8.先生の山下さん

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8.先生の山下さん

お疲れさんです、先生。今日は天気も良くて。 最近はめっきり暑くなってきましなァ――いや、でも昔ほどではないか。 何年か前の夏に、やれ史上最大の猛暑や、地球温暖化やって世間でワチャワチャ言うてたンと比べると今は普通ですわ、普通。普通の夏。 それこそ昔は外出ると、アスファルトから陽炎が昇っているからか、頭が茹っているせいか、視界がずっとくらくらして。こらアカン、死ぬンちゃうかと思ったもんですけど。 今年はすっかり気候が落ち着いて、夏でもこうやって先生のとこにも足繁くお邪魔できるわけですな。 あ、これお土産の水ようかん。麦茶に合うと思って。 『(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)』 ――何ですのん、そんな鬱陶しそうな目ェして。 私は先生の為を思って来とるンですよ。だってせっつかんと、先生よう作業進めへんから。ほら実際に更新頻度、ちゃあんと最近上がってますやろ。感謝されこそすれ嫌がれるンは納得いかんわァ、筋違いですわ。 それで、今日も作品できました? ――あ、できてはるんすか。 それは立派なもんですな、偉い!――いや、ただ調子ええこと言っているわけやないんですよ。ちゃんと先生のこと、尊敬してますから。ほんまほんま。 でもそれやったら持ってきた水ようかん、出してしまいましょうか。執筆終わったご褒美ってことで、早速食べましょ。 食べながら、私は出来立てほやほやの新作、読ませてもらいますワ。 『(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)』 ――さて、ご馳走さんでした。読むのもちょうど、今終わりましたワ。 今回のお話も『山下さん』絡みの短編なんですね。最近、そればっかりですなあ――いや、あかんわけではないですよ。 ジャンル自体は一個一個違って、色々なもんに挑戦されてはるみたいですし、ええと思いますわ。 ――ただ、流石に今回のはいささか強引ちゃうかな、とは思いますけどね。ヤマシタ文明って、なんですのン。 何にせよ、これからも面白い作品書くこと、期待してますから。頑張って下さいね、先生。 『(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)』 ーーあかん。また負けてもうた。 このゲームの腕、また上げてません? 仕事して、執筆して、その上ゲームの練習もして。どこにそんな時間あるのか不思議ですわ。 ーーいや、私も練習して、そこそこは腕上げているんですよ。それをあっさり上回るくらい、先生が上達しているんですわ。 あと、さっきからパトカーの音が外でやかましくて。それで気が散ったのもあるかなーーいや、言い訳ちゃいますよ。敏感なんです、私の耳。夜とか時計の秒針の音が気になると、寝付けなくなるくらい。 でも、本当パトカー多いですね。何や、物騒やなぁ。太陽が眩しいからって、皆、人殺しすぎちゃうか? え、先生ご存知ないんですか、『異邦人』。いや、歌やなくて。 『(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)』 『蝉の音は大きく小さく鳴りながら。脳内で騒いでいるかのやうに煩いのです』 そういえばずっと気になっていたンやけど。先生って、『先生』呼びされるの、嫌ですか? いや、そんな鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔せんといてくださいよ。私だってそれなりに気ィ使えますわ――え、今更って? そう言われたらそうですなァ。私が先生って呼ぶようになったの、高校生の頃からやから、かれこれ十年近くになるんか。 その間ずっと、実は恨みつらみを胸の内に溜め込んでいて。ある日グサリ!ってなるのは勘弁したいから、確認しようかなって。 ――それで、どないなんです? 『蝉の音は』 『蝉の音は不意に静かになりました。疲れてしまったのでしゃうか』 『それとま、何かが随分とおっかなくて、怯えているのでしゃうか』 なんや良かったわぁ、ちょいウザいくらい程度なら上々ですわ。 でも、文芸部の後輩からこうやってずっと好かれて、先生呼びされて慕われてっていうのは、男冥利に尽きません? まぁ、私も男であることは少し目ェ瞑ってもらって。そういうのも需要あるかもですし。 『(蝉の音)』 『再び彼らは勢いを取り戻し、精一杯に叫んでおります』 『(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)(蝉の音)』 それと、もう一つ質問なんですけど。 なんで書いている掌編集、山下さんって名前に執着されてはるんですか? だって高校の頃も、大学の頃も、先生の周りに山下、なんて苗字の人おらんかったし。私が知らんとしたら、後は職場の人とか、あるいはなんかのキャラクターから取ってきたんかなって思ったんですけどーーあ、それもちゃうんですか。 じゃあ、なんで? ――そんな、掌編集書き切ったらわかるようになってる、なんて言うても。 ほら、先生しょっちゅう適当なこと言いはるから。そう言っておきながら、最後まで行っても意味わからンかもしれへん。眉唾もん思いますわ。 ホンマ、最後まで読み終えてもわからンかったら、先生、ちゃんと覚悟してくださいよ? 『蝉の音はもうしません。真っ赤な空』 あら、もうこんな時間か。最近は日が長いから、ついつい油断してしまう。 ほしたら、そろそろ失礼しよう思います。今日の水ようかん、美味しかったから、また今度買ってきますわ――また来るんかって。そら来ますよ。 それじゃ、ちゃっちゃと荷物纏めて――あれ? さっきあっちの部屋で、なんか人、通っていきまへんでした? 先生、一人暮らしと違いましたっけ。 いや、暗いから男とか女とか、ようわからんかったけど。何やえらい速い速度で、さーって。 夏やから怖い話しているわけやないんです。ホンマに見た気がしたんですって。光の錯覚かもしれんですけど。 そんなビビらんで下さいよ。わかりました、ほなら一緒に確かめに行きましょうか。 行きますよ、せーの。 『蝉はもう、おりません』 『いえ、ずっと、ずっとおりませんでした』
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