落とし物取扱所にて

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落とし物取扱所にて

 地下鉄I駅のお忘れ物総合取扱所には、都内中のメトロで拾われた落とし物が集められている。  僕が人事異動でそこに配属されて、もう3年ほどになるだろうか。仕事は特別忙しいというわけでもないけれど、人口1000万を超える街の地下を網羅する駅からは、多くの人が想像するよりずっと数多の物品が取扱所に毎日届けられる。それらを管理する作業というのはそこそこやることもあって、就業時間内にぼんやりとできる時間なんてものは実は滅多にない。  その滅多にない「ぼんやりとできる時間」が唐突に訪れたのは、昨日の昼下がりだった。一通り整理し終えた落とし物たちを横目に、僕は事業所内の椅子に腰をおろした。  横目で並べられた落とし物たちを見つめる。傘、小物類、鞄、パスケース……そんなありきたりの遺失された物たちを見つめ、彼らに少し思いを馳せる。  ――人がいなければ、こいつら動くこともままならないんだもんな。早く迎えが来るといいな。  5日間の保管期間を過ぎたものは、警察管轄の警視庁遺失物センターへと移されて、さらに3ヶ月保管される。それでも持ち主が見つからなければ処分されてしまう。それがどんなに高価な物だとしても、思い出深い物だとしても。  僕は若干、過剰共感の気質があるのか、毎日並べられていく遺失物たちに感情移入してしまうきらいがあった。誰かにとって大事な物だったり、当たり前に使っていた物が、こうして無機質なスチールラックに並べられて、声も立てずに――物だから当たり前だが――ただひたむきに自分たちを迎えに来てくれる人間が来るのを待ち侘びているなんて、なんだか胸が苦しくなるような光景だった。  退屈な時間は苦手だ。余計なことを考える。  その時、ウィィィンッとモーター音をたてて取扱所の自動ドアが開いた。瞬間、僕は立ち上がりカウンターの前へと歩いて行く。 「どうされましたー?」  怠惰なつもりではないのだが、ここに来て先輩たちの利用客応対を目の当たりにしているうちに身についてしまった、語尾を低く伸ばす癖が出てしまう。訪れた20歳前後と思われる女性は僕の応対が不満だったのか、何か言いたげに僕を一瞥したが、それに対しては何も言わずに切り出した。 「パスケースなんですけど、ブラウンの革製で、クロスステッチがカードの周りを囲ってるデザインの、届いてないです?」  クロスステッチが何なのかよくわからなかった僕は、パスケースが集められている棚に向かい、20個あまりあるパスケース全てを両手に抱えて女性の待つカウンターへと戻った。 「パスケースで届けられているのはこちらで全部ですね」  女性の前にドサリとそれらを置いたことを彼女は快く思わなかったのか、異物を見るような目で僕のことを見てきた。だがクロスステッチが何かわからない僕が勝手に選別して、彼女のパスケースが手元に戻らないなんてことがあれば本末転倒だし、これでいいのだと自分を納得させる。 「ないです」  ギョロリと僕を見た後に、パスケースの山へ手を伸ばして一つ一つを吟味した彼女はそう告げた。 「落とされたのはいつ頃ですか?」 「昨日の夜です」 「でしたらまだ届いていない可能性もありますねー。届いて5日間はこちらで保管しておりますので、またいらしていただければ届いていることもあるかもしれません」 「5日過ぎたら捨てるの?」 「その後は警察のセンターに届けられて3ヶ月保管された後に処分となっておりますねー」  それを聞くと女性は背中を向けて自動ドアへと向かった。マニュアルにある見送りの挨拶を放ったが、一度も振り返ることもなく彼女は去って行った。  カウンターに残されたパスケースの山を、僕は再びラックへと戻す。  持ち主じゃなくって残念だったな――胸の内で彼らに言葉をかけながら。  僕はときおり考える。真剣に探しものをしているのは、人間よりも彼らの方なのではないか、と。  人間は、物を失くした時に選択肢がいくつかある。探すこと、類似した代替品を買うこと……他にもいくつか。  けれど、落とされた側の彼らが持つ選択肢は1つだ。持ち主が迎えに来なければ、最後は必ず処分される。誰にも拾われず、街角で汚れていっても、同様に。  ものの声が聞こえなくてよかった、と思う。ここは保健所と似ている。犬や猫は鳴くという手段を持ち得ているが、ここにはそれすら持ち得ないものたちが、冷たい棚に山ほど横たわっている。  探しものはございませんか? 落とした物、忘れた物はございませんか? もしもあるなら、一度ここへ足をお運びください。  彼らが燃やされてしまう前に、傘は傘として、パスケースはパスケースとして、産まれた生を真っ当できますように。  白昼夢の中でアナウンスをかけてみる。ああ、女性が帰ってまた暇な時間が訪れたから、だからこんなしょうもない妄想をしているのか、僕は。自嘲が重なってもなお、僕の声でアナウンスは響き続けた。
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