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【2】
自分の現状について話を聞くため、病室に戻ってきた女性――名前は安田由香さんというらしい――に連れられカンファレンスルームへとやってきた。
壁際に据えられた大型モニターには、いつの間にか撮ったらしいレントゲン写真やら頭部のMRI画像が映し出されている。
楕円形の机を挟んで向こう側に座る男は手にしたタブレットから顔を上げると、ゆっくりと穏やかな声で話し始めた。
「では、よろしくお願いします。私は担当医の城之崎といいます。まずはいくつか、簡単な質問からさせてください」
担当医だという男のあっさりとした自己紹介に「はい」と短く答えると、城之崎はうなずきを返して質問を始めた。
「では、まずあなたのお名前と生年月日を教えていただけますか?」
「結城尚人、1986年11月21日生まれです」
「今が何年だか、分かりますか?」
「一年以上眠っていたとかでなければ、2021年ですかね」
「思い出せる最も新しい記憶は?」
「一人暮らしをしているアパートで、掃除……だったかなぁ? 何か、そんなようなことをしていたと思います」
「お一人暮らしなんですね」
「はい。両親はずいぶん前に離婚していて、しばらくは父と暮らしていましたが仕事の都合もあって今は職場近くに一人です」
城之崎から質問され、僕が答える。
質問の中身は好きな食べ物や趣味、こういうときならどうするかといったような問いまでと様々で、まるで心理テストを受けているような気分だった。
「では、次で最後の質問です」
短い質問のやりとりが始まってから少なくとも五分以上が経った頃、城之崎が言った。
「そちらの女性について、覚えていることはありますか?」
それまでの質問とは違い、一瞬、無意識のうちに息が止まった。頭の奥で、ちりりと何かが焦げるような感覚が走る。
一度、瞼を閉じて深呼吸をし、再び城之崎を見て答えた。
「安田由香さん、です」
「その名前は、目覚めた時に覚えていた?」
僕の答えに間髪入れず城之崎が聞いてくる。
「いいえ。先ほど、彼女から教えてもらいました」
「それ以外に、覚えていることは?」
すぐには答えられず、もう一度、記憶をさらう。しかし由香さんに関することを思い出すことは出来なかった。代わりに、ちりりとしていた脳の奥が今度は大きく揺さぶられるような感覚がした。これは、もしかすると――。
「なにか、忘れている?」
僕が発したその言葉に、隣に座る由香さんがはっと息をのんでこちらを見た。確証があるわけではない。けれどなんとなく引っかかる感じがあったから口にした言葉だったが、何か期待をさせてしまったら申し訳ない。
あわてて、言葉を付け加えた。
「あっ、いや……なにか覚えているってわけじゃ無いんですけど、なんか引っかかる気がして……」
テーブル越しに漂う沈黙。
考え込むように口元へ手を当てていた城之崎が「ふむ」と声を出してその沈黙を破った。
「診断画像に問題は見当たりません。おそらくその記憶の欠落は、何か心的外傷後ストレス障害の一種……かと思います。それで一部の記憶が思い出せなくなっているのかと」
「心的外傷……ですか」
繰り返す僕に城之崎はにこっと笑った。
「心的外傷といっても、悪いことだけとは限りません。あなたが受け止めきれない『なにか』があったのだと思います」
原因がすっぽりと頭から抜け落ちているという事実に、前身を不安が駆け抜けた。
「話を聞く限り他の記憶は問題なさそうですし、そういった場合には時間とともに欠落した記憶も戻ることも多々あります。ちょっとした刺激がきっかけになることも。ですから、あまり深く考えないようにしてください」
この時点で、城之崎のその言葉が過去の一部が欠落した不完全な僕を励ます唯一だった。
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