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子供のあわ
「この街はおおきな水泡で覆われています」
こんな街は、水泡じゃなくってどちらかと言うと水疱だろうと僕は思う。
眼鏡をかけたひょろ長い教師の言葉は、なんの飾り気もなくておもしろくなかった。でもまぁ、教師って言うのは――いや、大人って言うのはそういう生き物なんだ。
「理由はわかりますか」
星がよくない瓦斯で満たされているせいですと教師は続けた。
だれも話を聞いていない。つめたい木のつくえに伏せて惰眠を貪っているか、僕のように窓の外をぼんやり眺めているか。
それでも教師は話を続ける。それが仕事だからだ。哀れみの念も湧かない。
窓の外では、分厚い気体の層を突き破って届くひかりが、薄膜にぶつかり僕たちの居住区をゆらゆらと揺らしていた。
無機質な白い建物と、遠くで霞むガラスドームの図書館。
道路はあるが、何も通っていない。街全体に蒼い陰が落ち、時間が止まっているように見えた。事実、ここで動いているのは僕たちと、頭の上の水面だけだった。
授業はいつの間にか終わっていた。本来ならすぐさま家に送り返されるけれど、僕はそれを拒んで閲覧室に残る。
そうやって集まった生徒たちは、各々の好きな話題に花を咲かせる。僕もまた、そのうちの一人だった。
「アワの外って知ってる?」
「知らない」
「きっとおおきなサカナが棲んでるんだよ」
「わたしたち、昔はムシだったらしいよ」
「うそ」
「先生が言ってた」
「となりのアワはどんなの?」
「それってほんと?」
「ほかのおとなは?」
いつだって話題は絶え間ない。
他愛のない雑談。根拠のない妄想。すべてが心地よく耳に響き、好奇心を掻き立てる。
そんな中、ひとりの生徒が言った。
「アワの外から来た人を見たんだ」
「え?」
「それって?」
「大人じゃないの?」
やっぱりアワの外にも人がいるんだ……。
僕たちの心に、淡い希望と喜びが、じんわりと染みるように広がった。妙な安心感に、胸を押さえた。
いつか外に出られたら。それが僕たちの共通の願いだった。そんなことは叶わない。そう言うのはいつだってつまらない大人だった。
蒼いこの球体の外。知らない世界。知らない人。知らない笑顔におぼれたかった。
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