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目の前に在るのは、薄汚れた壁だけだ。狭いビル街の裏路地、その行き止まりには悪臭を放つゴミ箱や、無機質な音を奏で続ける室外機の他には、目ぼしいものは何もない。
しかし、颯人は一点をじっと見つめたまま、扇子をパタパタと動かし続けた。
日陰とは言え、室外機から発する熱気で周囲はうだるような暑さだ。その中にあって、颯人は汗一つ掻いていない。
今日の外気温は四十度近くで、湿度も高い。室外機から出される熱風で、この路地裏ではそれ以上になっている筈なのに。
颯人の栗色の髪をそよがせている風は、どうも周りの空気とは異質なもののようだ。
そして、その扇子で起こす風も。
扇子によって起こされた気流は、くるくるとその場で渦を巻き始めていた。颯人が扇ぐごとにそれは大きくなり、初めは手の平で転がせそうなくらいの大きさだった物が、今ではバスケットボール程の大きさに育っている。
風に色がついていれば、綺麗な渦巻き状の模様がそこに描れているのが見えただろう。
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