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15.二つめの怖い山下さん
見た目は何でもない一軒家らしい、と先生は言う。
山の斜面を切り拓いて造られた住宅地に、その家はあるそうだ。
一帯の道は舗装こそされているが勾配が急で、徒歩での移動は苦労するような場所だ。ちょっとした買い物にも車がないと厳しい。山が近いから空気こそ良いものの、日常生活を送るには少し不便である。
そのせいもあってか、辺りに住む人は段々と減っている。件の家以外も何件か、持ち主のいない家がぽつぽつ並んでいるそうだ。
そうした廃屋の中には屋根が抜けたり、ガラスが割れたりしているものもある中で、その家はかなり綺麗に残っている方だそうだ。
その家がいつから空き家なのかはわかっていない。近くの家々も住人がいないので、確認しようがない。
家は比較的新しそうな見た目をしており、細かい溝が何本も横に走る外壁や、ガラス面が少ないダークブラウンの玄関扉といった意匠は、洗練された印象を見る人に与える。
その玄関の鍵は開いており、誰でも入ろうと思えば入れる。入った右手には靴箱があり、中を開くと何足かの靴も残っている。大人の男性のものと思われる革靴、女性用のサンダル、子供靴。子供靴の裏には名前が書かれている。
また、靴箱の上には写真立ても残っている。そこには仲睦まじい家族の写真が何枚か飾られている。
入り口から奥に廊下が続いており、台所とダイニングがその先にある。その手前、右側の扉は洗面所と浴室に繋がっている。浴槽の壁には防水加工のひらがな一覧が磁石で貼り付けられている。
他にも、洗面所下の収納棚には、子供向けのスポンジ素材の玩具などが残っている。
一階には他に、書斎や客間の為の部屋があるが、いずれも目を引くようなものはない。本棚には月並みなビジネス書や、少し昔のベストセラーの本が並んでいる。マメな性格だったのか、何年分かのスケジュール帳が纏まって本棚の一角に並べられている。どの年も同じメーカーのもので揃えられており、その内容は仕事の打ち合わせや記念日、買い物のメモなどだった。
二階には二部屋あり、それぞれ子供部屋と寝室だ。こちらも目につく点はなく、子供部屋には家庭用ゲーム機と二段ベッド、ランドセルの置かれた勉強机。クローゼットには拙い絵や、自由研究の工作などが収納されている。
寝室の側にもクローゼットがあり、中には女性物、男性物の服がそれぞれハンガーにかけられている。スーツなどは埃除けカバーに入れられていることもあり、使おうと思えばすぐに着られそうな程綺麗なままだ。
それがその家の全てだ。不審な汚れや、使途不明の部屋があるわけではない。ファミリー向けの、小綺麗な一軒家。
そして、この家で幽霊の目撃談や、奇妙な出来事が起きたと言う話も聞かない。
ただ一点。一点だけ他の空き家と異なり、おかしいことがある。
それは、それぞれの部屋が揃っていない点だ、と先生は話してくれた。
それはデザインや、部屋のテーマといった話ではない。人の住む場所として、揃うべきものが揃っていないそうだ。
例えば玄関の写真だが、そこに写っている子供は、どう見ても大学生くらいの年齢だそうだ。しかし、子供部屋にはランドセルが置かれている。
そもそも、写真には親子は三人しか写っていない。夫婦と、その娘。では、子供部屋の二段ベッドは何か。また、年齢からすれば風呂場のひらがなシートや、名前の書かれた小さい靴もおかしくなる。
それだけではない。靴底に書かれている名前と、子供部屋のノートなどに書かれた名前も、苗字も全てバラバラだという。
書斎にあるスケジュール帳も、見た目こそは同じだが、中身は一冊一冊異なっている。家族の誕生日は手帳ごとに異なっており、そもそも筆跡だって不揃いだ。
書斎には他に家族アルバムがあるが、そこに写る家族は玄関の写真立てに写る人と、全くの別人だそうだ。
服のサイズも、歯ブラシの本数も、椅子の数も、布団の数も、それぞれが一致していない。この家に住んでいた家族構成がどうなっていたか、そもそも何と言う名前の人が住んでいたのか。その家はそれが何もわからない、全てが不揃いなのだという。
「空き家になった後で誰かが、来た人を混乱させる目的でそういう仕掛けをした、にしては面倒過ぎるし、そもそも家の中はそんな感じもないそうだ。あくまで感覚的な話だが、それらの家財はいずれも、ずっとそこにあったように家に馴染んでいたらしい」
先生は語る。
「だとするとやはり、もともとそこに住んでいた住人達がそうしていたのだろう。だが、その住人達はなぜ、そんなことをしたのだろうか。違う家族の写真を自分たちのものとして家の中に置いたりなどして」
彼は一拍置き、それから自身の持論を述べた。
「推測だが、例えばその家には、家族という概念がよくわからないモノが住んでいたのではないか。わからないなりに、そういう風に見える家がどういうものかを調べて、それを真似て部屋を整えていたんじゃないかと思う。あくまで真似だったから、それぞれの小物同士の不一致に気づかなかった。むろん、そんなことがわからない存在というのはきっと誰か、ではなく、何かなのだ。何かがそこにいて、家族の真似をして暮らしていた。そして、ある日それはいなくなった」
そうだとして、なぜそれらは真似事をしたのか、なぜいなくなったのか。私はそれが気になったが、同時にそれ以上、このことを考えるのがひどく嫌な気がした。
山の近くではそういうことが、たまに起こるのかもしれない、と先生は話を締めくくった。
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