背徳のオメガ 1

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一般的に第二性に目覚めるの早くても高学年後半からで、中学に上がるとほとんどの子が目覚め、二年になる頃にはほぼ全員が確定していると言われている。中にはまだ確定せず保留になる者もいるがそれはごく稀のため、最近では第二性の診断は中学二年でするのが一般的になっている。 僕の発情を知らない両親と兄は僕がオメガだと知らなかった。けれど、小さい頃から線が細くおっとりしたところがある僕の性がオメガである可能性があることを考慮したのか、僕の性が確定しないうちにアルファの兄と離した方がいいと考えたのだろう。大学進学を理由に、兄は家を出ていったのだ。 でもその頃にはもう、僕は兄のフェロモンを感じることが出来ていた。そもそもあの夜、兄の情事の香りに当てられて発情したのだ。何も知らなくても、自分と兄の関係が普通ではないと分かるだろう。 まだ小学生の僕は発情まではしないものの、兄のフェロモンによって疼き出す下肢を自分で慰める夜を何度も過ごしていた。 それは兄が出ていくと収まり、落ち着いたかのように思えたが、兄を思い出す度に身体が熱くなり、下肢が疼くようになった。 僕の身体、おかしい・・・。 自分が悪い病気なのではないか、こんなに下肢が痛いくらいに腫れ上がり、触らずにいられないなんて・・・! だけどそんなこと誰にも言えず、僕は一人で悩んでいた。 兄を思うと心が苦しい。あの香りを思い出すと身体が変になる。 そんな日々を人知れず悩んで過ごしていると、ある日突然その答えを知った。 それは学校で行われる性の授業。 僕の身体の症状はオメガ特有のもので、アルファである兄のフェロモンに影響を受けたものだと分かった。 自分の身体がおかしいのでは無い。 僕は病気じゃなかった。 それが分かって、僕がどれだけほっとしたことか・・・。 けれど、家族間ではそのフェロモンの影響を受けないこともその授業で知って、僕の中にまた疑問が湧き上がった。 僕はなんで兄のフェロモンで発情したのか・・・。 答えは簡単だ。 僕達は家族じゃないからだ。 本当に? 両親も兄も、誰も僕に答えをくれない。 そんな素振りもないし、兄と僕に差別もない。 アルバムを見ても、僕も兄も赤ちゃんの時からの写真がちゃんとあった。 だけど・・・。 僕は気づいてしまった。 兄を妊娠中の母の写真はあっても、僕のはなかった。 そう思って改めて見てみると、確かに僕の赤ちゃんの頃の写真ではあるが、それは生まれたばかりのものではなかった。 兄のは生まれた病院で撮られたものや退院した時のもの、まだ首が座っていない頃に自宅で撮られたものなどがあったが、僕のはもうお座りをしている頃からしかなかった。
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