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第六話・格闘強制収容所
夜9時頃、静かな住宅街を赤柳は歩いていた。
そして、電話BOXにチラシを貼る。
《困った事、相談に乗ります。ボディガードや便利屋等。私設治安維持係・赤柳090‐1234‐5678》
赤柳 「これで少しは生活費の足しにできるかも」
コンビニから、結婚予定のカップルが出てきた。
由香(30)が車椅子に乗って、それを彼氏の孝(33)が押していた。
二人は同じ会社に勤めていた。
由香 「孝さん、いよいよ来月から課長に昇進ね」
孝 「そしたら由香の両親に挨拶に行って、挙式の日どりを決めて……」
「俺たち、今の会社に勤めたから知り合えたんだし」
笑顔で頷く由香。
二人は、二車線の車道(歩道)から右に曲がって路地へ。
そこに、二人の若い男が歩いてきた。
岩巌(がん・いわお)185センチ・100キロの黒い革ジャン・デニムパンツ姿。
斜め後ろを豪力権太(ごうりき・ごんた)190センチ・90キロ。上下・デニム姿。
そして出会い頭に、岩の軍靴の上を車椅子が轢いた。
孝が「あっ」と岩を避けたために衝突は免れたが、靴の上に後輪が載った。
孝 「すいません」
岩 「人様の足を踏んどいて、すいませんで済むのか」
舌を出して迫る岩と、指を鳴らす豪力……。
岩 「だったら、警察はいらねぇな。足が潰れたかと思ったぜ」
岩と豪力の迫力に圧倒されたカップルは、恐怖におののいた。
豪力 「お姉さ~ん」
と、湧き出たよだれを舌なめずりした。
孝は、土下座して謝った。
孝 「申し訳ございません」
そして、暗闇から赤柳が現われた。
赤柳 「ここまでして、謝っているじゃないですか」
岩 「誰だ、テメェは?」
赤柳 「通りすがりの小僧ですが、許してあげてください」
岩と豪力は、いきなり赤柳に殴りかかった。
そして二人で、赤柳に制裁を加える。
非常事態での佐多野の教え。(セリフか字幕で紹介)
字幕 身の危険をこうむる非常事態に平常心を保つことは、相応の訓練を要するが、開き直って微笑めば自然と肩の力も抜ける。
赤柳は左手で後頭部を、右腕の前腕で肝臓を保護していた。
急所を守りながら、彼は微笑していた。
赤柳 (こいつらのパンチは、腕力にモノをいわせた力任せのド素人パンチだ。俺の耐久力ならば、耐えられる)
豪力 「出しゃばりやがって、このガキッ」
岩は、体を折って防戦一方の赤柳につばを吐きかけた。
岩 「ちぇっ、見かけ倒しが」
豪力 「これ以上、弱いもんイジメしたって仕方ねぇ」
岩 「勘弁してやるぜ」
と、そそくさと去った。
孝は頭を下げ、赤柳の肩に手をやり労いかけた。
孝 「大丈夫ですか? 本当に有難うございました」
由香 「何とお詫びしてよいか……」
と、涙を浮かべていた。
赤柳 「彼らは喧嘩なれしていたようで、警察沙汰になっても誤魔化せるように顔は攻撃してこなくて、代わりによりダメージがある肝臓や後頭部を狙ってきました」
「でも、私は常に金的保護のノーファウルカップを着用していて、急所は両手で防御していたので問題はありません」
孝 「はぁ」
由香 「是非、何かお礼をさせてください」
赤柳 「いえ、お気持ちだけで結構です」
赤柳は二人に背を向けて、その場を離れた。
しかし、空腹の彼は腹が「ググゥ~」と鳴ってしまった。
赤柳は腹を押さえて困ったように、
赤柳 「格好つけて見返りを求めなかったはいいけど、腹が減っては……僕もバカだよ」
と、渋い表情を見せた後、公園の雑草をちぎって食べた。
時間の経過。
先ほどのカップルがいたコンビニに、九歳の美少女「蘭々(らんらん)」が一人で漫画雑誌を立ち読みしていた。
その姿に、岩と豪力が驚きの声を上げた。(声のみ)
「おおお~っ、どういうことだ?」
「俺はロリコンじゃねぇけど、可愛すぎるぜ」
コンビニから出てきた蘭々に、岩と豪力が歩み寄って両方から挟んで話しかけた。
岩 「お嬢ちゃん、チョー綺麗だね」
豪力 「俺たちと一緒に遊ぼーよ」
蘭々 「これから、お家に帰るの。だから駄ぁ目」
そこに、昔の暴走族を髣髴とさせるシャコタンのオープンカーが、おもむろに近
づいて停車した。
(運転している志(し)位(い)のイメージは、ピコ太郎さん)
志位は車から降りると、岩と豪力に向かって、細いメガネをずらしてニッコリ。
志位 「君たち、二人がかりで、か弱い女性を口説くなんてフェアじゃないね」
岩 「何だ、貴様は? どこのクズだ?」
いきなり志位は、踊りだすと歌い始めた。
志位 「アイ・ハヴァ・ラぁイト」
と、右拳を顔の前に出して。次に左拳も顔の前に出した。
「アイ・ハヴァ・レ~フト」
そして、両拳のナックル部分を胸の前で合わせた。
「あ~ナンバー・ワン」
岩と豪力は、力任せの左右パンチを振り回した。
それを見切った志位は、かわしながら、
志位 (迫力はあるが、スピードもキレもないドッスンパンチ……)
すると志位は、左右の『マサカリ・フック』を振り回す。
志位 「マサカリ・フーック」
ブンブンと数発振り回して、最後の左フックを岩のアゴにヒットさせると、前のめりに倒した。
次に、左右のアッパーで豪力を後ろに弾き飛ばした。二発とも下からアゴを突き上げた。大振りパンチだが、スピードがあるために破壊力は抜群だった。
(パンチにおいて何故スピードが破壊力を生むのか? については、後に数式で説明します)
志位 「スティック・アッパー」
※ 空に拳を突き上げる=スティック。
うつ伏せの岩と大の字の豪力は、グロッキーになりながら洩らした。
豪力 「スピードが速すぎて見えねぇ」
岩 「あの野郎、一時期に世界を席捲した豹柄野郎じゃねぇか」
志位は、足元に倒れる二人を見下ろしてニッコリ微笑む。
蘭々は、強い志位に驚いた。
蘭々 「わぉー強くてカッコいい。そして面白いキャラなんて、ありえなーい」
「助けてくれて、ありがとー」
と、志位に抱きついた。
志位は助手席のドアを開けると、蘭々を誘った。
志位 「ドライブしない?」
時間の経過。
赤柳は、住宅街の「公衆電話BOX」にチラシを貼る。
その赤柳に、後ろから皮ジャン姿の暴漢二人(英(エイ)と尾(び)井(い))が声をかけた。
三人の風貌は、悪な筋肉マンといった感じで上半身はTシャツ・迷彩色のズボン姿。
英 「おい、お前何やってんだ?」
尾井 「何か怪しい野郎だな」
英 「それに私設・治安維持係なんて、誰の許可を得てやってるんだ?」
赤柳の鋭い眼光は彼らの体を射抜いたが、その後一変してにっこり微笑んだ。
頭をかきながら、
赤柳 「いやぁ、ますます物騒な世の中になりそうなんで、
少しでも困った人を助けてあげたいな……と」
「ダメかなぁ?」
といいつつ、彼のお腹は「ぐぅううううう~」と鳴った。
すると、英と尾井は大笑いした。
尾井 「お前、腹減ってんじゃん」
英 「他人のこと助ける前に、自分の食いぶち何とかしろよ」
赤柳 「っていうか、この人助けが仕事なんだけど」
と、腹を押さえて愛想笑いをした。
赤柳は普段は大人しく天然な部分があって、他人からの口撃などにも良い風に勝手に解釈してしまう。
つまり、揉め事にならない。ある意味、ポジティブ思考。
志位のオープンカーが、おもむろに近づいて停車した。英と尾井は、その車に近
寄った。
二人 「志位さん、うぃーす」
英 「その子、どうしたんですか?」
志位 「この俺を見てモノ欲しそうな顔で見つめてるから、
つい乗せちったよ」
字幕 徒党を組む心理は、同類の仲間を作ることで自分を誇張したいという
意識の表れである。
個が集団に溶け込むと、自分が見えなくなる……。
蘭々は、志位の豹柄のシャツからハチ切れんばかりの大胸筋を指で押した。
蘭々 「ムキムキすごーい」
志位 「ったく、最近のガキャ、ませてるっつーか……俺もモテ過ぎて、どうしようもねぇぜ」
「そのうち俺のガキ、産ませようと思ってんだ」
と、膨らんだ股間を押さえた。
そして、子供に顔を近づけて口角を上げニッコリ。
志位 「ねぇ、お嬢ちゃ~ん。俺たち愛し合うんだもんねぇ~」
と、甘え口調。
蘭々 「私、そんな軽い女じゃないよぉ」
と、頬をふくらます。
赤柳の携帯が鳴った。
赤柳 「もしもし、赤柳一心太と申します」
相手は女性だった。赤柳に必死に訴えた。
母親 「私の大事な娘の蘭々(らんらん)が行方不明なんです。昨日から家に帰ってこなくて、警察にも捜索願を出しているんですが……」
赤柳 「自宅の住所はどちらになりますか?」
赤柳 「わかりました。それで娘さんの容貌は?」
母親 「九歳で、小学校の制服を着たままだったと思います」
「白のブラウス、赤いネクタイ、黒のスカート……」
いきなり声がした。
「君たち」
声の主は赤柳だった。凛々しい表情に変化していた。
赤柳 「蘭々ちゃんは、俺があずかる」
彼は、心理状態によって「僕」と「俺」の使い分けがあった。
英 「お前、どうしてこの子の名前を知ってるんだ?」
赤柳 「この子のお母さんから、娘を保護してくれと頼まれた」
志位はメガネの奥から鋭い眼光で睨む。
いきなり、後ろから英が赤柳の首をチョークスリーパーで絞めた。
英 「ふっはははっはぁあああああああああああ~」
後ろから飛び乗って覆いかぶさると、赤柳をしゃがませた。
英 「死ねぇえええええ~ぃ」
尻餅をついた赤柳を、さらに上から覆いかぶさった。
絶体絶命の赤柳だが、彼はこの期に及んでも笑っていた。
字幕 その締め方では、勝負はすでについている。
陰の柔術の極意――。
しかし通常の締め方と違い、英は赤柳の首元に(英の)両手を組むために、赤柳
は(英の)小指を一本、右手で掴むことができた。
すると英の表情が一変した。
そして、赤柳は小指を根元から曲げ続けた。(それでも折ることはない)
英 「ギャァあああああアアアア」
尾井は、赤柳の正面から(ローキックの位置にある赤柳の顔をローで蹴った。
うなりを上げる右足だが、赤柳は顔を後ろにずらして空振りさせた。
(もしくは下にしゃがんで、英の顔にヒットさせた)
すぐさま赤柳は、尾井の後ろに回ると腰を掴んでバックドロップの体勢に入った。
尾井 「ハハハ、俺を投げようなんて無理だ」
と笑いながら、赤柳の頭をヘッドロックで締め上げた。
赤柳 (こいつらを降参させるのに、力なんていらない)
尾井 「これで頭蓋骨を骨折させてみせる」
と、さらに締め上げた。
尾井の下半身は、当然ながら投げられまいと股を広げて耐えている状態。
つまり、股間ががら空きだった。
赤柳は右手を股間に忍ばせると、尾井の金的を掴んだ。
ゴリゴリという音が。
尾井は悲鳴を上げて、股間を押さえてうずくまった。
立ち上がった赤柳に、志位は左右のマサカリ・フックを振り回した。
赤柳は後ろにスゥエーバックしながら、
赤柳 (なるほど、スピードとキレは凄い)
赤柳は交わした次の瞬間に、左ボディ・ブローの体勢に入った。
赤柳 (大振りなだけに、空振りしたら脇腹が空いている)
そして、拳を下腹部に叩き込んだ。
その一発で、志位は腹を抱えて悶絶した。
赤柳 「わざわざ、腹筋で覆われたボディを叩く必要はない」
「超一流のボクサーでさえ、反則のローブローによって一時的に戦闘不能に陥る……」
赤柳 「指も折ってないし、金玉も触っただけし、下腹も撫でただけ」
と、微笑した。
時間の経過。
数台停まっているパトカー。
警官たち10人ほどが、赤柳と三人を取り囲んだ。
志位は、ムキになって警官に抵抗した。
志位 「この子は俺が、道に迷ってたから家まで送り届けようとしてたの」
警官 「嘘をつけぇ、貴様」
と、怒鳴った。
蘭々 (警察の人、怖い)
助手席に座っている蘭々は、大声で泣き出した。
すると、志位は慌ててあやす。
志位 「ねぇ、お嬢ちゃ~ん。僕、何にもしてないよねぇ」
警官同士の話し合い。
「この子は、捜索願が出ている❢」
ある小島へ向かう小型護送船。
船内は大部屋状態。その中央で、英、尾井、志位の三人が手錠姿と迷彩服(逮捕後の刑務所の服装)で、井戸端会議中。
英 「俺たち、これから何処へ行くんだ? そしてどうなる…( )…?」
志位 「ちょっと変な噂を聞いたんだがな、暴力犯と性犯罪者のみを収容する刑務所があるらしいぜ」
尾井 「はぁ、何ですかそれ?」
英 「じゃぁ、俺たちはそこへ?」
志位 「確かなことは分からんが……日本が破綻するドサクサに紛れて、
米国がその刑務所を作ったんだと。元軍人の在日米国人の格闘技オタクが、そこの所長らしい」
尾井 「マジっすか、それ?」
そして志位は、ぐっと顔を英と尾井に近づけて、さらに不気味に言い放った。
志位 「それに……そこへ堕ちた奴は、誰も帰って来ねぇんだってよ❢」
固唾を呑む、三人。
隅で赤柳が、その三人を背にして寝ていた。口を開けて平和な寝顔。
三人はそれを尻目に、
英 「ちぇっ、幸せな野郎だぜ」
尾井 「知らぬが仏ってやつだな」
志位 「この野郎のお陰で……」
英 「こいつが過剰防衛でパクられるのは当然だとして」
志位 「何で俺が誘拐でよ、お前ら二人までもが共犯になんの?」
英 「理不尽な世の中ですよね」
しばらくして、護送船は島に到着した。島というより海に浮かぶギリシャ神話の神殿みたいな円形の建造物が、不気味である。
その入り口には看板『日本州立・格闘強制収容所』があった。
予感が的中して、三人は度肝を抜かれた。
志位 「やっぱ、思ったとおりだぜ」
所長室――。
葉巻を咥える「シュワちゃん」の風貌の所長は、ふてぶてしく語った。
所長 「日本語は今や、英語とともに世界共通語になりつつある。様々な日本の文化が認められ、あらゆる分野で日本人が世界で活躍するからであるが、それが米国の州になった遠因であろうことは、実に皮肉なものだ。そして、これから益々日本語が持つ奥深さや味わいを、世界の人々が知ることになるであろう」
赤柳は所長室に入るなり、机を前にして立ちはだかる。
手錠と腰縄で縛り付けられた格好の野獣は、不機嫌だった。その横側から、刑務官が銃口を向けて構えている。
さらに精悍になった赤柳の顔と野性味は、人間の皮をかぶった獣のようだ。
顎も太くがっちりとして、厚さ3cmのステーキなど、易々と噛み千切るような力強さが感じられる。
その顎の周りには、無精髭が生えていた。眉も濃くて太い。所長の独り言を聞いていた彼は、ぶっきらぼうに質問した。
赤柳 「米国が日本を子分にしておくだけじゃ物足りなくなったのは、俺たちの文化を自分たちの物にしたかったからなんだろ?」
所長 「戦争に負けた日本は、いつかはこうなる運命であったのよ」
赤柳 「偉そうに……だったら日本人である俺を、色んな理由をつけてこんな所へぶち込んでもいいのかい?」
所長 「YOUのその獣のような眼光は、人間としての理性に欠ける。その異様な目と体風が、公務に著しい支障をきたすとの連絡を受けている。
それに、治安維持を金儲けの道具にしようなど狂った人間の発想だ」
赤柳 「俺はいつまでここにいる?」
所長 「ここの受刑者は、この中での闘いで生き延びられた者だけが出所できる」
赤柳 「実戦を?」
所長 「殺試合をやるのだ。それから出所した者が再犯することのないよう、
格闘の恐怖・苦痛を受けて己の罪深さを認識させることで、本気で更生する意思を育ませる治安維持・犯罪抑止力のための“格闘刑務所”なーのだ❢❢」
「まぁ、YOUの場合は公務執行妨害だから、二つの勝利で出所させてやる」
理不尽に拘束されたことへの怒りが込み上げ、赤柳は椅子に座る所長を見下した。
それは権力に対する反発、何者にも屈しないという強い決意の表れであった。
赤柳 (霊妙で崇高な修行の成果を、まさかこんな所で披露することになろうとは)
所長 「第五戦闘準備室へ連れて行け」
刑務官二人が、脇を抱えて連れ出す。
所長 「生意気な小僧め、今すぐ泣きっ面をかかせてやる」
先程のワル三人組は、所長室へ入るなり土下座した。
「よろしくお願い致しますぅううううウぅゥうううううウうウうう~」
八角形の闘技場(オクタゴン)を囲むようにして、所長室と職員室が一部屋ずつ、戦闘準備室が六部屋あった。それぞれの準備室と闘技場は、金網で区切られていた。
第五戦闘準備室――。
中では、六人が練習していた。百数十キロのベンチプレスをする者(出井(でい))、それを補助する者(伊)、鏡の前でシャドーボクシングをする者(江府(えふ))、サンドバッグを蹴る者(阿井(あい))、奥の四メートル四方のマットでスパーリングをする者(永地(えいち)と次位(じい))達である。
スパー時の格好は、完全防備であった。ヘッドギア・ノーファウルカップ・オープンフィンガーグローブを装着。
《ウエイトトレーニングによって増した筋力がパンチ力に反映される割合は、約
15%。たとえばベンチプレスが100kg→200kgにアップしたとする。他の筋肉も
相応して強くなったとしても、カウンターが与えるダメージ(2倍=100%)に比
べると弱いと考えられる。今後、説明》
赤柳は、ドアを開けて戦闘準備室の入口に現れた。
赤柳 「殺試合の練習場ってか」
実戦形式のスパーリングは、打撃~組み技~寝技と進む。その展開を見た赤柳は腕組みをしたまま呆れて、
赤柳 「殺試合を想定した実戦(スパー)で、お決まりの打・投・極だと?」
「何にも分かっちゃいねぇな」
現存する総合格闘技のセオリー・常識・既成概念を、根底から覆す攻撃パターンと技を赤柳は身につけていた。それは決して絵空事ではなく、現実に使え、敵を倒せる技であった。
自分より二回り大きいをタップさせた永地は、仁王立ちして声を荒げた。
「新入り、そんなことでボーッとつっ立ってねぇで挨拶ぐれぇしたらどうだ❢」
赤柳は一瞬キョトンとしたが、深々と頭を下げた。
赤柳 「赤柳です、宜しくお願いしまぁす」
出井 「目障りなんや、気い利かして便所掃除ぐらいやれやぁ~」
そして、それらの怒声に反発する声が部屋中に響いた。
「いつでもどこでも愚か者に限って、人を上から見下した気分になって勘違いしてやがるぜ」
声の主は、一見すると気品のある短髪の中性的な美女の阿井だった。しかし、そ
の阿井の長い首には喉仏が……赤柳の開いた口が塞がらない。
永地と出井が、サンドバッグの前の阿井に詰め寄った。永地は阿井のTシャツの襟を鷲摑みにして吠えた。
永地 「何だと、このオカマーッ」
出井も負けじと凄んだ。
「おい阿井、この中の実戦で貴様を殺したかてな、事故扱いで済むんや」
阿井は、永地の手を払いのけた。
「俺はオカマじゃねぇ」
シャツの襟元が大きく伸びて乱れたため、眩しい胸元がさらけた。白い美肌には汗の蒸気とともに、妖艶な色気が漂っている。男の大胸筋とは明らかに違うふくよかな胸元である。
そこに、また新入りが入ってきた。護送船で赤柳と一緒だった、英である。
(他の二人は別の部屋に収監されたが、彼らはボディビルのトレーニング仲間である。バーベルなどの筋トレをするにおいて、一人で黙々とやるよりコンビを組んでパートナーに補助してもらったほうがより効果的である。
彼らはその仲間だが、私生活でも関わり合うようになると、徒党(チーム)を組んで悪事を働くようになっていった。協力してのコンビニ強盗、輪姦、下着泥棒、オヤジ狩りなど。そして往々にしてこの手の輩は、こけおどしの外見とは裏腹に気が弱い場合がある)
英は、入ってくるなり土下座して、
英 「宜しくお願い致しますぅ~」
と顔を上げた英は、阿井の胸元に注目した。
英 (並みの女より、よっぽど色っぺぇ。死と隣り合わせの欲望ってやつは、
狂うほど胸が熱くなるぜぇ~)
武骨な格闘家である永地と出井には、もちろん阿井に色気など感じるわけもない。
ただ怒鳴られたことが面白くないから、詰め寄っただけである。
そんな二人に、阿井は忠告した。
阿井 「新人の挨拶なんて、どうでもいいだろうが。
俺たちは、己の命が懸かった殺試合にいかに勝つか…そして、こんなとこ早く出て人生やり直すことの方が大事だろ?」
その言葉に納得してしまった二人は、舌打ちしながらも自分の練習に戻った。
立ちすくむ赤柳に、阿井が自ら説明した。
阿井 「俺のこの胸は、筋肉(ステ)増強剤(ロイド)の副作用なのさ。ホルモンのバランスが崩れ、乳房状に膨らんでしまったんだ」
赤柳 「なるほど」
阿井 「俺たちは、ここで生き残らなければならない。選ばれた敵が誰であろうとな」
準備室の壁上に設置してあるモニターTVに、所長の顔が映し出された。
所長 「視聴者の皆様、はじめまして。
今までは単なる噂に過ぎなかったこの『格闘強制収容所』が、これからは日本州のみならず米国本土まで、有料TV(※PPV)で満天下に全容をさらけ出すこととなりました。
ノールールの殺試合で、あらゆる格闘技の究極の技と殺戮本能、そして人間の断末魔の野獣性をお伝えできますことを、幸いに思っております」
※PPV:ペイパービュー(有料放送システム)
阿井 「ちぇっ、俺たちの命を懸けた闘いで金儲けしようなんて。まともな人間の考えることじゃねぇ」
出井 「もちろん、報酬(ファイトマネー)なんてあらへんし」
闘技場――。
収容所全体に、アナウンスが響き渡った。
「ドン・ペレス受刑者、闘技場の中へ」
ロシア人のキックボクシング、ヘビー級世界王者・ペレスが、第一準備室と闘技場を区切ってある金網内のドアを開けて、睨みを利かせて登場した。
「続いて、ジャック受刑者」
規格外れのオランダの白人である巨漢格闘家・ジャック(2,3m・200kg)が、
対角線上の反対側に仁王立ち。
第五準備室では、赤柳以外全員が金網越しに息を潜めて二人を見守った。
阿井 「名前を呼ばれた瞬間ってのは、死刑執行宣言みたいなもんだな」
永地 「キックのヘビー級世界王者VS世界最大の格闘家だぜぇ~」
出井 「履歴書に書いてある格闘技経験や体格、ここでの戦績などを考慮した上で、実力が拮抗(きっこう)した者同士を闘(や)らせるいう収容所側の配慮やな」
永地 「そのほうが、熱戦が期待できる」
だが、赤柳はその激突を無視するかのように、金網に背を向けて奥のほうで座禅を組んで思念した。
赤柳 (相手が誰であろうと関係ない。敵に惑わされることなく己のスタイルを貫く『剛』、またある時は水のごとく変幻自在に対応する『柔』。
それが、我が闘いの極意……)
(そのためには恐怖を克服し、冷静な自分を保つことが絶対条件)
闘技場のジャックはペレスと距離を縮めながら、
「この俺様に、パンチや蹴りが通用するとでも思っているのか?」
永地たちも同様に懐疑的であった。
「2,3メートル・200キロの、鋼の肉体を持つジャックに対し、打撃でどう闘うんだ!?」
出井 「ペレスのあの独特の蹴りが、ホンマに通用すんのやろか?」
「右構えのペレスにとって力強さという点では、より腰の入った右キック。
スムーズに出せてキレがあるのは、左」
いきなり顔を蹴るには的が高すぎる。何せ、35センチの身長差なのだ。まずは下から攻める必要があるが、ペレスの狙いはローではなくミドルであった。内臓が詰まっているからなのだが、その意図するところは……?
ペレス (俺の戦術は決まった。足を使って奴の出方をうかがうか、先に仕掛けるか……)
一方のジャックは、右構えでガードを下げると両拳を握り締めた。
ガードを下げたのは、
ジャック「身長差から、いきなり顔面を痛打されることはあるまい」
という、自信の表れだった。
ジャック(それに、打撃なんかには屈しない)と、拳を握り締めた。
永地 「実際ジャックの肉体は、超巨漢に似合わず均整のとれた理想の体型だ。
皮下脂肪も少ないし、腹筋も見事に割れている」
出井 「ああ。打撃で怯むとは思えん」
その自信から195センチのペレスを見下すと、全身に力を漲らせて吠えた。
「カモォーン」
という叫び声とともに、ペレスは右足を跳ね上げた。
ペレス (俺より鈍重なジャックには、あえてキレとスピードよりパワーで勝負してやるぜ)
ペレスの右足の指が、ジャックの左脇腹をえぐった。
出井のいう独特の蹴りとは、つま先を立てたまま蹴るという意味であった。
親指は内臓までのめり込んだ。
ペレス (蹴り足を右に選んだのは、より腰を入れてのめり込ませる必要があったからだ)
ジャックはうずくまるように、左膝をついた。血が吹き出す脇腹を両手で押さえ、
ジャック「ウウッ」
ペレスは足元にうずくまる肉塊を見下して、
「さっさと引っ込め、このデクの棒」
そして背を向けて金網の外へ、準備室の中へ意気揚々と引き上げようとした。
ペレス 「あと一人ブッ倒せば、ここから出られるぜぇ~」
キックボクサーの阿井は、ペレスの独特の蹴りの意味を知っていた。
阿井 「ペレスは柔らかいボディを、足の甲とか脛とか……上品なところで蹴ったりはしない。足指を研ぎ澄ますために砂や泥で鍛えた結果、古いサンドバックを突き破るまでになったんだと。普段はつま先の硬いバッシュ(バスケットシューズ)を愛用してるらしいんだよなぁ」
とその時、おもむろに立ち上がったジャックはペレスに襲い掛かった。
両手を広げて。
永地には、ジャックの思惑が窺い知れた。
永地 「チョークスリーパーを狙ってるぜ」
殺気を感じたペレスは振り向いたが、時すでに遅し。
ジャックは半身になったペレスに対し、首ではなく胴を正面からサバ折りで締め上げた。
胴体だけでなく、ペレスの両腕ごと抱え込んで……絶体絶命のペレス。
永地も納得した。
永地 「ペレスが振り向いた瞬間に、首から胴へ切り替えたんだ。これでペレスは手も足も出ない……」
出井 「やっぱ、トドメを刺さなかったのが甘かったんだよ」
ジャックは渾身の力で締め上げた。
ジャック「内臓を吐き出させてやるぅ~ッ」
しかし、ペレスは苦し紛れにも笑みを洩らした。
永地 「両腕も自由が利かないペレスが、どうして余裕の笑みを?」
ペレス 「やはりお前は図体がデカ過ぎて、脳みそまで神経が回らないようだな。せっかく手加減してやったんだから、余力を残して敗散したほうが良かったろうに」
ペレスは無防備のジャックの顔に、いったん海老反りにした反動で強烈な頭突きを❢❢
ジャックは顔を両手で覆い、床にのたうつ。
永地 「常に身体的有利ゆえに、今まで顔面を強打されたことがあまりないだ
ろうジャックにとって、この頭突きは致命的だな」
鼻血が噴出す鼻骨は、完全に潰れてしまった。ジャックは意識が飛んでいる。
伊 「大巨人が足をバタつかせ、苦しみもがいて転げ回る姿は異様だな」
阿井は、立ち技の実戦性について解説した。
阿井 「立ち技で一番実戦的なのはハードパンチの連打だが、最も強力なのは頭突きだぜ。タイソンvsホリィフィールドの第1戦で、あの怪物タイソンが頭突き(バッティング)で顔をのけぞらせ、一時とはいえ戦闘不能状態に陥ったんだからな」
永地 「頭突きが認められている大相撲の、相撲取りのブチかましを受けたときのダメージは計り知れないな」
所長は、マイクで叫んだ。
「ペレス、奴はレイプ魔だ。もっとやれ~」
鏡張りの所長室から興奮気味に叫ぶと、座って水を飲んで落ち着いた。
所長 「強姦に対する男の見解は、極端な場合が多い。半ば許容するか生理的に拒絶するか、の二つに一つだ。だが俺は許さねぇ。だから、ペレスには中途半端な攻撃で満足して欲しくないのだ」
そして、のたうつジャックをただ傍観していたペレスの、顔色が変わった。
ペレス 「虫酸が走るぜぇええ~」
ジャックの顔面を、さらに馬乗り状態でパンチの雨あられ。
悲鳴を上げて泣き叫ぶジャックを、楽しみながら残虐・残酷に攻め立てた。
江府 「立ち技格闘技は、個人の強さと戦闘能力を測るには判りやすい基準(バロメーター)でペレスはその王者だが、ありゃ惨(むご)いぜ……」
そして見かねた阿井が、
「やめろバケモン、それ以上やる意味がどこにある? 確かにレイプなんて男のクズのやることだが、弱い者イジメだって格闘(ファイ)技者(ター)の風上にも置けねぇな」
ペレス 「俺とやるのか? 来てみろよ」
所長 「狂人となったペレスは、目障りな奴は誰でもいいから殺す状態だな」
と微笑む。
永地 「触らぬ神に祟りなし、とは今のペレスのことだぜ。止めたほうがいい」
と、阿井に気遣った。
しかし、阿井は躊躇することなく金網の戸を開けた。
目を閉じていた、黙想状態の赤柳の両目が“カッ”と開いた。
棺桶(オクタゴン)に片足を突っ込んだ阿井を、赤柳は後ろから肩を掴んで制止した。
「棺桶(オクタゴン)に入るのは、待て」
阿井 「俺はペレスと闘るんじゃねぇ。ジャックを助けてくるのさ」
ウエルター級の阿井が、ヘビー級王者のペレスに殺試合を挑むとは自殺行為だ。
赤柳 (こいつ、身の危険を冒してまで)
赤柳は、阿井の勇気に感心した。友を得たような思いだった。
赤柳 「あんたの勇気と正義感は見上げたもんだぜ。他人(オレ)を動かすんだからな」
阿井 「赤柳が行く必要はないんだよ」
そして、阿井を振り切って闘技場へ踏み入れた赤柳は、自問自答した。
「行く必要はないが、自己満足かどうか確かめる必要があるんだ……俺自身を」
豪華なゆったりとした、観戦用のシングルソファに座った所長は満足気だった。
ガラスのすぐ向こうでは、連続レイプ魔のジャックが血まみれで青息吐息。
そして、自分に高圧的だった赤柳がペレスに向かう。
所長 「初めから俺は、赤柳にペレスをぶつけるつもりだった」
と、葉巻を咥えたまま含み笑い。
ペレスに向かう赤柳は、佐多野の言葉を背に受けていた。
「柔道以前の柔術家が、海外で普及させたブラジリアン柔術が逆輸入され日本の格闘技界を席捲しておるが、その裏でもうひとつ…陰の柔術が存在した……その名は伝説の、クレイジー柔術」
ジャックに馬乗りになるペレスに、赤柳は近づくと……。
二人はやがて向かい合った。あたかも闘うことを宿命づけられていたかのようだ。
ジャックは悲惨な姿のまま担架で運ばれ、その後の闘技場の空気は澄んでいたが、
それは穏やかな空気から波乱の空気に変化した。
野獣と戦士の凄まじい殺気が生ると、それらは竜巻のように舞い上がり激突した。
赤柳 (門外不出の『陰柔術(クレイジー)』を、満天下に晒すときが来たようだな)
赤柳は指を鳴らしながら、
「レフェリーもゴングもねぇ、眼(ガン)の飛ばしあいが合図か……」
ペレス 「お前で出所(さいご)だ!」
と左ハイキックを放たんとするが、同時に赤柳は突っ込んだ。
ペレスの蹴りを受けながらも、懐に飛び込んで突き飛ばした。
阿井は唸った。
阿井 「う~ん……蹴った瞬間に体当たりを喰らわせれば、敵は必ず倒れる。
一瞬でも片足立ちになることは、バランスを崩すリスクを背負ってるからな。しかも、蹴られたほうは力点がズレるから、ダメージが少ない」
尻餅をついたままのペレスを、赤柳は指で手招きした。
所長 「赤(ヤ)柳(ツ)はペレスと立ち技で勝負する気だ」
ペレスは今までにない力強いファイトポーズで身構えた。まるで鬼神だ。
赤柳は唸った。
「さすがだぜ、タックルに入る隙がねぇ」
「こちとら立ち技勝負は望むところ」
立ち技スタイルで向かい合う二人は、上体を小刻みに動かし牽制しながら互いの出方を窺った。
そして、ペレスは前蹴りを放った。
ペレス 「今度は体当たりなんて真似はさせねぇ―」
あの、つま先を伸ばしての右前蹴りが、赤柳の腹へ炸裂!
横から見たら、脚が赤柳の体を串刺しにしたように見えた。
江府 「サンドバックを突き破る足が、体を突き抜けたぁ~?」
赤柳はその脚を脇に挟んでいたのだ。そして、どうしても開いてしまう股間めがけて、下からすくいあげるように金的蹴りを連発した。
阿井 「殺試合はカップを着けないから、金的にモロ…」
出井 「蹴り足を持たれることは、致命的なんだな」
ペレスは冷や汗をかいて、必死に両手の掌でガードするしかなかった。その姿は滑稽そのものだが、ペレスも赤柳の金的蹴りの足を両手で鷲摑みにすると、それをゆっくり脇に挟んだ。
ペレス 「これでお相子だぜッ」
瞬時に、ペレスの巨体が宙に舞った!
軸足を跳ね上げたハイキックが、赤柳の側頭部をめがけて……と、赤柳は抱えていた脚を離した。
すると蹴った体勢のまま床に落ちたペレスは、ズッコケた感じで間抜けに見えた。
立ち技最強の名声を欲しいままにしてきたプライドは、怒りを通り越して失笑をもたらす。
ペレス 「いくら合法的な殺試合とはいえ、いやッ、お遊びの虐めだからこそ本気になるのが馬鹿らしかった。
世界最強のキックボクサーの打撃力がどれほどのモンか」
と、しゃがんだ体勢から蛙飛びした。
ペレス 「見せてやるぜ!」
いきなりの下から飛び込んでの左フックを、とっさに手の甲でブロックするしかなかった。
骨を砕かんばかりの一撃で、赤柳の顔は苦痛に歪んだ。
阿井 「赤柳も人の子なんだな。痛い顔を見せるとは」
永地 「不意をついての一撃で、ペレスは闘いの主導権(イニシアチブ)を握ったぜ」
それに続く右ストレートが、赤柳の顎を打ち抜いた!
阿井 「いかに頑丈そうな顎をしてるからって、あのパンチをまともに喰ったら終わりだぜ」
脳震盪状態の赤柳は、目の前が真っ暗になり必死にペレスにしがみつくしかなかった。
意識朦朧としながら、
赤柳 (俺は甘かったのか、ペレスに立ち技で挑むなんて……)
(だが、立ち技の選手に寝技で勝って何の意味がある?)
その思いに阿井が反論した。
阿井 「立ち技の王者に立ち技で勝負しようなんて、総合格闘技の理念に反する考えだ」
赤柳 (闘うだけが本能である俺が、負けたらこの世に存在する意味がない)
(だから、コイツを打撃で負かしたい!)
大柄なペレスにしがみつく赤柳は、必死に大蛇のように絡み意識の回復を図った。
永地 「まるで大蛇だぜ」
ペレスは振り解くのではなく、赤柳の首をがっちり抱え込んだ。
阿井 「ペレスに抱きついても無理だ。首を抱え込まれたら……」
そして、掴んだ首を強引に左右へと揺さぶった。二人の間にわずかに生じた隙間をついて、ペレスの膝が赤柳の脇腹へ食い込んだ。
(首を左に振って左膝を右ボディへ、そして右に振って)
強烈な膝がボディをえぐると、赤柳の顔色が変わった。
阿井は金網を掴んで、呆然と見守るしかなかった。
阿井 「手で引き込むから、カウンターの効果があるんだよな。
それにしても、赤柳は俺の身代わりになったばっかりに」
膝蹴りを繰り返ながら、
ペレス 「じっくり嬲ってから、トドメを刺してやる」
阿井 「今度は助けに行くわけにはいかない。不当な虐めじゃなく、正当な闘いなんだから」
「赤柳―っ、目を覚ませぇええええ~❢❢」
阿井の声は、闘技場に虚しく響いた。
その叫びで「ハッ!」っと我に帰った赤柳は、しかし時すでに遅し。
ペレスは、今度は顔を引きずり込んで、右膝を赤柳の顔面へ。
赤柳は危機一髪、右膝を両腕でブロックして直撃は免れた。次の瞬間、赤柳はペレスの右膝を左腕で抱え込んだ。
ペレス 「小賢(こざか)しい」
愚弄するペレスを見上げ、赤柳は無表情で決めゼリフを吐いた。
「勝負は、すでについている」
そして赤柳は、ゆっくりと抱え込んだ右膝を外に開いた。
字幕 陰の柔術の極意は、敵の急所に忍ぶ……。
つまりその概念は、既存の格闘技の反則技を実戦に生かすこと。
赤柳はガラ空きになったペレスの股間めがけて、左膝を体ごとブチ込んだ❢
赤柳は生き延びた。
始終を目の当たりにした受刑者たちの呟き、
「あいつ、とうとうやっちまった」
「一線を超えちまった……」
「ああ、これからここは、無法地帯だ」
殺試合という名目はついていたが、暗黙の了解があった。それはあくまで格闘技で決着をつけることなのだ。
そして、当事者の赤柳は悶絶失神したペレスをぼんやり眺めながら、
不気味に微笑んでいた。
【第一部・完】
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