364人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
あれは深い酒が見せた夢。
兄はちゃんと帰ってから着替えて、ベッドに入って寝たのだ。
そして夢を見た。
ただそれだけだ。
多少卑猥な夢だったとしてもそれは夢。お酒が見せた幻。
そう思ってもらうために、僕は自分の痕跡を消し、部屋から去るのだ。
最後に兄の眠りを確認するためにもう一度寝室を覗き、正体をなくして寝ている兄の寝顔を見た。
8年ぶりに見る実物の兄の顔。その兄に触れたい気持ちを抑え込み、僕は兄の部屋を出た。そしてそのままホテルへ帰る。
本当ならシャワー浴びるべきなのだけど、僕はそのまま荷物を持って空港に向かった。まだこの身体に残る、兄の香りに包まれていたかったからだ。
空港に着くと僕は紙袋に入れたスマホと兄の部屋の鍵を捨て、僕は飛行機に乗って日本を後にした。
無事に離陸した機内で、僕は人知れず涙を流した。
恐らくもう、僕はあの人たちに会うことはない。
父さん。
母さん。
そして、兄さん。
両親はもうすぐ僕が消えたことに気づくだろう。
僕が両親に伝えていた留学の内容は全部嘘だったからだ。
留学先も住所も入学するはずの語学学校も全部嘘。
出発する飛行機ももちろん嘘だ。
フライトの時間もこの機の一時間後のものだから、きっと今頃出発を待つ僕に別れの電話をしている頃だろう。けれどそのスマホは解約され、空港のゴミ箱の中だ。繋がらない電話に両親は異変に気づいただろうか。
兄はまだ寝ているだろう。目を覚ました兄はちゃんと昨夜の出来事を夢だと思ってくれるだろうか・・・。
けれどもう、僕にはそれを確かめる術はない。
僕を信用して内容も見ずにサインした書類に養子縁組を解消するものがあった。それを提出した僕はもう、彼らの家族ではない。
行先も告げず、養子も解消した僕を探すことはほぼ不可能に近い。
何も言わずに姿を消した僕を、彼らは怒るかもしれない。
養子として迎え入れてもらい、我が子と変わらず育ててもらったというのに、僕はそれを仇で返そうとしている。
だけど、そこまでしても僕は兄が好きだったのだ。
兄を愛している。気が狂いそうな程に。
誰かのものになり、誰かのために幸せそうに微笑む兄など見たくない。
それに、僕が兄以外の誰かと番う事もない。
僕はこの先、永遠に兄に会うことも触れることも、あの香りを嗅ぐことも出来ないのだ。だったら・・・。
同じように会えないのなら、恨まれても嫌われてもいい。
僕はそっとお腹に手をあてた。
僕は兄に顔向けできない位の酷いことをした。だから僕は、姿を消す。昨夜の激しい交わりの記憶だけをもって、僕は誰も知らない地へ行き、もう二度とみんなの前には姿を現さない。
早く僕のことを忘れてくれることを願い、僕は機内で一人涙を流した。
了
最初のコメントを投稿しよう!