目覚めると、そこは

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目覚めると、そこは

「貴様ッ、本当になにも覚えてないのか!」  青白い炎がぼんやりと周囲を照らしている。天井から数え切れない氷柱石(つららいし)が下がっている。長さはまちまちだが、どれも鋭利な槍の先端を地表に向け、まるで洞窟そのものが牙を剥いているかのようだ。 「はぁ……すんません」  鋼鉄の椅子に、頑丈な鎖で括りつけられた男は、やや頭を下げる。いつものクセで、薄くなった額をペチリとやろうとして、左手がガチャリと音を立てた。そうだった。両腕は椅子の肘掛けに付いた金具に固定されていたのだった。もちろん、両足も椅子の脚に括りつけられてビクともしない。 「コヤツ、抵抗を!」  キン、と尖った高音が、鼓膜を突き抜ける。カラオケのマイクが起こすハウリングに似ていると、男は顔をしかめた。 「……ウム」  燕尾服のような漆黒の正装に身を包んだ、青白い顔の紳士が、焦ったように半身を翻すと、瞬時に腰を折った。紳士が丁寧に礼儀を払うのは、男の正面に対峙する巨大な毛むくじゃらだ。建物にして3階はあろうかという巨躯は、常にウネウネと蠢く剛毛のようなものに覆われているらしい。乏しい灯りの中で、なんとなく全体像が見えるが、細部まではよく分からない。ただ、2階に当たる高さに5つ、燃えるような深紅の光がギラギラと輝いている。多分、(まなこ)だろう。男は、首をいっぱいに伸ばして見上げた。5つもなくては物が見えぬとは、よほど視力の弱い生き物に違いない。なるほど、そう考えれば、彼がこのような辺鄙な洞窟暮らしを選んだ理由も納得出来る。日光は、かの生き物には強すぎるのであろう。 「不憫な……」  呟いた途端、ザザッ……と、紳士が数m後退りした。 「閣下っ! コヤツ、妖しげな呪文を!」 「フン。愚か者め! 吾輩には効かぬわ!」  毛むくじゃらがフヨフヨ蠢くと、地を這うような重低音が轟く。 「流石、世の全てを支配せし、偉大なる魔王様でございます」  イダ・イナルマ王、というのか。  紳士の音声が空間で反響し、辛うじて名前のような単語が拾えた。 「フン。今一度、そこの虫ケラに尋ねよう! 貴様、どうやって、この魔宮の最深部まで辿り着いたのだ!? 人肉を好む蔦植物が生い茂る悪魔の森を通過し、古の最上級呪術で封印された七つの門をくぐり、一呼吸で肺を腐らせる瘴気が立ち込める回廊を抜け、万物を一瞬で灰にする闇の業火が燃え盛る大広間を越え、魔窟をくまなく跋扈する悪鬼魔物の襲撃をかわし……この吾輩が鎮座する玉座の間まで辿り着くとはッ!!」  ゴゴゴゴゴゴゴゴ……と、地響きが空気を震わせる。傍らの紳士は、ヒイと頭を抱えて、恐怖に蹲った。 「それが……なにも覚えとらんのです」  しかし、禿げ男は深く溜め息を吐くと、椅子の背に身を預けて、静かに答えた。
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