納得しなければ、きっと許してもらえないだろう。
母親を安心させないといけない。あと二年間のがまんだ。
ガチャリと扉が開き、青年が戻ってきた。
「お待たせ。それで、君の体力はあとどれくらいで回復しそう?」
優しげな声音で、失礼な物言い。見かけによらず、気が短い性格なのか。こはるは嫌味に気づかないふりをして、優雅に笑んだ。
「もう少ししたら帰りますわ」
「そうしてくれると助かるよ」
青年は美しい顔をほころばせる。音声さえなければ、世のほとんどの女性が恋に落ちてしまうほどに魅力的だった。
・・・天は人に二物を与えないって、本当ね。きっと美しい人間には皆、致命的な欠点があるのだわ。この男の場合は性格ね
青年のグレーの瞳を見つめながら、こはるはそんなことを思った。
「それにしても、不思議な色ですね。その瞳」
なんとなく言ったこはるの言葉に、青年の周りの空気が一瞬で張り詰めた。
「・・・そう?ありがとう。でもね、嫌いなんだ。この瞳」
何か言ってはいけないことを言ってしまった。それだけはわかった。こはるは笑顔のまま取りつくろう。
「そうなんですの?綺麗な色なのに」
「うん。俺もそう思ってるよ」
なら何で、とは聞ける雰囲気ではなかった。
「外国の方の血筋なのですか?」
「たぶんそうなんじゃない?純日本人ではありえない色だし」
この屋敷に来た時から感じていた違和感。その正体が、何となくわかった気がした。
なぜ家族の話をしているのに、曖昧に返されるのだろう。この青年は、いったい何者なんだろうか。
いろいろと聞きたいことはあったけれど、この青年から滲み出る拒絶のオーラが、こはるを怯ませた。
・・・何とかがんばって居座ってしまったけれど、そろそろ限界みたいね
こはるはゆっくりと立ち上がった。
「休ませていただいて、ありがとうございました。そろそろ帰ります」
すると、青年の顔がパッと輝く。
「そう?よかったよ。途中まで送って行こうか」
「いえ。ひとりで帰れますから」
ゆったりとお辞儀をすると、青年は感心したように目を見開いた。
「そうしていると、常識があるように見えるね。お嬢さん」
失礼な言葉を笑顔で黙殺し、こはるはそのまま屋敷を後にした。
そのまま家路へと戻る途中、こはるは何度も後ろを振り返っては、屋敷の方を確かめた。
なぜだかわからなかったけれど、屋敷を出たら、二度とここには辿り着けないような、ずっと夢でも見ていたかのような、そんな不思議な感覚に襲われたのだった。
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