あの日

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 心の中では大層なことを思っているが何か行動に移すことはなく、ただ自分がやったのは。  「あの事故、目の前でみたんですよ。実は」  私はぽっとそんなことを言ってしまった。本当にこぼすように言ってしまったので同僚はびっくりして「え」と固まった。  全国的にもどころか世界的にも大きな事故を目の当たりにしたなど、そうそうあることではない。一種の好奇心とある種の憐れみをふくんだ瞳で同僚は「それで、どうだった」と短く聞いてきた。  どうだったもこうだったも、という言葉は飲み込んで私はいつものように車を走らせて、橋を渡る手前で数十台先の車がいきなりいなくなったことといきなりのことでみんながすべてを飲み込めないまま呆然としていたことを話した。昨日のことのように覚えているとまでは言えないが痛すぎる色彩を持つ記憶は、無力感をいまでも引き寄せる。  「でもどうしてあんなところにいたんだよ。ここからずいぶん遠いところだぞ。君は家族もいないし行楽にいこうと思ったわけじゃないだろ」  「ああ、ちょっとドライブしたかっただけさ。時々遠出をするんだよ」  「ふうん、そっか。あ、そういえばこの間言っていたマッチングアプリの子はどうなったんだよ。いけるとこまでいけたのか」  品がある顔をしているくせにずいぶんと下品なことをきいてくることもしばしばある。だがこういうギャップが男受けもするらしく男性社員もこの同僚を信頼しているものは多い。  異性にはモテない。だがそれなりの欲は持ち合わせているため安全に発散したい。という気持ちから最近はやりのマッチングアプリを使って手ごろな相手を探すことは日常だった。  今の時代は便利だと心底思う。自分の携帯で簡単に好みの相手を見つけてある程度趣味が合えば会うことにこぎつけられる。男だけでなく女も手ごろな相手で欲を発散したいと思っている者は多いから、相手に直接会うのに苦労したことはあまりない。  警戒心がない人間が多い。犯罪者なんてそうそういないと思っているのだろうが、悪い人間はたくさんいる。私は自分が悪い人間だとは思っていないがいい人間だったらマッチングアプリで性交相手を探すことなどしないだろう。  出会った女との猥談をたまにするせいもあって、同僚は期待のまなざしを寄せている。  私はこの間であった女の話をしようと思ったが、少し後ろめたい気持ちがわいてきてためらった。      
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