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「長井。この猫、飼いたかったの」
いつもより大きな声で木瀬が言った。いつの間にか子猫は鳴くのをやめ、木瀬の膝の上にうずくまっていた。
「え?」
「だって、大事そうに顔を見てたから」
俺は耳を疑った。俺の頭の中で繰り広げられていたことを、木瀬は知らない。
「欲しくないよ。飼えないし」
「じゃあ、俺が連れて帰っていい」
「いいよ」
よかったな、と木瀬は子猫を抱き上げ、鼻面に自分の鼻をくっつけた。
嘘をついたような気がし、心臓が胸を打っていた。
木瀬は尻のポケットからハンカチを取り出し、拭きなよ、と言って俺に渡した。それから羽織っていたシャツの裾で子猫を拭いてやった。
「ここさ、俺の秘密基地なんだ」
「え?」
俺はふたたび聞き返した。
「時々ここにひとりで来るんだ。いつも塀の戸が閉まってるから、誰も知らないんだ。だから空き地に入ったことは秘密にしてよ」
「怖くないの」
「何が」
「オバケとか」
木瀬は俺の顔を見たあとかすかに笑い、自分の足元を見た。
「怖くないよ。オバケなんていない。人間の方が怖いって」
俺は何も言えなかった。急に大人びて見えた木瀬の横顔を見た。本当は俺の考えたことに気づいているのだろうか。
疑いは晴れなかったが、木瀬は別れ際に、いつでも猫を見に来てよ、と言って手を振った。
家に帰ると門限は大幅に過ぎていて、俺は母親にこっぴどく叱られた。小言は耳に入らず、木瀬のシャツに包まれていた子猫を思い出し、安堵していた。
けれど自分の頭の中でうまれたあの衝動を、長いこと俺は恐れ、忘れられずにいた。
迷った末に木瀬はビールの小を注文した。
「あの空き地の前にいた猫、覚えてる」
オーダーを取った店員を見送り、木瀬はメニューを戻した。
「……ああ」
「あいつさ、18年も生きたんだよ」
写真見る、とスマートフォンを取り出し見せられたのは、立派な体躯をしたキジ猫だった。幸せに生きたことがひと目でわかる、柔和な顔つきをしている。
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