2 犠牲

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日曜日のお昼、お母さん達は帰ってきた。 病院の中にいるのは約2週間ぶり。 「これ、大和(やまと)と食べて」 お母さんはお兄ちゃん名前を言いながら、病院のエレベーターの中で紙袋を渡してきた。食べてということは、何かの食べ物。 チン、となりエレベーターの扉が開く。 「ありがとう」 「いいのよ、病室は変わってない?」 「うん」 「密葉、ちょっと痩せたんじゃないか?」 「そんな事ないよ」 お母さん達と会話をしながら、私は病室の扉を開けた。 そこにはいつも通り、可愛い侑李が本を読んでいた。 「お母さん!お父さん!!」 侑李は2人の顔を見た直後、ぱあっと私に見せる以上の笑顔を出し、ベットから出ようと足を出した。 「侑李、調子どう?」 「大丈夫か侑李」 「大丈夫だよっ、来てくれて嬉しい!」 両親と侑李、3人の光景をみて、少しだけ複雑な気分になった。 「私、何か飲み物買ってくるよ」 せっかく3人で話すんだもん。水入らずの方がいいよね·····。3人で会話をしているのを横目に、私は病室を出た。 別にイヤなわけじゃないけど…。 私は毎日来てるっていうのに、たまにしか来ない両親。 遊李の反応が全く違う そりゃあ久しぶりだから、遊李の反応は当たり前だと思う まだ、小学4年生だし 私が病室から抜けた理由だって、本当はあの場に居たく無いだけなのに 馬鹿みたい なにが水入らずだから…よ。 こんな事を思う自分に腹がたつ どうしてこんな事を思ってしまうんだろう? きっと、私は両親に嫉妬してる。 お母さんから貰ったお土産を、エレベーターの中で見つめた。ここで渡してきたってことは、もうそのまま仕事先へ帰るということ。家には寄らず。 売店でコーヒー2つと、カフェオレを買った。 まだ3人で会話をしたいだろうから、私は病院から出て、敷地内にある広場のような所のベンチに座った。 10分ぐらいしたら戻ろう。 そう思って、カフェオレとコーヒーを自分の鞄の中に入れた。 ジメジメと雨が降りそうな空。 帰りは雨が降りそうだな。洗濯物、部屋干ししてよかった。鞄に折り畳み傘入れてきて良かった。とか、どうでもいい事ばかり考えていて。 ベンチから、今から病院に行くであろう人や、もう帰るのか駐車場へ行く人の流れを見ていた。 すると、ポツ·····と、冷たい何かが頬を掠めた。 雨··········。 ポツポツと降り出す雨は、ベンチを濡らしていく。 雨がふっては仕方が無いと、ベンチから腰を上げた。 病院の中に戻ろうとした時、ふと目に入ってきたものがあった。 松葉杖で歩く若い男の人の姿。 遠いって訳では無いけど、松葉杖で病院に向かっているその人にとってはまだまだ距離があって。 両側に松葉杖·····。 片足を上げているその人は、足に異常があるらしく。 「大丈夫ですか?」 ずっと病院に通っているせいか、こういう場面はよくあった。 暑い夏の日は、お年寄りがベンチに辛そうに座っている時とかも、「大丈夫ですか?」と声をかけた事もあった。 大きいお腹をした妊婦の女性が貧血のような顔つきで膝をついてる時も「すぐに誰が呼んできますね」と声をかけたり。 だから今回も、松葉杖では早く歩けないし雨に濡れてしまうから、と。鞄から折り畳み傘を取り出し、傘を広げその男性に声をかけただけ。 大丈夫ですか?と。 男性はびっくりした様子で、私の方を見た。漆黒のような瞳が印象的な彼は歩くことをやめ、「え·····」と戸惑った声を出した。 「あの·····濡れてしまうと思って」 黒い髪が良く似合う男性は、近づくと同じ年頃ように感じた。爽やかでもなく、不良でもない、どちらかと言うと硬派な顔つきの彼。 「傘さしとくので、歩けますか?」 顔を傾けて聞くと、男性は「··········ありがとう·····」と、ゆっくりと松葉杖を使って歩き出した。 病院の中に入り、傘を畳むと、男性からもう一度「ありがとう」とお礼を言われた。硬派っぽい彼は、私に2回もお礼を言ってくる。 明るい病院内では、彼の瞳の黒さがやけに目立った。 スッとした瞳。 薄い唇·····。 「いえ、濡れませんでした?」 「いや、逆に濡らせちまったな。悪い」 「気にしないでください」 真面目っぽい、黒髪が良く似合う硬派な顔つきなのに言葉がワルっぽく、ちょっと驚いた。 「あんたもここ通ってんの?」 濡れた傘を傘専用のビニール袋に入れている時、首を傾げる彼がそう言った。 通ってる。といえば、通っているけど·····。 通院では無いわけで。 「弟のお見舞いに」 小さく笑いながら「では」と、そろそろ侑李の病室に戻ろうとした時、 「待って」 松葉杖の彼に呼び止められ、私はもう一度彼の方へと振り向いた。松葉杖を使いこちらに歩いてくる彼の耳には、銀色に輝く輪っかのピアスが付けられていた。 「名前教えて欲しい」 「え?」 「名前、なんてーの?」 名前?私の?なぜ? 「山崎です」 「じゃなくて、下」 じゃなくて? 下の名前を言えと? 漆黒の瞳に見つめられ、私は「密葉です」と口にした。 「密葉?」 「はい」 「密葉な」 「はい·····、あの、どうかしました?」 名前を聞かれる意味が分からなく、私は顔を傾けた。 「また会える?」 「え?」 「また会いたい」 「あの·····」 「ちゃんと礼、したいから」 礼? 傘をさしたお礼ってこと? 硬派な顔つきの彼は、やっぱり硬派らしく·····。 「いいですよ、大丈夫です、ごめんなさい急ぐので」 本当にお礼目的で助けたわけじゃないから·····。 私は笑って、その場を離れた。 「あれ?2人は?」 病室には侑李だけしかいなかった。 3人で会話をしていると思ってたら、すごく驚いて。 「先生と話するって」 笑って言っている侑李だけど、無理して笑っているってことがすぐに分かった。 せっかく会えたのに·····すぐにどこかへ行ってしまった。 先生の都合もあるから仕方がないけど。 この病院は日曜日も受付で外来の患者も来るから、忙しいのは分かるけど·····。 「そう、早く戻ってきてほしいね」 頭を撫でると、侑李は笑った。 結局、両親は30分ほどしか侑李と会話が出来なかった。 もう新幹線の時間が迫っているらしい。 悲しい事だけど、いい事もあった。 侑李の外出許可が出たらしく、来週の土曜日のお昼間だけ、家に帰っていいことになった。 それを聞いた侑李はすごく嬉しそうだった。 毎日毎日病院にいたんだもん、当たり前だよね。 「大和から聞いたわ、風邪ひいたんだって?」 お父さんと侑李がトイレへ行っている最中、お母さんが眉を下げながら言った。 「え?」 「お母さん達、密葉に任せっきりだから。ごめんね」 泣きそうになる。 お母さんはお母さんで、ちゃんと私の事を考えてくれているから。こんなにも嫌なことばかり考えている私に·····。 「ううん、私は大丈夫だよ」 涙をこらえて、笑った。 そうすればお母さんは安心するから。 だから、仕事に行ってきても大丈夫だよ、と。 来週の土曜日、日帰りでの退院が決まった矢先、私は病院に呼び出された。 病院からの電話で、侑李が熱を出し、発作が起こったとの事だった。 電話が来たのはちょうど学校から病院へ向かう最中だったから、私は走って病院へと向かった。 こういうことはあった。 小さな発作の時もあれば、酷い発作の時もある。 侑李の小さい体は、いつ悲鳴をあげるから分からない。 病院の前へつき、息を整え、自動扉が開こうとした時、「なあっ」と、真横·····というより、斜め後ろから声が聞こえた。 急いでいる私は、その声に気づかず、そのまま歩きだそうとし。 「密葉!」 突然、肩を掴まれ、きゃっと小さな声が出た。 驚いて振り向けば、そこには昨日、日曜日に会った男がそこにいた。 思わず目を見開く。 「えっ·····」 ハアハアと、息切れのせいで肩が動く。 「·····わりぃ、急いでるのか?」 硬派っぽい、黒髪の男。 どうしているの? 「あとででいい、少し話がしたい」 話? なんの? よく分からない私は、侑李のことが気になって仕方なかった。 「ご、ごめんなさい·····、急いでるの」 私はそう言い残し、侑李の病室へと向かった。 扉を開けようとした時、中からちょうど見知った看護師が出てきて。 「大丈夫よ侑李くん今ゆっくり寝てるから」 そう穏やかに言われ、安心したせいで膝から崩れ落ちそうになった。 「侑李は·····」 「昨日、ご両親がきてくれたのが嬉しかったのね。朝から少し熱があって·····、発作の時も侑李君、意識がちゃんとあってすぐに治まったから大丈夫よ」 「そ、ですか·····。ありがとうございました·····」 看護師の言う通り、侑李はベットの中で穏やかに呼吸をしながら眠っていた。口には呼吸器が付けられているけど、ちゃんと自分で息をしていて。 良かった····· 本当に·····。 本当に良かった··········。 私は眠っている侑李の小さい手を握りしめた。 2時間ぐらい経った頃、侑李は目を覚ました。 「心配かけてごめんなさい」と。 「外出は·····ダメになったかなあ·····」と。 本当は誰よりも泣きたいはずの侑李は、いつもの様に笑った。 一時退院がダメになっても、私はこうして侑李が目を覚ました方が嬉しくて。 「今回がたまたま熱が出ただけだよ」 「早く髪·····、金色にしたいのになあ·····」 「そうね·····緑でもいいよ?」 「緑は嫌だよ·····」 ふふっと、笑う侑李が、本当に可哀想で見ていられなかった。 大好きな侑李·····。ずっと生きていてほしい·····。 少しだけ面会時間が過ぎても、看護師は黙認してくれた。「よろしくお願いします」と夜勤の看護師に言い、私はエレベーターに乗った。 もう病院の中は薄暗くて、いつもの慣れた風景を目に歩く。 病院から出る自動扉を潜り、外へ行こうとした時、私の足は止まった。 松葉杖で体を支えながら、立っている人がそこにいたから。松葉杖が2本から1本になっているその男は、私を待っているんだとすぐに分かった。 名前も知らない、ただ傘で雨から守っただけの男。 そういえばさっき、何か話がしたいと言っていたような·····。 「··········待ってたんですか?」 男に聞こえるように言うと、「うん」と答えてきて。 待ってたってことは·····。 え?何時間? 私がここに来たのは4時ぐらいで·····。 もう9時ぐらいだから··········。 「·····ずっと?ここに立ってて?」 「あんたと話がしたかったから」 そうだとしても、足を怪我してるのに? 松葉杖があるからって、片足だけで何時間も立ったままなんて·····、普通は出来ない。足が悲鳴をあげてしまう。 「足大丈夫なんですか?どこかに座らないと·····」 私はキョロキョロと辺りを見渡し、この前座ったベンチに目を向けた。 「いい」 「いいって·····痛いですよね?本当に座らなくちゃ·····」 「そんなに痛くねぇから、マジで大丈夫」 そういうと、男は松葉杖を使い、私に近づいてきて。 もう外が暗いせいか、やけに目の前の男の髪が黒く感じた。 「俺、藤原和臣」 「え?」 ふじわらかずおみ? 「名前、まだ言ったことねぇなって」 確かにその通りだけど。というかそもそも昨日初めて会っただけであって。さっきも会ったけど、あれは数秒ぐらいで。 「あの·····」 「昨日の礼がしたい」 お礼·····。 傘をさしたお礼? え? それを言うために待ってたの? わざわざ? 立ったまま? 松葉杖で? 怪我をしてるのに? 「そんな、本当にいりません」 「そういうの困る」 困るのは私の方なんだけど·····。 硬派な男は、律儀な人がのようで。
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