1.1

1/8
前へ
/186ページ
次へ

1.1

「まさか渦波と同じ部の同じ課に配属されるなんて思わなかった。」  エレベータホールで待ち合わせをした東野(ひがしの) 綾子(あやこ)はおおげさに鼻に皺を寄せて、マークジェイコブスの鞄を肩にかけ直した。 「しょうがないだろ。俺は俺で、面接で海洋事業部に興味あるって言ったんだから。」  櫂は首にかけた社員証を慣れない手付きで自動ドアのIDリーダーにタッチする。ピッという音がして無事にピカピカの自動ドアが開いたことに安堵したが、その隙間を先に通り過ぎたのは東野だった。  ブラックストライプのパンツスーツに、ブラウンサテン地のインナー。長い髪を前髪ごと高く結ったポニーテールは、もともとは童顔の東野の顔を少しキツく見せている。頭一つ低い位置で振り子になって揺れるポニーテールを追いかける。しかし東野はわざわざ立ち止まって振り向いた。 「でも、新人集合研修の最後のプレゼンで優秀賞をもらったのは、私のチーム。そのチームでリーダーをしていたのは私。私が希望通りに配属されるのは当たり前だけど、あんたのチームなんてクソみたいなテーマ発表してただけじゃない。」  東野が言ったのは、半分事実だった。入社から先週末まで二ヶ月半続いた新人研修は、5人1組のチーム20組のプレゼン発表で締めくくられた。東野の流れるようなプレゼンは圧倒的多数で称賛され、優勝を勝ち取ったのだ。一方の櫂は、チームとしても体をなさず、顔が良くて許されるからというヒドイ理由で櫂が表に立たされ、無難な内容で惨敗したのだ。  何故か内定者時代から東野は櫂につっかかって来ることが多く、こうしてキツく言われるのは初めてでは無い。しかし今日は格別に口が悪い。 「確かに東野のチームはすごかったけど、……別に俺らのがクソって言われる程では……」 「いーや、クソだった。あんなプレゼン、インターン生でもやんないわよ。それでも、あんたが希望通りに、この三國商船(みくにしょうせん)の中で一番期待されている海洋事業部に配属されたのはなんでだかわかる?」  東野が指を指しながら、眼下から睨みつけて来る。しかし櫂にとっては、むしろ東野のセリフのほうが気になってしまった。 「え、なに俺が配属された理由知ってんの?東野すげぇ。東スポやん。」  みるみるうちに東野の顔が歪む。唇がめくれかえるほどの呆れ顔が、さらに櫂を攻撃した。 「あんだが。既得権益の塊だからよ。」 「は?」  ……キトクケンエキ? 「わからない?健康な男性、そこそこの大学をストレートで卒業。それだけで、あんたは高田パーラーに出荷できる高級果物なわけ。それに加えて高身長にイケメンと言われる無駄に綺麗な顔面に、空気を読まない明るさとか。今年一番の競りで出されるシャインマスカットかっつうの!!どんだけ人生イージーモードよ!!」  キツい口調のわりに褒められているようで反応に困るが、何も苦労していないと言われるのは癪に触る。  思えば、東野だって似たようなものなのだ、と櫂はその姿を見下ろす。 「……東野だって。才色兼備とか言われて来たんだろ?家柄も良さそうだし。イージーモードとは言わないけど、多くの人から見たらお前もキトクケンエキに見えると思うけど。」  東野が既得権益という言葉をどう使ったのかわからずに返したが、それがまずかった。目の前の2つのドングリ目がさらに大きくなり、顔は真っ赤になっている。しまった、と思うにはもう遅かった。 「私たち女性が!既得権益だって?ここに来たのは私の努力だから!どんなに努力したって、これから先私たちには、結婚とか出産育児とか、いくらでも邪魔が入んのよ!だからあんたたち男性よりも少しでも早く、頭一つ抜けなきゃいけないの!そのためにも、」  そこでやっと無人の廊下を見回した東野は、息を整えて声をひそめた。 「私は、渦波、あんたより先に、会社の役に立つことを証明してやる。まずは今日の配属挨拶から。良いわね。」  あ然としている櫂を置いて、そのポニーテールはカツカツと廊下を一人歩き出した。  そのヒールが一度ガタッと横に倒れたが、体制を立て直した東野はふんっと鼻を鳴らしてさらに進んでいく。 「………わっかんねぇ………」  いきなり浴びせられた強烈なライバル意識に苛立つよりも圧倒された櫂は、締め過ぎたネクタイをほんの少しだけ緩めてその後ろに続いた。
/186ページ

最初のコメントを投稿しよう!

916人が本棚に入れています
本棚に追加