奥州市前沢区

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白鳥舘(しらとりのたて)遺跡 史/遺跡・安倍氏・交通 前沢区白鳥舘 2015年5月4日探訪 平泉駅から車で約15分  安倍氏(解説参照)時代、安倍頼時(あべのよりとき)の八男である則任(のりとう)(又は行任。白鳥八郎とも呼ばれる)の柵であったと伝わり、奥州藤原氏時代は北上川の重要な川湊として平泉を支えた。  白鳥川が合流し北上川が大きく蛇行する地点の西岸、半島状に突き出た段丘に位置する。中世にも城館が営まれており、安倍&奥州藤原氏時代の遺構は分かりにくい。しかし、12世紀~13世紀初とみられる鍛冶炉遺構,”かわらけ”(解説参照)焼成遺構,鉄滓などが出土しており、遺跡内には鉄加工や“かわらけ”などの生産を行う工房があったと考えられている。  このような手工業生産施設は、各地の川湊によく見られるという。実際、地形的に北上川を監視するのに適しており、奥州藤原氏時代には北上川を使っての水運を管理する川湊があった可能性が高い。平泉の経済活動において北上川水運は最も重要な流通ルートであり、かつ都市を支えるには手工業生産施設が必要である。そのため白鳥舘遺跡は都市平泉を支えた重要な遺跡と言える。  この遺跡には平泉町が企画したバスツアーで行った。  駐車場から左右にかなり木々が繁っている道を歩き、北上川を見下ろせる開けた地点まで行く。途中の説明では奥州藤原氏以後の15~16世紀の遺跡が目立つ印象であった。  しかし、北上川を見下ろせる地点や、北上川へ簡単に降りられる場所とがあり、現地に立ってみれば水運を管理するのにもってこいの地形であったことがわかる。 典拠:「白鳥舘遺跡」(岩手県奥州市/2008.3)※パンフレットb7031832-b175-4816-88a4-a1dd3284f910 川湊があった地を対岸から
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