14.ボーイミーツガールの山下さん:いち

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14.ボーイミーツガールの山下さん:いち

昼間、干していた山下さんを取り込んでいると山下さんが家に来た。我が家にダブル山下という由々しき自体である。 今は夜、文明が停止したこの世界では夜の闇が一層深い。懐中電灯の小さな光の下でできることといえば、現状を振り返ることだけだ。 ーーこれまでの単調な僕の生活において、山下さんとは唯一無二にして至高の存在だったのだが、何たる神の気まぐれか。今日、二人目の山下さんが僕の目の前に現れたのだ。 むろん、普通に暮らしていれば同じ苗字の別人と知り合うことは珍しいことではない。会社、学校、さまざまなコミュニティに所属し、社会活動をする上では、例えば佐藤さん、田中さん、山田さんといった人口の多い苗字の方には出会う機会も多いだろう。そして、山下という苗字も珍しいものではない。 だが、それは普通であればの話だ。 こう前置きするということは当然、今は普通の状況ではない。窓の外を見下ろすと、平穏から程遠い奴らが徘徊している。腕を失い、はらわたが零れ落ちても飢餓衝動の赴くままに、あーだのうーだの唸っている奴ら。生ける屍、ゾンビが巷に溢れてはや半年近くが経つ。 人間と会話したのはもうずっと前のこと。いや、そもそも四肢が正しい方向を向いて、生きた血肉を求めない人間を見たのはこの半年、山下さんだけだった。 そんな僕の前に今、新たな生存者が現れ、彼女は僕の恋人と同じ苗字、山下さんと名乗る。そんな偶然に何らかの運命、目に見えぬ作為を感じずにいられるだろうか。いや、ない。 「待て待て青少年君。『恋人』なんて言うても、これシーツカバーやないか」 「ちょっと静かにしていていい下さい。こうやって喋ることで、自分の気持ちや考えを整理しているんですから」 言いながら僕は彼女が摘んだシーツを引ったくる。 「あと、これではありません。山下さんです。わかりましたね、二号さん」 「二号さん、って呼び方は止めてくれへんかな。何や、お妾さんみたいやん」 「だったらちゃんとした下の名前、教えて下さいよ。教えてくれないからこんな呼び方しないといけないんでしょうが」 「せやから何度も言うてるやん。覚えてへんねんて、名前」 そう、彼女は山下さんと同じ苗字で、しかも記憶喪失だという。流石にそれは盛りすぎだと思うので、さほど信じてはいない。まあ、本名を聞かれたくない事情があるのだろう。 「だから、今はその身元のことは置いておいて、見目麗しい彼女とこれから、一つ屋根の下で暮らせる喜びを噛み締めるばかりやった。ちゃんちゃん」 「ちょっと。何勝手に言葉を続けて、終わらせているんですか」 「青少年君がいけずするからやろ。名前ないんやから、適当に好きな名前で呼んでっていうたのに。二号、なんてしょーもない名前つけよるから」 いけず、いーけーずー、と繰り返す二号さん。僕より年上だろうに、その奔放な所作に面食らうばかりだ。そもそも、女性とそんなに会話したことがない自分には、とても御しきれそうにない。 だいたいその格好からしてとても受け入れられるものではない。オーバーサイズのYシャツに、デニム生地のショートパンツ。肌を晒していることはそれだけで命に関わる。ゾンビの歯や爪で傷つけられないように、僕は外出時、なるたけ厚着するようにしている。 なのに彼女はこのラフな格好で町をうろつき、暢気に僕のマンションのインターホンを鳴らしたのだ。どうやらベランダに干していたシーツを見かけて、エントランスで同じ階の各部屋を慣らしていったらしい。 全般的に緊張感がなさすぎる。彼女といると町にゾンビが溢れているのが、夢か何かではないかとさえ錯覚する。 ーーいや、これが何らかの上位存在の作為としたら、その意図するものはきっと警告なのだろう。何せ僕自身が先日、油断してあわや生命を失いかけた身だ。こうやって客観視させることでその異常さや危うさを知らしめてくれているのだろう。きっと、多分。 そういう理由をつけないと、とてもじゃないが現状を受け止めきれない。 「この家、何かゲームとかないん? こう見えて結構ゲーム上手いんやで、バトルロイヤル系のFPSとか。他のプレイヤーばったばったと倒すとこ見せたるから」 この心の乱れをもたらした張本人は、そう言って懐中電灯の光を動かし、我が物顔で室内を物色していた。 「他のプレイヤーいないでしょう、こんな世の中で。だいたい僕、そういうゲーム持ってないですし」 「そっか。そらそうやな。じゃあ、ゾンビ撃ちまくるゲームとかは? ほら、タイムリーやし」 「タイムリーって……そういうのもないです。反射神経とか鈍いんで、僕」 「じゃあやっぱり、するのは恋愛シミュレーションとかなん?」 まあそうです、と答えると、彼女はまじまじと僕を見る。整っているその顔立ちと正面から向き合って、どぎまぎしてしまいそうなのを必死で隠す。 「……なんですか」 「君、結構綺麗な顔しているやん。普通に彼女だって学校とかでできそうなのに、何でゲームで恋愛しているんかなぁって」 「いや、僕はゲームを現実の代替にしているわけではないので。好きな人が偶々ゲームの人だったってだけです。それに外見をああだこうだ言わないでください、ハラスメントにあたりますよ」 「ああ。何かそういうところがあかんのやろうな」 随分と失礼な納得の仕方だが、それで彼女はこの話をこれ以上深掘りしなくなったのは助かった。 うろつくのもやめた彼女は、一度大きく伸びをした後、何の遠慮もなくベッドに倒れ込んだ。むろん、それは僕のベッドだ。 「取り敢えずもう夜やし、寝ようか。今日は何やら疲れたしなぁ」 「そうですね、夜はあいつら活発なので、基本は寝ることしかできることはないんで」 「……ホンマ、君はこんな世界で一人生き残ってきたんやな」 彼女は呟く。その声が今までと異なって落ち着いていて、大人びていて。先ほど顔を近づけられた時よりも心が騒ぐ。 「そりゃあ、生きていないと今、こうして話せていないですよ。あーとか、うーとかしか言えなくなってます」 「半年間やっけ、こんな状況になってから。命の危険と隣り合わせの中で、誰にも頼れずに。大したもんや」 天井を見上げたままそういう彼女に、僕は改めて考える。大したこと――なのだろうか。いや、そんなことはない。 何も作らず、何も救えず、何も繋げられず。ただ生きているだけなのに。 沈黙が暫く続く。 「……何や、ツッコんでくれんと私、図々しいだけの人になるやんか」 そう言いながら二号さんは上体を起こして、ほいっとベッドから降りた。その話し方や表情は、ベッドに倒れる前のそれだった。剽軽で、何も押し付けない。イージーリスニングのような存在。 「しんみり時間を切り替える為に、隙を残しておいたのに。『何か良いこと言って、ベッド占領するのを誤魔化そうとしないでください』とか何とか、言ってくれてよかったのに」 少々、いやかなり面倒臭いが、悪い人ではないのだろうな、と思った。掴みどころのないその距離感も不快ではなかった。近すぎず、遠すぎず。 こんな世界になる前に僕があった人間たちとは、全然違う人だった。 「……すみませんね、面白くない人間で」 「まあ君、光るモンはあるから。うむ、精々精進せえよ」 それから彼女は僕の前を横切り、部屋の扉に手をかける。 「じゃあ、私はリビングにあったソファの上で寝させてもらうわ。あれ、使ってもいい?」 「え? いや、いいですよ。ベッド使ってください。僕がソファで寝るんで」 「大丈夫大丈夫。というかあのソファ、下手なベッドよりふかふかやったやん。多分私、普段あんなにええトコで寝ていないで」 「いやいや。仮に寝心地は良いとして、掛布団もないのは寒いでしょう。もう冬ですし」 「平気へーき」 「ダメです。女性の方をそんな風に、ぞんざいな扱いをするわけには」 「そういう発言も、今時は少しハラスメントに近いんちゃうか?」 その返しに、つい言葉が詰まる。彼女はそんな僕を見て高らかに笑った。随分と可笑しかったのか、腹を抱えて笑わんばかりだ。 「ごめんごめん。あまりに君が真面目に困った顔をするから、可笑しくて。それじゃあ妥協案として、羽織る温かい服だけ貸してえな。それで、寝る場所は私がソファ、君はベッド。まあここは年上にカッコつけさせてえな」 その後、少し押し問答が続いたが、結局彼女の案で折れることになった。一番厚手のダウンジャケットを渡して、僕らはそれぞれの寝る場所へ。 懐中電灯の明かりを消す。 ――だが、中々寝付けないまま、時間だけが過ぎた。衝撃的な出来事に、中々脳が休もうという状態に切り替わらないようだ。トイレに行こうと起き上がり、枕元の懐中電灯を再び点ける。あまり眩しくならないように、光源に服の裾を当てながら、足音を立てないよう廊下を出る。 リビングを覗くと、扉横のソファで彼女は寝息を立てていた。よく知らない男と同じ家で、ぐっすりと眠っているのは随分と肝が据わっている。 あまり寝ている姿をじろじろと見るのも失礼だし、今目を覚ますと僕は、夜這いしようとしているように思われてしまう。早くトイレを済ませようと戻ろうとした時、くちゅん、とくしゃみの音がした。 それは彼女が発したものに違いないが、随分可愛らしいくしゃみだった。あまりに似合わない音に、わざとじゃないかと少し思い観察したが、どうやら本当に寝ているらしい。その整った鼻から鼻水を少し垂らしており、起きていたら流石にそれは隠すはずだからだ。 僕は来た時と同じように忍び足で部屋に戻り、掛け布団をとって彼女にかけた。んん、と少し彼女は唸ったが、幸い目は覚まさなかったようだ。 トイレを済ませ、ベッドに戻る。布団の代わりに、山下さんのシーツをばさりと広げ、自分の身体を覆う。薄手の生地は夜の冷えた空気を遮断するのに心許なかったが、愛しい人に包まれているのだ。多少は恋の熱で防いでいる、ということにしよう。
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