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1.01.1 給仕と代筆屋と、
東世界で一番大きな国、バルハラ共和国。
冬の真っ盛り、しかし最後であろう雪が降る闇夜のこと。
中央部の街グリージアとフィエルのちょうど中間地点。ルクスバルト街道を南下していくバルハラ軍の小隊。先導の騎馬が二騎、荷馬車が二台、後続に騎馬が四騎。荷馬車に乗る軍兵を入れると十数人の物資輸送隊だった。
(多い…が、)
木立の闇の中、問題ねぇとぼやく影が一つ。間もなく通過するであろう隊を真っ直ぐに見据える。
先導の一騎、正確には兵だけが突然悲鳴とともに姿を消した。近くを走っていた騎馬兵はわけがわからず、手綱を引くのが一呼吸遅れる。減速する馬が何かに躓き勢いよく暴れて、振り落とされた兵が呻き声をもらした。
荷馬車や後続の兵達が先導の異変に気がつくが、時既に遅し。
何処からともなく銃撃音がした。荷馬車が急停車し慌てて降りれば、後続の騎馬兵が倒れていて、さらに金属同士がぶつかる音が続く。襲撃者に対抗すべく剣を抜く軍兵達。真っ暗な街道に怒声や悲鳴が響き…やがて静かになった。
最後の一人となった兵は怖気づく自身を奮い立たせ、襲撃者の影目掛け銃の引き鉄を引いた。当たった様子はない。銃は苦手だし、手が震えていては無理だ。
襲撃者からも撃ち返されるが運良く腕を掠っただけ。よかった、ついてる。この隙に弾込めをと、そう思った矢先──
今度はしっかり腕を撃たれ銃を落としてしまう。さらに連続する銃撃に脚も撃ち抜かれ、兵は堪らず声を上げ膝を付いた。
あり得ない、あり得ないのだ──あり得るとすれば、例の盗賊とその噂…
襲撃者が近づいて来て、最後の軍兵の記憶はそこまでとなった。
襲撃者が辺りを見渡す。興奮し嘶いていた馬達は落ち着きを取り戻し、地面に落ちたランプは燃え広がることなく燻り、時折呻き声が聞こえたが、立ち上がる者はいなかった。
襲撃者は足を進めながら、空になった銃の弾倉を弄ぶように回転させ、ガチリと止める。荷馬車の戸には錠がかけられていたが、左手の針金が数秒足らずで開けてしまう。中身とご対面──
直後、襲撃者は眉を寄せ小さく溜息をもらした。
雪の夜から一日経ち。
バルハラ中央部、西寄りのローザディ・ミホーレスにて。雪は止んでもまだまだ寒い風が夜の街を包んでいた。
賑やかな酒場、客達は貼り出されたばかりの手配書の話で盛り上がっていた。<三本傷の義賊>が隣街に現れた、と。
そんな客達よりもさらに煩く騒ぐ一団。テーブルを囲んで札博打をする街の娼婦達と一人の男。どうやら今夜の酒代を賭けた大一番のようで、ちなみに男は無一文だ。
テーブルに散乱した空きグラスを酒場の給仕が片付けていく。バンダナ巻きに帽子まで被る給仕の名前はエド。エドは喧しいほどの一団に溜息をもらしたが、男の一瞬の手捌きが目に止まる。
「…クラブのスリーカード。俺の勝ちな」
にんまり顔の男と悲鳴を上げる女達。テーブルに積まれた銀貨に男が手を伸ばす。が、その手をエドが捕まえた。
「今のイカサマ」
「あ?」
「袖の裏。まだ持ってるだろ…!」
睨む男を他所に、強引に男の袖口を捲るエド。するとクラブ印の札が数枚零れ落ちた。一瞬の後、女達の怒りが男に降りかかる。罵詈雑言ビンタの嵐。執念深そうな空気を感じエドは思わず身を引いた。
「店出禁だからねッ、スタン」
そう言うと娼婦達は去って行った。
イカサマ男の名前はスタン。彼は椅子から転げ落ちたまま、タコ殴りに遭った頭を押さえ顔を顰めていた。
「おめぇよぉ…バラすなよ!いいとこだったのに!」
「イカサマで勝って何が楽しんだ?うちも出禁にするぞ」
恨めしそうなスタンにエドは毅然と言い返す。立ち上がったスタンに暫く睨まれるが、彼は何かに気がつきにっと笑い、エドの帽子を奪うとバンダナごと頭をわしゃわしゃ撫で回した。
「!っ、おい…やめろ!!」
エドは動揺しながらも抵抗し、なんとか帽子を取り返しそのまま厨房へ逃げ込んだ。一部始終を見ていた店主が笑い声を上げる。スタンは逃げたエドに思い切り舌を出してみせるが、散らかったテーブルが目に入り盛大に嘆息した。
「今夜の分くらいはツケとくよ」
「ありがと…あんな生意気坊主、いたか?」
「この間雇ったばかりでね。出禁にはせんから、反省くらいはしとくれ」
二人はどうやら仲がいいらしい。まだ笑う店主にスタンはぶつくさ言いつつカウンター席へ移った。こそこそ様子を窺っていたエドは面白くない状況に眉を寄せた。
「…なんだよ、もうイカサマはしねぇって」
「あんた何者?」
未だ睨み見るエド。彼はスタンと店主の仲が気になるようだった。
「せっかくだし教えてやる、新人君。俺はスタン、代筆屋だ。あと、この店にはお前さんが来るよりもずーっと前から来てんだ」
「常連さんなら、尚のことダメだろ、イカサマは」
言葉を詰まらせるスタン。店主が笑いを堪えながら彼のグラスに酒を注いでやる。
「スタンはな、情報屋もやってんだ。金払えば面白い話が聞けるぞ」
「おい、それあんまり言うなよ」
情報屋──もしもエドが動物なら、耳がピクンと動くような反応を示して、さらにそわそわしはじめた。
「情報屋って…秘密とか噂とか、いろいろ詳しいんだよな?」
「?…ネタにもよるぞ」
「なぁ、知りたいことがあって、」
身を乗り出す勢いで食い付くエドだったが、話を遮るように店の扉が開く。外の寒さとともに入ってきた男は、真っ直ぐにスタンのほうへ向かい、
「おぅ、おかえり。どうだった?」
「どうだった、じゃねぇこのペテン師!」
「あちゃー…でもちっとは掠ったろ?」
「ちっともクソも!掠ってねぇわ!」
…口悪っ!開口一番辛辣。
不機嫌マックスな男は外套を乱暴に脱ぎスタンへ投げつけた。一瞬他の客達の視線が集まるがただの痴話喧嘩だと思われ、すぐに賑やかな酒場に戻った。
突然の粗野者の登場にエドはまた眉を寄せる。スタンは拳まで振る男を宥めるだけで苦笑い。知り合いではあるらしい。
一瞬…男と目が合う──明るい緑色の、鋭い瞳。その目に似た色のバンダナは、本来の使い方よりも額に当て目深に巻かれていて、さらに目つきが悪く見える。左目下の横一線の傷は耳にまで届いていて、耳は痛々しくパックリ切り裂けていた。
「なぁ、この人かい?」
「あっ、そうそう!じゃあ今夜の飯の種!」
「はぁ!?」
「お前に仕事頼みたいんだってよ。いいだろ?キース」
何やら嬉々とした店主が割り込み、スタンが取り繕う。キースと呼ばれた不機嫌男は店主と目が合うと冷静さを取り戻したようで、渋々スタンの横に腰掛けた。
店主はさらに嬉しそうで、エドに飯の支度をするように言うと厨房の奥へ行ってしまった。エドはわけがわからずだったが、言われるまま料理をはじめた。
「…嵌めやがったなテメェ」
「いや、今回のは俺も当たりだと、」
「それだけじゃねぇ、この店だ」
「あー…そだな。ここ待ち合わせにしたのは保険」
途端、また殴りかかるキース。スタンは慣れた様子でヘラヘラ笑っている。
キースは苛立ちを顕に舌打ちすると、バンダナを外し髪を掻き毟り、ポケットを探り小さな袋を取り出した。どうやら煙草のようだ。形の崩れたそれを小慣れた手付きで巻き直し、燐寸で火を点ける。
はっとして手元のフライパンを慌てて混ぜる。エドは料理に意識を集中させようとしたが、どうしても二人の会話が聞こえ気になってしまう。
「マジでスカだったか?」
「…スカだ。ただの輸送便」
「はぁ…なんか悪ぃな」
「金はあったぞ」
「いいねぇ♪こっちでも話題になってるぜ、皆も来てほしいってよ」
「アホか…」
何の話だ?…少なからず聞いていい話では無さそうで、息を潜め気配を殺す。キースは未だに不機嫌そうで(これが通常なのかもしれない)、呆れ顔で煙を吐き出すと自身の鞄から別の袋を取り出した。
「金以外も、少し貰った…けど本や書き物ばっか」
「ほ~ぉ?」
透かさず伸びてきたスタンの手をパシンと払い退ける。
「わざわざ頂戴したってことは、少なからず気になるもんがあったわけだ?掠りもしてねぇ、輸送便なのに」
「……地図が、」
キースは一瞬ムッとするが、言葉を止める。聞いている者の気配に勘づいたらしい。だが、
ずいっと鼻先に皿が突き出される。皿の上で湯気立つ飯。カウンターと料理を挟み暫く視線がぶつかる…エドが早く取ってとぼやき、言われるまま受け取った。
「頼んでねぇぞ」
「店長があんたにって。俺は知らないよ」
「修理の支払いだろ、食うのは好きって伝えといたから」
余計なことをされジロりと睨むキースだったが、腹が減っているのか何も言わず飯を食べはじめた。
「なぁ、情報屋。さっきの続き。知りたいことがあるんだ」
「さっきも言ったが、ネタにもよる」
「海賊討伐の話。南部のこと、何か知ってたら、」
バン!と音がしたと思ったら、横から腕が伸び襟を引っ張られる。エドの顔の間近にキースの不機嫌顔があった。
「この飯、なんだ?お前が作ったのか?」
「??…そうだけど、」
「不味ぃ!んだこれ!?んな不味ぃもん人に食わせんじゃねぇ!」
グサリ、と胸に何か刺さった気がした。
「…そんなハッキリ言わなくても、」
「いや、でも、これは…マジで不味ぃぞ」
「!ッ…練習中だ、文句言うなら食うんじゃない!」
いつの間にかスタンが摘み食いし、渋い顔になる。
ちょうど店主が物を抱えて戻ってきたのだが、突如勃発したキースとエドの口論は暫く続いた。
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