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 だれも救ってはくれない、だれも顧みてはくれない。  だが、。  自分だって顧みなかった。ほかのだれをも。  自分とおなじをもった、ほかのだれをも。 *  は、生き残りの少女をみつけた。それは偶然だった。少女が住まう家というには足りぬ小屋の中をひっくり返すほど探したが、他の人間と連絡をとっていることはなさそうだった。十中八九、あの村の最後の生き残りであろう。これは僥倖かも知れない、彼はそうほくそ笑んだ。  あの森に、あらかじめ、獣用に罠を仕掛けておいて正解だった。運よく狼が罠にかかり、なおも幸運なことに、水色の眸をもつ少女が通りかかった。このような鬱蒼とした森に、人の暮らしているはずはないと踏みながら、どこかしらよぎった違和感を看過せずにいてよかった。とっくに捨てた、いにしえの神の名に、いや、自分の名に感謝すらした。 *  は生き延びた。あの惨禍(さんか)から、命からがら逃げ出した。切り捨てた。縋りついてくる親やちいさい兄弟たちを蹴り飛ばし、胸に刃を突き立て、混乱に乗じて火を放った。あとで気づいたことだが、別にそんなことをせずともよかった。蛮族どもが放った火はあの村を嘗め尽くしたのだから。  あの閉塞した村は反吐が出るほどだった。村の外に出ることは叶わず、住人は絶えずどこか怯えたふうに暮らしていた。  自分たち住人が狩りや懸賞の対象になっているのは知っていた。それは、その珍しい目の色のせいだった。唾棄すべき愚かしさだった。そんなものを、血道をあげて狩ろうとする人間も、脆い矜持に縋りそんなものをいつまでも守ろうとする住人も。  そんなものは踏み潰してやる。抉り、切り刻み、かたちも残らぬほど砕き、引き裂いて慈悲を乞わせてやろう。だが、それすらも壊してやろう。自分はそんな犠牲のうえに立つだろう。尊いことだ。根絶やしに狩り尽したはずのものから蹂躙される苦しみを味わえばいい。  いかほどの辛酸を嘗めたか。だが、誰にも語ることなどない。自分の行いは、人々へ恐怖となって伝播するのだから。(ふる)えるがいい。そのときが来れば、己の命などなんの価値もないと身をもって教えてあげよう。  肉親の血はあたたかった。赤い液体が湧きだす場所に手を置くと、五本の指はゆっくりとそこに沈み、あたたかいものはみるみる手の甲に広がった。神になったとは、こういう高揚をいうのだとも感じた。このあたたかさを忘れまい。自分たちを蹂躙した人間も、これから自分が奪い尽くすはずの人間にもこのあたたかな血が流れているのだと。けれど、最期には冷たく乾き、顧みる者など一人もいない。  そう、教えてあげよう。誰も顧みることのなかった、生き残りのあの少女にも。不幸は何度でも降りかかるのだと。   *  これはいよいよ僥倖とばかりに、彼はうっすらと笑った。小屋から幾分離れた場所で倒れ伏している少女をみつけた。そろそろ、あの小屋へ再び出向こうとしていたところだ。彼から見るに、少女は簡素ながら質のよさそうな衣服を身に着けていた。見覚えはなかったが、いまや何程のこともない。  少女の閉ざされていた瞼がゆっくりと開き、水色の眸と眸が行き合った。 「……アスター…………?」  忌々しい名を少女の唇が紡いだ。万物の祝福をうけたという、人間の力の及ぶべくもない永い時の彼方へ葬り去られた神と同じ名を。  
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