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濡れて黒々とした目が真っ直ぐにこちらを見つめ、必死に訴えかける。俺は子猫の目を見て、動けなかった。喉の奥まで見えるほど口を開け、鳴き続ける。訴えはやがて、俺を責める響きに変わっていった。
「だから、何もできないんだって」
苛立って声を上げた。
子猫の声が耳に刺さる。
責められても、俺は何もできない。
手に力が入った。
鳴き声の色が変わる。
このまま力を入れ続けたら、この猫はどうなるのだろう。このやわらかな体は。
自分の内側から言いようのない怒りが込み上げる。全身にビリビリと電気が走った。
お前なんかなにもできないくせに。
俺にはなにもできないのに。
なにもできない。
できない。
俺は瞬間腕を上げ、壁に向かってた叩きつけるように振り下ろした。
「長井」
はっと顔を上げた。
「どうしたの」
すぐ横に不思議そうな表情をした木瀬が立っていた。
子猫は温かいまま、俺の両手の手の中にいた。
俺は腕を振り上げてはいなかった。
木瀬の丸い目が俺を覗きこむ。
俺はとっさに子猫を地面に放し、逃げた。
「どうしたんだって」
木瀬の声が追いかけてくる。
見られた。
猫を殺そうとすることろを。
殺していない。
殺すつもりなんてなかった。
塀の途中にある門扉が開いている。とっさに俺はその中に駆け込んだ。
ザッと風が草を薙いだ。
薄い水色の景色がひらけた。
俺は塀の中をはじめて見た。そこは想像よりも広々としていた。
長い草の群れが風を受けうごめいている。草の生えていない場所がひとすじ、けもの道のように奥へ向かって続き、その先には一軒の古い木造の小屋が見えた。
重い雨粒が一筋、頬を打った。
それを皮切りに、一気に雨が降り始めた。
「雨宿りしていきなよ」
空き地の入り口に、子猫を抱いた木瀬が立っていた。
木瀬は俺を追い抜き、空き地の奥へ走った。片隅にある、戸のなくなった小屋の中へ入っていく。一瞬木瀬が小屋に飲み込まれたように見えた。
「早く」
顔を出し手を振る姿を見て、俺もそちらへ走った。
俺たちは狭い小屋の奥に座った。
屋根に激しく雨が打ちつけている。
俺は呆然と小屋の戸口から見える驟雨を眺めた。頭の中に泥がつまったように、何も考えられなかった。
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