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10.複数形の山下さん
【ーーその扉を開けると、床に座った『私』と『私』と『私』がいました。広大な白い部屋の中央で、彼女たちはUNOに興じています。その中の一人が顔を上げ、私の来訪に気づきました。
「あ、また新たな私だ」
「やあやあ、ようこそ四号。早速だがUNOを一緒にやらないかい。ほらほら、このゲームはもう切り上げて、四人で仕切り直そう」
「こらこら二号。ドローフォーが二枚来たからって、ノーゲームに持ち込もうとするのはずるいのじゃないかい」
同じ声と顔で、三人の私がやいのやいのと騒いでいました。何だか楽しそうだったので、新参者の私は邪魔をしないようにそっと彼女たちの間、空いていた床のスペースにぺたんと腰を下ろしました。それから会話の隙間を見て、尋ねました。
「確認なんだけど。君たちは全員、四彩学園の高校一年生、山下亜紀さん?」
彼女たちは一様に頷きました。示し合わせたわけではないだろうに、同じタイミング、同じ首の角度だったので、確かに彼女たちは同一人物――山下亜紀、つまり私なのだと理解しました。
「そう、そして私が三号の山下さんだよ」
「ここに来たのが三番目ってことで、三号。そうでも呼ばないと区別がつかないから。先に来ていた私は二号で、こちらが一号」
「だから四番目の君は」
「四号ということか。改めて皆、宜しくね」
「宜しく、新入りの私」
挨拶を終えて、私は部屋をぐるりと見渡します。突き抜ける程に高い天井と、のっぺりとした四方の壁。私が入って来た方向の壁に目を凝らしても、内側のドアノブは見つかりません。いえ、ノブはおろか、扉自体が見当たらないようでした。長大な壁面は一様に滑らかで、何ら窪みや、引っ掛かりもありませんでした。
「そう、ここからは出られないみたいだよ」
私の考えを察したのでしょう。話していないのに、二号は教えてくれました。
「一号と一緒に、かなりの時間をかけて壁や床を調べてみたけど、何もなかった。まるで全てが初期化されてしまったような空間だね」
彼女の説明に納得しました。他でもない私自身が、しかも二人がかりで調べたのだから、もう一度私が調べたところで意味はないでしょう。三号と視線が合いました。ここに来た時、彼女も同じ結論に至ったのだと視線で通じ合いました。こういう風にお互いの考えがわかるのは、中々効率的で、私好みでした。
「でも私が入って来た時、つまり扉が開いた時に皆、出られたんじゃないのかな」
私は新たに浮かんだ疑問を彼女たちに伝えます。ここに私が来た時、確かに扉を開けたはずです。開けている最中であれば、彼女たちはここから出られたし、私もこうして閉じ込められることはなかったのではないか、と。
「そうだね。そうすればここから脱出するのは簡単かもしれない」
一号は頷き、私の考えに同意しました。
「でもね、四号。君はここに入ってくる前、扉を開けるまでのことを覚えているかい」
その問いかけで初めて、私はここに来る以前の記憶がないことに気づきました。
ーー四彩学園高校の一年生としての学生生活と、ここに入って来た時の記憶。その間にはぽっかりと大きな穴が開いていました。
「君が来る以前、二号と三号の二人が扉を開けた時にね、私は彼女たちの来た向こう側を確認したんだ。そこにはね、『何もなかった』」
「何も?」
「そう、光も、奥行きも、質感も、時間も、学園も、生命も、なにもないことが分かった、感じたんだ。私たちが扉を開けて入ってくる、というのは表現の一つでしかなく、ここはきっと、どこにも繋がっていないんだよ。閉ざされた世界と、後は私たちだけ」
「私たちの、私たちによる、私たちの為だけの空間」
「山下亜紀の、山下亜紀による、山下亜紀の為だけの空間」
彼女たちの言葉が私の中にゆっくりと染み渡っていき、目の前が揺らぐような感覚に陥りました。寄る辺がなく、不安定な世界。最初はこの部屋を広大な場所と思いましたが、話を聞いた今では狭く、息苦しいと感じます。閉ざされて、繋がらなくて、独りぼっちの空間。
想像するのは壁の向こうに広がる、迂遠なまでの虚無。
三号が言いました。
「とりあえず、カードを配るね。ゲームを始めよう」
――スキップ、スキップ、ワイルドドローフォー、リバース。
時間で言えば二、三時間程でしょうか。その間延々と、私達はUNOをしました。カードを出すとき以外は誰も言葉を発さず、黙々とゲームを終えて、終わったらまた次のゲームへ。パーティゲームの遊び方としては不適当な気もしましたが、数字と色の連関を追い続けることに集中できたお陰で、騒めいていた心も段々と落ち着いてきました。
「ありがとう、皆」
十七回目のゲームを終え、精神の状態がだいぶ持ち直した時、私は彼女たちに感謝の意を伝えました。私が状況を受け入れるまでの時間を用意してくれた三人の私。彼女たちがおらず、私だけでこの部屋にいたとしたら、きっと事実を知った時に心が壊れてしまっていたでしょう。
「仕方ないさ。流石の山下亜紀でも、こうした事態を受け止めるには時間がかかる」
「私たちも同じだったからね」
そう言いながら、私達はめいめい前屈をしたり、立ち上がって伸びをしたりし、座りっぱなしで凝り固まった身体をほぐしました。
「さて、一通り四人UNOも満喫したことだし、今度は何をしましょうか」
二号は首のストレッチをしながら言いました。
「周囲に流されることなく、自分の興味のままに何かを研究し、あるいは遊ぶ。『マイペースの体現者』、山下亜紀たちが次に取る行動は?」
彼女の言葉が呼び水になって、私たちはそれぞれ浮かんだ疑問や、したい事を声にだしました。
「UNO以外のゲームはないの?」
「なぜ我々が複数人いるかの推察は?」
「食事やトイレと言った問題を解決しないと」
「五人目以降の私はやってくるのかな?」
最後の私の問いかけと、タイミングを合わせたように扉を開く音がしました。折よくというべきか、音の方向を見ると、そこには扉を開けたばかりの新しい私――五号が、私たちを見つめていました。
一号の言っていた通り、その背中、扉の向こうには確かに、『何もない』があるのを確認しました。
私達は新参者の五号に、同じように説明をして、そしてUNOを黙々と遊びました。一人増えたことで、手順が巡ってくる時間は少し長くなりました。
「ありがとう、皆」
十三回目のゲームが終わった時、五号は落ち着きを取り戻した様子でそう言いました。私の時と同じ反応で、思わず笑みが溢れそうになります。きっと先ほども皆、同じ気持ちだったのでしょう。
「ところで、気づいたことがあるのだけれど。ひょっとして私達って、ここではお腹が空いたり、トイレに行きたくなることがない?」
三号がそう言って初めて、私はそのことに気付きました。先ほどと合わせて、五、六時間近くゲームをしていたと思うのですが、そういった生理現象に苛まれることは誰もありませんでした。私達より先にいた一号と二号は随分前にそのことを既に察していたのか、確認するように頷きました。
「おそらく寝る必要もないようだね。食糧を巡っての骨肉の争い、というのは幸いなさそうでよかった」
「やっぱり私達、死んじゃったのかな。だからそういったものがいらないとか」
二号の仮説に、私達は一様に考え込みました。確かに生命活動を必要としない点は死者のような気もしますが、同時に少し違うとも思いました。死んでいるにしては呼吸しているし、飢えや眠気を感じない意外は普段と変わりない気がします。むろん、死者がどうなるかなんて、ここのいるどの私も知らないのですが。
まず、一号が口火を切りました。
「いずれにせよ、当面の生命活動自体に問題ないとして、それなら次にわたしたちが危惧すべきこと、私達をこの箱庭で殺しうるものは何か」
「退屈」
「絶望」
「諦め」
様々な言葉が出てきましたが、いずれも同じものを指していました。つまり、私達の肉体が死なないとしても、心が死んでしまう可能性はある、ということです。
「そう。つまり探究心、知的好奇心、そういったものを私達は失ってはならない。好奇心は猫を殺すが、好奇心ロスは山下亜紀を殺す」
皆一様に頷きました。私達は生きなければならない。
一号の宣言を受けて、私達は今抱えている疑問と、その推察、今後の行動方針などを次々と洗い出すことにしました。幸運にも五号のジャケットにはメモ帳とペンが入っており、書き出していきます。
実際に始めてわかったのですが、文字にして整理すると、一つの項目だけでも、それと関連した疑問や意見が次々と浮かび、議論と整理のフェーズが必要でした。結果、その書き出し作業は、当初考えていた以上にずっと時間のかかる作業となりました。
更に書いている最中に新たな山下亜紀が増えて、その都度中断することがありました。加わった彼女達に説明し、落ち着かせて作業に参加してもらう。すると彼女達からの新たな観点が加わり、一度決まった項目でも話し合いが再開することもありました。そんなこんなで、一旦の区切りがついたのは始めてから半日が経とうとした時のことでした。
最初のメモ帳の頁は埋まり切った上で、新たな私の持ってきた2冊目の途中まで、というかなりのボリュームになりましたが、お陰で今後のあり方に一定の方向づけができました。この成果物を私達は『山下憲章』と呼びました。
今や八人となった私達は、たった今創り出した『山下憲章』を中心に囲んで座っています。これが終わりではなく、始まりだと皆が理解しています。
ーーこの部屋の謎の解明の為の調査と実験。
ーー新たな山下亜紀が来た際の受け入れフロー。
ーー人員が増加した際に割当てる担当の決め方。
ーー壁や床、あるいは各々の所有物から何が作れるかの検討。
ーー退屈や停滞を防ぐ為の娯楽の提供。
この憲章にはそういった様々な事項が数十項目記されています。これらの理念や在り方だけでなく、具体的な手順を書いたマニュアル的側面もあります。本来、もっと理念のようなものを意味する憲章と言う表現は相応しくないのですが、私達は皆、それをそう呼びたいと思いました。
この小さなノートに記された方針は、この小さな国、いや世界で生きていく上での揺るぎない指標となるのですからーー】
そこまでを書き上げて、彼女は一度休憩のために本を閉じました。彼女のいる場所はこぢんまりと狭く、壁も天井もつぎはぎの布で作り上げられています。まるで、不恰好なパオの中の様な佇まいです。
ランプの明かりに仄かに照らされた彼女が、吐息を漏らしながら大きく伸びをすると、隅の暗がりで影が動きました。どうやら、同居人が目を覚ましたようです。
「すまない、起こしてしまったかい」
「ううん、大丈夫。別に眠たかったわけでもないからね」
「それもそうか」
少しだけの沈黙。
「ねえ、何を今は描いていたんだい」
「昔に一度書いたことのある内容だよ。久しぶりにまた、ちゃんと書こうと思ってね」
「なるほど。今度はうまく書けそうかい」
「いつだってうまく書けているよ。だから、今度も大丈夫」
「それもそうか」
また、少しだけの沈黙。
「起きたけど君は、今から何をするのかな」
「そうだね、どうしようかな。君はまだ、書き物を続けるのかい?」
うん、と彼女は頷きました。
「そっか。なら私は外で、みんなと遊んでくることにするよ」
「良いと思うよ、今日は何をするの?」
「そうだな、久しぶりにUNOをしようかな」
声の主は立ち上がり、薄影から明かりの方へと姿を現します。
「昔の話を書いていると聞いて、久しぶりにまたしたくなったよ。他にもそう思っているのが、いるだろうさ」
「そうだね、楽しんでおいでよ。ドローフォーが二枚来たからって、今度はゲームを途中でやめないでね」
向かい合った同じ顔の二人は、同じタイミングでくすくすと笑いました。朗らかに、ただただ朗らかであるように。
起きたての彼女は、壁の布を一部めくり上げて、外へと半身を出しました。その向こうは白い光に包まれて、眩しいくらいでした。
「物語の続きを作ってきてね、二号」
「うん。じゃあ、また。四号」
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