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「anata no oto」
ずっと聞いていたいのは
裁ちばさみで布を切る音
砂利道を踏みしめて
あなたが近づいてくるような
雨音のようにリズミカルで
とても心地よくて
安心するの
あなたのそばで
あなたの奏でる音
あなたの音を
ずっと聞いていたいと
そう思うことさえ
だめですか
「noir」(ノワール)
天然木の看板に
お店の名前が書いてある
【黒猫のリボン Ruban de chat noir】
看板の横にはあじさいが
毬の形の可愛いピンク色の
私には似合わない色の
握りつぶしてしまえ
なんて
そんなこと思うわけない
とみんな思うでしょう
Ruban de chat noir
Ruban de chat noir
早くあなたに会わないと
私の心は
黒色のリボンで覆われる
ただあなたの音が聞きたいだけ
他には何も望まないから
どうか今日もあなたに会えますように
「糸」
さみしいと
言っていいんだよと
突然あなたが言うものだから
するすると
針穴から糸が抜けた
今月の手芸部の課題はマスコットづくりで
型紙から自分で考えた
黄色い猫かな?
私からマスコットを取り上げて
針に糸を通してくれる
ライオンだよ
シーナくんはソファーに並んで座って
パーカーのデザインを考えてたはず
ライオンなら耳は丸みがあったほうがいいよ
すらすらと
スケッチブックの余白にライオンが描かれる
とても可愛いけれど
同じページの女の子の絵は嫌い
見られてたなんて知らない
モデル料ちょうだい
じゃあ動物園行こうか
ああ シーナくんはずるい
たてがみをつけて名前を付けよう
あなたと同じ名前の
ライオンのマスコット
がーおっ‼
「むう~な気持ち」
めずらしく日曜日にパパがいる
宿題を終えてリビングにきてみれば
チャーハンを作るぞ!
高らかに宣言
卵 長ネギ 焼豚 ご飯 鶏ガラスープの素
さあ 娘よ 用意せよ!
フライパン片手に指示を出す
チャーハンに助手必要ですか
ちゃっちゃと一人で作れませんか
胸の内で毒を吐きながら冷蔵庫をチェック
だめだ 何もない
明日のパンもない
何もないよパパ
ちゃっちゃとスーパーに行こう
さあ 娘よ 立ち上がれ
座ってないのに立ち上がれとは
お菓子は一つだけだぞ
もう中学生だよ
まだ中学生だ
むう~
じゃあ【息吹】のプリン
むう~
いたしかたない
やったね!
「薄暗い部屋の優しい光は」
物置部屋の扉は
横長の取っ手に細かな傷がついている
もう増えることのない傷
出窓から月の光が差し込み
部屋の中をほのかに照らす
この出窓にはよく猫が寝ていた
クッションに頭をのせて
おばあちゃんの可愛がってた黒猫は
もういない
鈴の音が聞こえる
今でも耳に鮮明に
おばあちゃんに頼まれた小箱を持って
扉を閉めた
大丈夫
ノアは器用だからね 自分で扉を開けるのよ
取っ手めがけてジャンプして 前脚で開けるからね
……チリン
覚えてる
忘れないよ ノア
大丈夫
……チリン
……チリン
だからおやすみ 良い夢を
「月の光に照らすのは小箱の中身」
こっちへいらっしゃい
おばあちゃんの声
小箱を持ってバルコニーへ
そよそよと
心地よい風がオリヅルランの葉っぱをゆらす
天然木の白いガーデンテーブルには
ゆらゆら灯る正方形の短いロウソクとティーセット
それから【息吹】のプリン!
どうしたの?
お茶にしましょう
ここで?
さあ座って
夏摘みのダージリンをいただいたのよ
ティーカップに紅茶が注がれる
小箱をあけてちょうだい
ふたには青色の花模様が描かれていて
開けると中には真綿の上に色とりどりの天然石
キラキラしてる
石の浄化をするのよ 月の光で
魔女みたい
さあ 一つ選んで
なんで?
あら 気になるのない?
ないこともないけど
このオレンジ色の……
ああオレンジムーンストーンね
おばあちゃんはふふふと笑う
浄化がすんだら すずなにあげるわ
なんで?
必然だからよ さあプリンをどうぞ
やっぱり 魔女なのでは⁉
「記憶か夢か」
子猫を拾った
そんな声がきこえて目を開けた
どこに
薄暗くてなにもみえない
ここはどこ
閉じ込められてる
狭い
手が伸ばせない
ああ 子猫が起きた
どうする
男の人の声だった
拾ってきたの お前だろ
口をおさえただけなのに気絶するか
置いておけばよかったんだよ
それもそうか
戻しに行くぞ
扉が開いた
それでも視界はほの暗い
ここは どこ
paradise
さあ
のどが渇いただろう
ペットボトルの水が目の前に
のどはカラカラだった
だから飲んでしまった
飲んでよかったのか
飲んではいけなかったのか
からからだったから……
カラン
氷がグラスにあたる音?
カラン
ほら また一つ
目が覚めた?
あれ シーナくんだ
カルピス作ったよ
乳白色に氷が浮かんでる
夢でも見てた?
子猫がいたみたいなのに
いなかった
それは残念だね
向かいのソファーで縫い物を始める
カルピスがとてもおいしくてお代わりをねだったら
もうすぐ夕飯だから麦茶にしなさい
けち うそ
すき
「花の育ち盛り」
習い事がない日はスキップ
心のなかで跳ねるぶんにはいいでしょう
【黒猫のリボン Ruban de chat noir】
学校が終わったらおばあちゃんの家
パパのお迎えまでシーナくんと一緒
今日のおやつは何でしょう
玄関にサンダルがあった
白いストラップに赤紫色のお花がついてる
キッチンをのぞいたら
すずちゃん おかえり
おかえりなさい
シーナくんと並んで微笑むのは
紫色の瞳の美女だった
たいへん 焦げちゃうわ
プラチナの三つ編みが揺れる
シーナくんが慌ててフライ返しを握る
わぁ きれいなきつね色
良かった 焦げてないね
まんまるのパンケーキ
香ばしいにおい
さぁ焼けた すずちゃん手を洗って!
お皿には桃とキウイ
パンケーキの上に生クリームとミントの葉
ふーん
お似合いですね
なんて絶対に言ったりしない
顔も洗おう
泣くのは食べてからでもいいでしょう
でも絶対にあきらめたりしない
シーナくんの隣は私だけのもの
そう思うくらい
……いいでしょう
「お子様ランチ」
おすすめはね お子様ランチだよ
喫茶【息吹】のテーブルには赤いチェックのテーブルクロス
テーブルの上には一輪挿し
今日はトルコ桔梗
メニューを開いたばかりなのに
それにしなよとシーナくんにこにこ
待って
私もう中学生だから
でも12歳でしょ まだ
もうすぐ13歳だよ!
うん あと半年後ね
そうだけど そうじゃなくて
なんだか泣きたくなってしまう
お子様ランチのオムライスにね
ランチ旗がついてるんだ
前はいろんな国の国旗だったんだけど
今は動物のイラストなんだよ
いきなり何を語りだすのか
メニューのデザートのページをめくる
すずちゃんに見てもらいたかったんだけど
だめかな
俺のデザインが採用されてるんだけど
ずるいずるい
もうそんなの見たいに決まってる!
シーナくんは何にするの
ああ カツカレー
通りかかったお姉さんに注文する
お子様ランチください
シーナくんはにこにこ
なんだか面白くない
プリンも追加!
「雷鳴と不思議なハーブティー」
怖かったらね
布団を頭までかぶって寝ちゃえばいいんだよ
いつだっけ?
なっちゃんがそう言ってたのは
でも寝られないよ
さっき起きたばかりだもの
だんだん近づいてくる
光と音が
ほら光った!
次は音!
あれ……インターホン?
誰?
画面の中に美女
なんで?
応答したら
雷が鳴って
ヒャア!って声がして
美女が画面から消えた
誰かが怖がってると
自分はしっかりしなくちゃって思う
なっちゃんもそうだったのかな
美女をさっちゃんと呼ぶことにした
今はキッチンでお茶をいれてる
ちょっと変わってる人かも
シーナくんに頼まれたっていうけど
ほら すずなちゃん
きれいなブルー
氷の入ったグラスに青色のハーブティーとミントの葉
うわぁ~
シロップどうぞ
入れた瞬間ピカッて光って
すぐに大きな音が
一緒にしゃがんだから
ハーブティーの移り変わり見逃しちゃった!
なんで紫になったの?
……秘密
わお!さっちゃんも魔女なの⁉
「青色ドライブ」
いつもは電車を使うから
気づかなかった
夏休みもそろそろ終わりだね
どこか行きたいとこは?
シーナくんがいればそれでよかったのに
車の中からひまわり畑を見て
やっとわかった
シーナくんが連れてきた場所
なっちゃんがいるところだ
ここには来たくなかったのに
大丈夫だよ
何が?
うん 大丈夫!
信号待ちの時に
わしゃわしゃと私の髪をくしゃくしゃにする
ほら青だよ シーナくん
青は進めだね すずちゃん
ポンっと私の頭を叩いて
両手でハンドルを握る
何が大丈夫なのかわからないまま
ひまわりが後方へと過ぎていく
私の気持ちなんておかまいなしに
「ほんのつかの間の再会の」
おばあちゃんの家
ママのほうの
車を止めたら
玄関の引き戸が開いて
門までの距離をすごい勢いで
なっちゃんがかけてきた
噓みたいに早い
松葉杖をついてるのに
元気そうでよかった
と思っていいのだろうか
本当は私が負うはずだったケガだったのに
すーちゃん!すーちゃん!
ドンっと胸に飛び込んでくる
よろけまいと踏ん張った
でもちょっと無理かも
と思ったら
背中をささえてくれた
シーナくんが
よお なつき!
よお しーちゃん!
ふたりはこぶしを突き合わせて笑う
これじゃあ
私はサンドイッチの具みたいじゃない?
さっき枝豆ゆでたよ
しーちゃんも食べよう
なっちゃんが誘ったけど
また明日迎えに来るよ
と 私となっちゃんの頭をなでて車に乗り込む
お礼を言いそびれたと気づいたのは
布団のなかだった
なっちゃんと手をつないで眠った
ごめんね
大丈夫 もうすぐ治るよ
……うん
おやすみ
おやすみ
「髪結い」
畳の上で体育座り
私の髪をママが結う
柘植の櫛で髪の毛が左右に分けられると
スッと涼しくなった
今日は編み込み
地肌にママの指が当たる
くすぐったい
三つ編みの先を首の後ろでまとめる
ちょっと大人っぽいかも
さてさて お次はこちらに着替えましょう
広げられたのはあじさい柄の紺色の浴衣
あの日 事故にあわなかったら
なっちゃんと一緒にお祭りに着て行くはずだったんだ
わあ! すーちゃん浴衣着るの?
障子戸の横からなっちゃんが顔を出す
家に帰るだけなのに変だよ
変じゃないよ とシーナくんの声
あらあら もうお迎え?
昨日渡し忘れて
差し出されたのは
白とピンクのお花に水色のリボンの髪飾り
帰りの道すがら神社のお祭りに行こうと思って
ママもシーナくんも
こんなのこまるよ
なっちゃんが涙をぬぐってくれた
ありがとうって言いたいのに声が出ない
シーナくんの袖をつかんでぶんぶん振ったら
早く着替えないとわたあめ禁止!
うぅ~ ひどい!
「今は無理だとわかってる でも」
たこ焼き屋のおじちゃんが二個もおまけしてくれた
ふたがしまらないね
ひょいひょいっとシーナくんが頬張る
お兄ちゃんと一緒でいいね!
子役の女の子みたいににっこり笑って手を振る
バイバイ
誰がどう見たって兄と妹
バイバイ
そんなのわかってる
あっちのベンチで食べようか
飲み物は何がいい?
コーラ
オーケー
たこ焼きに焼きそば
ベビーカステラに綿あめと私
ベンチに置いて行ってしまった
そういつか
そんなに遠い未来の話じゃなくて
シーナくんの背中をみつめて
さよならという日がきっとくる
わかってる
でも 好きでいても
好きなままでも
もっともっともっと
ああ あふれてしまう
あなたの足音が近づく前に
ふたを閉めないと
ふたを ふたを
砂利を踏みしめて戻ってくる前に
ふたを
すずちゃん? 疲れちゃった?
ああ そうだ
最初からふたなんてなかった
しゅわしゅわと炭酸がはじける
シーナくん あのね
【fin】
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