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落ちた妖精
「つまらない」
それは由々しき問題だった。
自室の窓を爪で弾く。朝か夜かもわからない。空はただ、蒼白く澄んでいる。
この閑散とした半ば死んだ街で生きる僕の原動力は、失うことを知らない好奇心の輝きと、至極まじめな知識欲だけだったのに。
この空のゆらめきについて、想像を馳せあう相手がいない。この星に満たされた気体の色も、アワの外や星の外の事情も、なにも知ることができない。
つまらないということは、死活問題だ。
生きることの馬鹿馬鹿しさと、死ぬことへの諦めが胸を満たす。なにもおもしろくなくなった。
そんな僕の瞳に、ふとひとりの少年が写った。この街で外を歩く人なんてまずいないが、僕の好奇心を叩き起こしたのはそれだけじゃなかった。
きらきらと降り注ぐ雨のようにかがやく、やわらかいミルクの髪。ハッカ飴を思わせる、白濁したミントグリーンの瞳。四肢はビスクドールのようになめらかで、繊細。
彼が一瞬こっちを見上げた。きゅっと心臓を掴まれたような、興奮に近い畏怖の感覚。
ガラス越しなのが信じられないくらいだ。酔いそうな感覚に飲まれ、ふらつく足のまま僕は玄関を飛び出す。
それでどうする?冷めた気持ちは心のどこかにあったが、そんな気持ちはどうでもよかった。達観して見ているそれは、僕じゃない。
僕は、耐え難い衝動に駆られて動いた。
一瞬目を離したすきに、見失ってしまわないかがとにかく心配だった。しかしそれも杞憂に終わる。
彼は自室から見たそのままの位置で、やんわりと微笑み、僕の驚きと動揺に応えるように会釈した。
「……ニンフ?」
僕がようやっと口にできたのはそのひとことだけだった。
近づいてみるとその異質さがありありと感じられる。瞳は単に濁っているのではなく、内側にある割れ目のような反射で白く見えるだけだ。患っているとか、そういうのではないらしい。
「ちがうよ」
と少年……いや、青年?
「ニンフじゃない。僕は半端者だから」
「外から来たの?どうやって?名前は?」
妖精は気圧されたように苦笑いした。どこか諦めのようなものが漂っている。
「外から来たんだ。まちがってない。それも――」
言葉を切ってゆらめく空を仰ぐ。ぼくもつられて見上げるが、いつもと変わらない水の膜があるだけだった。
それでも彼はそこに何か見いだしたように、僅かに頸を傾けた。
「少しミスをして、落ちたんだ」
「……え?」
アワの外の空は重たくてよくない瓦斯で満たされている。
驚く僕を横目に彼は、飽きたように辺りを見回した。そして口をとがらせてつまらないなと呟いた。
「僕はツイスト」
「どうして――」
と口を挟むも、
「質問攻めなんだね」
と一笑される。
それでも馬鹿にされたとは感じなかった。単純に僕の反応をおもしろがっているように見えたからだ。
彼はハッカ飴の瞳をしばたかせて、
「図書館にいこう」
と言った。それから、君の知らないことをおしえてあげると。
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