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13.一つめの怖い山下さん
これは小説家の先生から聞いた、いくつかの話の中の一つだ。だからきっと、創作だと思う。
ーーとある住宅街に、奇妙なことの起こる道があるという。
とある一軒家、仮にそこを山下家と呼ぶが、その家の左横に舗装された道がある。人が一人通れる程度の幅の狭い小道。
山下家は区画の角にあり、右隣は大通りに面している。近隣の住民は専らそちらの道を使うので、小道を歩く者はあまりいない。
小道は山下家と、ちょっとした空き地に挟まれている。家一軒分より少し広いその空き地には茫々と雑草が茂っており、何年も整備されていないのだという。駅からも近く、立地自体は悪くないのだが、所有者の権利がややこしいとかで、長い間野ざらしのままだ。立ち入りを防ぐ為に杭とロープで囲んではいるが、簡単に跨げる程度の粗末な仕切りである。
山下家を右手に見ながら昼に小道を進むと、左側、その空き地の側で奇妙な出来事は起こるそうだ。その住宅街の辺りは、昼下がりには買い物する主婦なり、暇な学生なりがよく歩いているのだが、そんな場所でも誰もいない瞬間は時折訪れる。その時に小道にいると、空き地の方に何かを見るのだという。
そして、この出来事の最も奇妙な点は、何もないはずのところに何かを見たという点ではない。
そこで何かを見たと語る体験者達が、何を見たかを覚えていないという点が、この小道の話の奇怪なところなのだ。
見た、と語るそれらの人々の、年齢や性別に傾向はない。見たという時期もばらばらだ。だが、何かを見た、だが肝心のそれが何かの記憶がない点は皆同じなのだという。
彼らが見たものが同じかどうかもわからず、確かめようもない。だが、間違いなく同じ現象がおきており、その小道か、あるいは空き地には何かがあるというのを確信させる。何も情報がないということが、月並みな都市伝説よりも輪郭を際立たせる。
この話はとある友人が伝えてくれたのだが、彼は話の肝である体験者の忘却について、次のような持論を語った。
「皆がそこで見た何かって、例えば幽霊とかではないと思うんですわ。少し調べてみたんですけど、その土地に曰くとかは何もないみたいでしたし。そもそも、真昼間に幽霊っていうのもおかしな話ですもん」
それに幽霊はわからないものではない、と彼は続けた。
「幽霊っておっかないですけど、亡くなった誰かが、何かの未練とか恨みとかを伝える為に出るもんですやろ。そういう意味ではそれなりに道理のわかるもんですし、だから皆の記憶にはよく残ると思うんです。でも今回の話はそういうもんやないんですよ、皆が忘れてしもうている。だから私が思うに、その空き地にある何かは、人間の知覚では理解できひんもんなんちゃいますか。五次元の物体とか、何かの概念とか、そんな風な。そんなん見ても皆、受け取る情報が多すぎて頭の中パンクするから、そんで処理落ち的に忘れてしまうんちゃいますか」
その説明を聞いて、理屈は通っているが、どこか納得できないところを感じた。その時は、そういうもんかねえ、といってこの話を終え、その後はいつものように、他愛もない話や、ゲームなどをしながら時間をダラダラと過ごしたが、私の中に何らかの燻るものが残っていた。
それが自らの裡に再燃し、再び小道の話について考えたのは友人が帰った後、一人になってからだ。結局、私が気になっているのは、『彼らがそこで何を見たのか』という一点だった。知覚できない事象や物体という友人の結論はどこか、身も蓋もないというのが率直な所感だったのだ。
彼らが何を見たのか、私なりの結論を出したいという思いで、パソコンを立ち上げる。そして、より話の情景をイメージできるよう、話の要点を書き出すなどをしてみた。
彼が好意で持ってきてくれた創作のタネだから、参考にする為には、自分なりに消化する必要があるというのも、その時の行動の一つではあった。しかし、それとは違う原動力があった。私は話の奇妙さに魅了されていたのだ。
だから長い時間をかけて、似たような話がないかを探ったり、あるいは空き地にある何かをあれこれと自分なりに想像した。その空き地で何があったか、どういう背景でその現象が起きているのか。集団幻覚か、あるいは物の怪の類か、そんな道理をあれこれ考えてみたのだが、どうもしっくり来ない。
行き詰まった私は、手元の写真にも目を落とす。それらは友人が帰る前に渡してくれたもので、わざわざ彼が現地で撮ってきた写真だと言う。今時分、現像した写真というのも珍しいが、データにはない物々しさというか、しっかりとした存在感がある。
写真には当然何も不思議なものは映っていない。どこにでもあるような、昼下がりの平凡な町の風景である。その中央には道があり、両脇には友人が言っていた通り、家と空き地が挟んでいる。ひっくり返してみたりもしたが、顔の影一つない。
だが、ここには何かがあるのだ、いや、ないと言うべきか。空き地の上、生い茂る雑草の上。そこには認識の盲点がある。それは排水溝の穴のように周囲を吸い込み、話を聞くものを惹きつける。そんな空想。
そんなことをどれくらい考えていたのだろうか、時刻はもう深夜をとっくに超え、頭がだいぶぼんやりしていだのだろう。そんな中で、私は知らずうたた寝をしていた。
そこで見た夢を、やたら鮮明に覚えている。
夢の中の私は同じように、仕事机に向かっている。だが、外はもう昼間らしく、カーテンの向こうから光が差していた。
「考えたって仕方ないんですよ。だって見た皆、心のどこかではわかりたくないって思っているんだから」
隣で誰かがそう言った。夢の中の私は、ああ、隣に人がいるんだと思っただけだ。それが誰かを確認しようとは思わず、ただその声が話す内容を聞いている。
「あの人の言うことは少し違うんですよね。パンクするのは頭の中じゃなくて、心なんですよ。あんまりなことが起こると人はね、簡単なことでもわからないってことにするんです。不思議ですよねえ」
何の話かはわからなかったが、その声は妙に説得力があった。だから、そういうものかな、と思いながら聞いていると、声は不思議だ、不思議だとしばらく繰り返す。何度か繰り返した後、続けてその誰かはこう言った。
「わからないことにしたって、忘れたって、意味がないんですけどねえ。だって、なかったこてにはならないのだし」
その言葉を聞き終わると、私は自分のいる場所が自宅でないことに気づいた。その時まで気づかなかったのが不思議だが、よく見れば間取りや調度や、カーテンの色やらが違っている。
ここは小道横の家、山下家の中だと、なぜかわかった。そしてカーテンの向こうには、あの小道が広がっていることを。
そこには、何かが。
「ええ、あの向こうに今ね、いると思いますよ。ただ、今くらいの距離、カーテン越しくらいがいいと思います。いや、見たいなら止めはしませんけど。ただねえ」
声の主は一段と私に近づいたようで、すぐ耳元でこう囁いた。
「見たら、あれも貴方に気付いてしまいます」
そこで私は目が覚めた。変な姿勢で寝ていたから、身体がひどくだるかった。そのまま布団に入って寝直すと、何も夢を見ることはなかった。深い眠りから次に目覚めたら、すっかり翌日の夕方になっていた。
水を飲んだり、寝汗をかいた服を着替えたりした後で、私はようやく、昨晩見た写真が手元からなくなっていたのに気づいた。パソコンの周りをいくら探しても見つからない。布団に移動する時に、風で飛ぶか身体が当たったかして、デスクの裏なりに行ってしまったのだろうと、その時は思った。
小道の話への執着も、写真と共にどこかにいってしまったのうだった。その後はしばらく、別の執筆があったり、日常の些事に追われたりしたこともあり、中々話自体を思い出すことはなくなっていった。
「前に話した変な道の話、覚えてますか」
再びその話を思い出したのは、二、三ヶ月が経った頃のことだった。件の友人がふとした折にそう話を振ったのだ。
「何だかあの辺り、周辺一帯がどうにも調子が良くなくなってきているらしいみたいですわ」
調子が良くないとは何か、と聞くと、彼は歯切れ悪く説明を続けた。
「何というんやろね、ああいうの。風水が悪いというんですかな。何か時折、誰もいないところから叫び声が聞こえたり、どこの言語かわからん言葉を話す人たちが夕方、公園に集まってたり。あと、電柱ごとに古いソフビのおもちゃとか、両面が表の十円玉が仰山積み上げられたりしてることもあって。そんなん一つ一つが大したことでなくとも、不気味ですやん。意味もわからないですし」
確かに、意味がわからない。ただ、何やら不吉な、不具合のありそうな感じがある。
「それに加えて、その区画で行方不明になる人が増えたりもしているみたいです。それだけやなく逆に、家に突然知らない人が座っているってこともあるらしいんやて。話すと出ていってくれるけど、結局どんな素性の人かはわからんまま」
やれやれ、と彼は肩をすくめる。
「なんというか、どんどんずれていっている気がするんですわ。でもね、私が嫌やなぁって思っているのはそこじゃないんです。そこの住人達、そんな風にどんどん変なことが起きてきているのに、引っ越して行かないらしいんですわ。勤務先とか、お金とか色々と理由があってとは言うんですけどね。でも何か、それら全部後付けの理由な気がするんです」
その話を聞いてふと私は、小道の隣、山下家について気になった。夢で中に入ったあの家に、果たしてどんな人が住んでいるのか。その人も同じように引っ越さないのか。
そのことを友人に尋ねると、彼は怪訝な表情でこう言った。
「家なんてないですよ。道の両脇とも空き地です、ずっと。前に話した時もそう言いました」
さらに聞けば、彼は写真も撮っていないという。当然そんなものを私に渡したこともない、と。
だが一方、私にはその写真と長い時間、それを見た記憶は明瞭にある。いくらそのまま寝落ちしたとはいえ、その存在までも夢だったとは考えられない。
この出来事も、はたしてその場所で膨らんできている歪みの一端なのだろうか。それは何を食らって、何を吐き出しているのか。歪んでしまった、ずれてしまったのはどこからどこまでなのか。
夢の中の私は声が耳元で囁いた瞬間に目を覚ました。だから、カーテンの向こうを見てはいない。
だが、本当にそうなのだろうか。私は夢の中の言葉に導かれるまま、立ち上がり、窓際に向かっていったのではないか。
ただそれを忘れているだけで、忘れても意味がないのに。
だってそこには。
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