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「着心地、覚えてないだろ?」
私は、勢いのよい雨音に目を覚ました。
また娘と一緒に寝落ちしてしまっていた。夢を見ていた?
あの声は・・・誰だったんだろう。
枕代わりにしていた右手の痺れを取りながら窓の外を眺めると、雨があっという間に勢いを増してきていた。「しまった。」急いで洗濯物を取り込んだが、カーテンレールにかけてある洗濯物は、しっとりと濡れている。
「ひどい雨・・・。」
除湿器の排水タンクに貯まったままになっていた水をシンクに流しに行くと、吐き出し窓にバチバチと当たる雨音で、今度は昼寝をしていた娘が目を覚ました。ふにゃふにゃと伸びをする娘を恨めし気に見ながら、私は心の中で軽い舌打ちをした。
娘は寝ぼけ眼をこすりながら窓の外を見るや、目をパッチリ開けて私を呼んだ。
「ママぁ~!あめだよっ!」
やけに声に張りがある。
「ママぁ~。このまえのカッパは?」
3歳になったばかりのミナは私のもとにパタパタと駆け寄ってきた。
「ミナ、この雨はすぐに止むから、もうちょっとしたらお出かけしよ。」
私の言葉に不満げな娘は唇を尖らせながら首を横に振った。
「いやぁ~だぁ。ピンクぃカッパは?」
カサは危ないと思い、娘のお出かけ用に買ったピンクのカッパ。そういえば買ってからまだ一度も雨が降っていなかった。娘はそれを覚えていて雨を待ちわびていたのか。ため息をひとつして、しまっていたかっぱを取り出すことにした。
「あれ?」
私が記憶を頼りにカッパを探しているころ、娘は嬉しそうに長靴を引っ張り出してきた。
娘専用の小さな洋服ダンスの中には見当たらない。
「ママ、おでかけしよ。」
どこで覚えてきたのか、首をかしげながら上目遣いで私を見上げる娘。変なオトコに使うなよ。
「はいはい、よっこいしょっと・・・と?」
押し入れの衣装ケースから、ようやく探し当てたピンクのカッパに絡まって、水色のカッパが顔を出した。娘は自分のカッパを見つけると、それを手に、喜んで玄関まで走っていった。
私の手に残された水色のカッパ。大人用のそれは、まだ真新しい匂いがした。
「これ・・・まだ、あったんだ・・・。」
市立北高校バスケ部・副キャプテン武石とマネージャーの美香は、体育館に続く渡り廊下の端で、雨宿りをしていた。 今日はバレーボール部が体育館を使う日。バスケ部は屋外練習の予定だった。
このドシャ降りのせいで外練習は中止。来週から中間テストが始まることもあって、バスケ部のみんなは筋トレもせずにそそくさと帰り、2人は置いてぼりにされたみたいになった。
「美香、雨は好き?」
「うーん。苦手だな。タケイシは?」
「まあまあかな。」
ザアザアと雨が勢いを増している。美香が“傘をさしても濡れそう”と考えていると
「カッパだよ。」 「え?」 武石の唐突な言葉に美香は目をしばたいた。 「カッパ知らないのかよ。あれのほうが絶対いいよ。」
「カッパって雨ガッパでしょ?」いぶかしげに答える。
「武石、雨の日カッパ着るの?」
「着ないけど・・・・。」
「なにそれー!しったかぶり。意味わかんない。」美香は武石の顔を指差しながら笑った。
「おまえカッパ着たことあんのかよ。」妙にムキ。
「そりゃあるよ。子供の頃に。」
「覚えてる?」
「え・・・?」
「着心地覚えてないだろ。傘差してる人の中をカッパ着て、手ぶらで歩くんだ。」武石が得意気な笑顔をつくった。
「サイコーだぞ。あの楽しさを知らずに一生を終えるなんて、人生の楽しみが一個減ってる。」勝ち誇ったようにニヤケる。
美香は話を咀嚼してようやく飲み込むと首をかしげだした。武石が覗き込む。 「でも、あれかな、私も新しい傘を初めて差すときはすっごく楽しいな。でも、かわいいの買ったときに限って、なかなか雨降ってくれないんだよね。ふふ、雨降ってるのに嬉しいってすごいよね。」
今度は武石が首をかしげだした。
「それとはちょっと違うような・・・。」
武石の言葉をさえぎって美香がしゃべり始めた。
「あ、聞いて聞いて。そのときね、あ、新しい傘を初めて差した日ね、白いトレンチコート着ていったの。」
美香のペースだ、と感じた武石は素直に彼女の話に乗ることにした。
「トレンチって・・こうゆうやつ?」肩に指で輪っかをつくった。
「あ、バカにしてるなー。今のトレンチかわいいんだぞ。見たらホレるね。」美香は武石のリアクションを待たずに話を続けた。
「そしたらね、車におもいっきり水かけられて、白いコートが泥だらけ。」 苦虫を噛み潰したような顔になった美香を見て、武石の顔もつられた。 「ひっどいよねー。」美香はなぜかケタケタ笑いはじめた。
「白いのなんて着なきゃいいじゃん?」
正論だがそんなもんじゃない。
「だって着たかったんだもん。芸能人っぽくてカッコいいでしょ?」
「全然ちげぇだろ。芸能人オーラなんて1ミリも出てねぇじゃん。」
美香はブーたれた。
雨は止みそうにない。
風に吹かれた雨粒が美香の頬に当たった。
冷たっ。
雨音とバレー部の威勢のいい掛け声が聞こえる。
黙っていても沈黙が訪れないのは雨の日のいいとこだな、美香はふと思った。
「なぁ、明日さ、カッパ試そうぜ。」
「?」
「明日さ、雨だったら、カッパ着て三角公園待ち合わせな。」武石は雨を見上げたままだ。
「は?」美香は意図を捉えきれないでいた。
「じゃな。」
武石は一瞬だけ目を合わせた後、カバンを傘代わりにして、そのまま雨の中を走っていった。
・・・カッパなんて、持ってないよ。
美香は学校の帰り道にある文房具屋に寄った。高校で使うあれこれが売っている、いわゆる何でも屋さんだ。ペンやノートだけではなく、雨ガッパも置いてある。選べるほどの種類はないが、せめて、と校章のプリントされている白いそれではなく、隣に置いてあった水色のものを選んだ。試着はできないので、外装のビニールの隙間からこっそり指を入れてカサカサとした素材を確かめて、それを手に取った。レジで会計をして、なけなしの小遣いから支払いを済ませたとき、何やってんだろ、って気持ちが沸き上がってきたが、このまま雨が止まないでいて欲しかった。
朝方まで降っていた雨は、美香が目を覚ます頃にはすっかり止み、眩しい太陽が照らしていた。
美香は折りたたまれたままのカッパを手に、三角公園に向かった。
地元の商店街からほど近い公園。一応バスケットゴールもある。小学生向けの低いヤツ。いつだか武石がカッコつけてダンクして見せてくれたことがあった。商店街のアーケードから、そのままつながったこの公園は中高生格好のデートスポットだった。本当の名前は忘れたが、その形から、みんなが三角公園と呼んでいる。
ここで待ち合わせをしてそのままアーケードを歩く。アーケードを抜けるとデパートがあってそこの1階にあるファーストフードでお茶をする。キマリごとのように。みんながこのコースを選ぶため、誰と誰が付き合っているのかすぐに分かるが、そこはお互いに暗黙の了解として誰も口にはしない。
美香は公園の時計の前で待った。しばらく待って、くたびれてくると隣のベンチに座った。残り雨が、乾ききっていない座面からジメっとお尻に伝わってきた。
武石は来なかった。結局来なかった。晴れた日にカッパなんて着ないよね。
膝の上で、袋に入ったままの水色のカッパが陽に照らされていた。
高校最後の夏は県大会の二回戦までいった。彼はその後、東京の体育大学に進学し、私は地元の短大に入った。大学一年生のとき、一度電話で話したきりで、卒業してから彼と会うことはなかった。数年後、彼のことを思い出すこともなくなった頃、テレビ中継されていた実業団バスケの試合で逞しくなった彼を見た。ルーキーイヤーの彼はベンチスタートで、12分の出場で5得点とまずまずの活躍をした。が、彼を見たのはそれきりだった。風のうわさで、彼は膝を壊し、社会人になってわずか二年でバスケットを辞めたらしいと聞いた。
去年来た高校の同窓会のはがきも、とうとう出さず仕舞いだった。
私は短大を出た後、地元の企業に就職し、そこで出会った旦那と結婚した。背は高いが運動はめっきりな旦那。
3才になった娘は雨カッパを着て、私と急ぎではない買い物にでかけた。帰り道、娘は暖かい陽が差す中、「あめ、まだ、ふらない?」と言いながらピンクのカッパを着て家まで帰った。
「ねぇねぇ、ママはあめ、すきなの?」
「まあまあかな」笑顔で答えた。
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